マリーの戦い
話し合いの場は。
翌日に決まった。
(さすが父上……。)
(話が早い……。)
翌日。
マリーとウォーレンは、中級区を訪れていた。
目的地は、アイリスが住んでいる三階建ての建物。
一階部分は、何でも屋の事務所として使われているらしい。
本来。
ウォーレンほどの貴族が、自ら中級区の店へ足を運ぶことは少ない。
部下へ任せるか。
相手を屋敷へ呼びつける。
けれど今回は。
こちらからの願いである以上、自分が出向くべきだとウォーレンが判断した。
(きっと、驚くはずよ。)
(そして、アイリスちゃんを助けるの。)
マリーは緊張しながら、扉を見つめる。
やがて。
事務所の中から、一人の青年が現れた。
黒い髪。
整った顔立ち。
まだ少年の面影を残す、若い男。
(こいつが……。)
(アイリスちゃんを縛りつけている悪魔……。)
(って。)
(若っ!?)
(十代!?)
(しかも、すごく格好いい……。)
想像していた人物と違いすぎる。
貴族の子息と言われても納得できるほど、洗練された立ち居振る舞い。
けれど。
見た目に騙されてはいけない。
この男は悪魔なのだ。
たぶん。
「ウォーレン・トーリア様ですね。」
青年は丁寧に頭を下げた。
「お待ちしておりました。」
「レイと申します。」
「どうぞ、中へ。」
マリーは気を引き締める。
(これからが、決戦……!)
一階の応接室へ案内され。
マリーとウォーレンが、並んでソファーへ座る。
ほどなくして。
奥の部屋から、茶器を載せた盆を持つアイリスが現れた。
「あっ!」
「アイリスちゃん、おはよう!」
「昨日ぶりだね!」
「おはよう、マリー。」
アイリスはマリーへ挨拶すると。
隣にいるウォーレンへ、丁寧に頭を下げた。
「初めまして。」
「マリーのお父様。」
「アイリスです。」
「私がウォーレン・トーリアだ。」
ウォーレンは穏やかに答える。
「娘が、いつも世話になっているようだね。」
「こちらこそ。」
アイリスは茶を並べ終えると、レイの隣へ座った。
ウォーレンが改めて、目の前の青年を見る。
「若いとは聞いていたが。」
「まだ十代なのかね?」
「はい。」
「十九歳です。」
「今回は、わざわざ中級区までご足労いただき、申し訳ございません。」
「本来であれば、私が伺うべきでしたが。」
「構わない。」
ウォーレンは首を横へ振る。
「こちらから伺うよう、私が部下へ伝えた。」
「今回の商談は、私からのお願いだからな。」
「ありがとうございます。」
レイは落ち着いた様子で答える。
「それで。」
「今回は、どのようなお話でしょうか?」
ウォーレンは一度。
隣にいる娘を見る。
マリーが小さく頷いた。
「単刀直入に言おう。」
ウォーレンは、レイを真っ直ぐに見る。
「こちらのアイリスちゃんについて。」
「奴隷として、売買取引をしたい。」
「……え?」
レイが目を瞬かせる。
「うちのアイリスを。」
「トーリア家で買い取りたい、ということですか?」
「そうだ。」
ウォーレンは頷く。
「希少なエルフ。」
「王立魔導学園へ通い、一定の教養も備わっている。」
「相場を考えれば、最低でも二億はくだらないだろう。」
「だが。」
「今回は、金額の交渉をするつもりはない。」
「言い値で構わない。」
「君の望む金額を提示してくれ。」
「…………。」
レイは驚いたように、しばらくウォーレンを見つめた。
やがて。
わずかに俯く。
そして、再び顔を上げた時。
その目つきが変わっていた。
静かで。
鋭い目。
マリーは思わず、背筋を伸ばす。
「結論から申し上げます。」
「アイリスを、お売りすることはできません。」
「……そうか。」
ウォーレンは、すぐには引かなかった。
「ならば、二十億出そう。」
「今回は相場など関係ない。」
「娘の大切な友人である、アイリスちゃんを迎えたいんだ。」
「破格の金額だとは思うが?」
「言い方が悪かったですね。」
レイは、少し困ったように笑った。
「お金はいりません。」
「どうぞ、もらってください。」
「なっ……。」
ウォーレンが絶句する。
「なんだと?」
マリーにも、意味が分からなかった。
言葉の意味は理解できる。
けれど。
なぜ、金はいらないと言えるのか。
「どういうことだね。」
ウォーレンが警戒するように尋ねる。
「何を望む?」
「何もいりません。」
レイは淡々と答える。
「うちのアイリスと仲良くしてくださっているお嬢様のお家でしたら。」
「特に問題ありませんよ。」
「意味が分かりません!」
マリーは思わず立ち上がった。
「アイリスちゃんは、あなたの奴隷なんですよね!?」
「学園に通わせるお金だって、使ってきたはずです!」
「それを、ただで譲るなんて!」
「マリー。」
ウォーレンが手を上げ、娘を制する。
「……失礼した。」
「だが、娘の言うとおりだ。」
「私にも、君の意図が分からない。」
ウォーレンはレイの目を見る。
「それは。」
「彼女を捨てたい、ということなのかね?」
「まず。」
レイはゆっくりと答える。
「アイリスは奴隷ですが、私が購入したわけではありません。」
「詳しい事情は話せませんが。」
「ある友人から、託された形になります。」
「そして。」
レイは隣に座るアイリスへ、わずかに視線を向けた。
「私が、アイリスを捨てたいはずはありません。」
「ただ。」
「この子の意思を、尊重したいだけです。」
「アイリスが行きたい場所へ行けばいい。」
「それが。」
「仲の良い友人の家であるなら。」
レイは少しだけ、寂しそうに笑った。
「私としては、問題ありません。」
そして。
アイリスへ身体を向ける。
「アイリス。」
「ここを出て。」
「マリーの家に行くか?」
「…………。」
アイリスは、レイを見つめた。
ほんの少し。
悲しそうに眉を下げる。
けれど。
答えは、はっきりしていた。
「行かない。」
「そうか。」
レイの表情が変わった。
心の底から安心したような。
とても優しい笑顔。
「ウォーレン様。」
レイは、ウォーレンたちへ向き直る。
「申し訳ありません。」
「アイリスは、行かないそうです。」
「ですので。」
「今回のお話は、お断りさせていただきます。」
「待って!」
マリーは叫んだ。
「そう言わされてるだけでしょ!?」
「…………。」
アイリスは。
行かないと答えた時、悲しそうな顔をしていた。
それは。
本当は行きたいのに。
主人であるレイから、行くなと言われているからではないのか。
けれど。
その返事を聞いたレイの笑顔は。
悪い人間のものには、どうしても見えなかった。
「まあ。」
レイは苦笑する。
「そう思いますよね。」
「アイリスは奴隷で。」
「私は、その主人ですから。」
「本人がそう答えるよう、命令されている。」
「そう疑われても、仕方ありません。」
「レイさん。」
ウォーレンが、静かに尋ねる。
「あなたは。」
「この子に、どういう感情を持っているんだ?」
「…………。」
レイは、一度だけアイリスを見る。
迷うことなく答えた。
「血の繋がりはありませんが。」
「大切な妹です。」
「家族です。」
真っ直ぐな言葉だった。
「だから。」
「売るという選択はありません。」
「ただ、この子自身が出ていくことを望むなら。」
「私は止めません。」
「なるほど……。」
ウォーレンは、ゆっくりと息を吐いた。
「高い学費を払い、奴隷を学園へ通わせていると聞いた時点で。」
「単なる奴隷として扱ってはいないのだろうとは、思っていた。」
「家族であるなら。」
「確かに、売買の話ではないな。」
「ですが。」
ウォーレンは少し身を乗り出す。
「あまり、他人の家庭へ口を出すべきではないとは思うが。」
「休みを与えないというのは、可哀想ではないかね?」
「家族として大切に思っているなら。」
「たまには、友人と遊ばせてあげてもいいのでは?」
(父上!)
(よく聞いてくれた!)
マリーは、レイの答えを待つ。
レイは少し考え。
やがて。
「ああ……。」
何かへ気づいたように、アイリスを見た。
「なるほど。」
「そういうことでしたか。」
「私は。」
「アイリスが友人と遊びへ行くことを、禁止していません。」
「むしろ。」
「ぜひ、うちのアイリスと遊んであげてほしいです。」
「……え?」
マリーとウォーレンの声が重なった。
「しかし。」
「アイリスちゃん自身が、禁止されていると……。」
「ああ。」
レイは困ったように頭を掻く。
「少し、説明が難しいのですが。」
「アイリス自身が。」
「自分は奴隷だから、一般の人と同じように遊んではいけないと決めているんです。」
「学園へ入れる時も、かなり大変でした。」
「つまり。」
ウォーレンが、事情を整理する。
「レイさんは、アイリスちゃんを奴隷として扱っていない。」
「だが。」
「アイリスちゃん自身が、奴隷として生きようとしているということか?」
「そうですね。」
「家では、普通に暮らしています。」
「同じ家に住んでいるので、仕事もある程度分担していますが。」
「外へ出ると、奴隷として振る舞おうとするんです。」
レイは小さく息を吐く。
「私の立場を考えてくれているのも、分かっています。」
「けれど。」
「もう少し、自分のために生きてほしいとは思っています。」
「……そうだったのか。」
ウォーレンは、深く頭を下げた。
「事情を確認もせず。」
「押しかけてしまって、申し訳ない。」
「いえ。」
レイは慌てて首を横へ振る。
「お嬢様が。」
「本当に、うちの妹を大切に思ってくださっていることが分かりました。」
「そして、ウォーレン様も。」
「アイリスのために、大金を惜しみなく使おうとしてくださった。」
「私は、とても嬉しいです。」
(格好いい……。)
この瞬間。
マリーの中から。
アイリスの主人、悪魔説は完全に消滅した。
目の前にいるのは。
とても若く。
とても格好いい。
アイリス思いの、優しいお兄さんだった。
「そこで。」
レイが少し考え、ウォーレンを見る。
「ウォーレン様へ、お願いがあります。」
「なんだね?」
「マリーさんが、アイリスと遊びたい時は。」
「私へ、依頼をしていただけませんか?」
「仕事として。」
「アイリスを、マリーさんのもとへ行かせます。」
「はは……。」
ウォーレンは思わず笑った。
「いくらでも払おう。」
「では。」
レイも笑う。
「近所の定食屋で、アイリスへ昼食をご馳走していただくくらいで。」
「それでは依頼料にならないだろう。」
「十分ですよ。」
気づけば。
ウォーレンとレイは、すっかり打ち解けた様子で話していた。
アイリスを救うための決戦。
そのつもりで来たはずなのに。
思っていたものとは、まったく違う展開になっている。
けれど。
マリーには、まだ一つだけ不安が残っていた。
「あの。」
マリーは、アイリスへ向き直る。
「アイリスちゃん。」
「私と仲良くしたり。」
「遊んだりするの、嫌?」
正直に聞いた。
アイリスは、しばらくマリーを見つめる。
「……嫌じゃない。」
「本当は。」
「マリーと、遊びたかった。」
「…………。」
「でも、私は奴隷だし。」
「エルフの里から、ほとんど出たこともなかった。」
「私の里は、人族に襲われたこともあるから。」
「人族と話すのが、少し苦手だった。」
アイリスは、自分の手を見つめる。
「どうすればいいのか、分からなかった。」
「それでも。」
静かに顔を上げる。
「マリーだけは。」
「こんな私へ、ずっと話しかけてくれた。」
「今日も。」
「家まで来てくれた。」
「友達なんて、できたことがなかったから。」
「ちゃんと話せてなかったかもしれないけど。」
アイリスの口元に。
小さな笑みが浮かぶ。
「私は。」
「マリーが好きだよ。」
「アイリスちゃあああん!!」
マリーの涙腺が、限界を迎えた。
そのまま勢いよく、アイリスへ抱きつく。
「私たち、友達だよぉぉ!」
「これからも、よろしくねぇ……!」
「……うん。」
アイリスは驚きながらも。
泣きじゃくるマリーの背中へ、そっと腕を回した。
これから。
一緒に、いろいろな場所へ行ける。
街を歩き。
買い物をして。
同じものを食べて。
たくさん話ができる。
それが。
マリーには嬉しくて仕方なかった。




