アイリス売却編!?
グランフェルナ王立魔導学園。
中等部の校舎に囲まれた中庭。
昼休みを迎えたそこでは、生徒たちが思い思いの場所で食事を取っていた。
その一角。
中庭を見渡せるベンチに、一人の少女が座っている。
淡い水色の髪は、肩口で端正に切り揃えられている。
同じ色の瞳と相まって、どこか透き通るような印象を与えていた。
人族とは異なる、細く尖った耳。
幻想的な雰囲気を纏う、エルフの少女。
アイリス。
彼女は自分の昼食を少しずつ千切りながら、足元へ集まった小鳥たちへ分け与えていた。
その光景を、離れた場所から見つめている少女がいた。
マリー・トーリア。
グランフェルナ王国でも名の知れた上級貴族、トーリア家の長女。
この春から、アイリスと同じ中等部一年へ通っている。
そんなマリーには。
最近、深刻な悩みがあった。
(今日も一人で食べてる……。)
(やっぱり綺麗……。)
(鳥さんと遊んでる……尊い……。)
「はっ……!」
見惚れている場合ではない。
昼休みは限られている。
迷っている間に、貴重な交流の機会が終わってしまう。
マリーは弁当を抱え、小走りでアイリスのもとへ向かった。
「アイリスちゃーん!」
声をかけると。
アイリスがゆっくりと顔を上げる。
「一緒にご飯食べよ!」
「……いいよ。」
「やった!」
マリーは弾むように返事をし、隣へ腰を下ろした。
アイリスは会話が得意ではないらしい。
自分から誰かへ話しかけることは、ほとんどない。
人と距離を置くような雰囲気もあり、アイリスが途中入学してきたばかりの頃は物珍しさから声をかけていた生徒たちも、今では少なくなっていた。
けれど。
マリーは知っている。
アイリスは、決して冷たい子ではない。
困っている生徒がいれば、黙って手を貸している。
勉強も熱心で、分からないところがあれば授業後に教師のもとへ質問へ向かう。
何より。
動物と接している時の表情は、とても優しい。
「アイリスちゃんって、鳥さんとお話できるの?」
マリーが尋ねると。
アイリスは足元の鳥を見ながら、静かに答えた。
「話せるわけじゃない。」
「少し、気持ちが分かるだけ。」
「わあ、すごい!」
「かっこいいね!」
「……ありがとう。」
アイリスの口元が、ほんの少し緩んだ。
その小さな変化だけで、マリーの胸はいっぱいになる。
(やっぱり優しい子なんだよね。)
だからこそ。
マリーには、どうしても許せないことがあった。
アイリスの額の中央。
そこに刻まれている、奴隷の証。
アイリスは奴隷だった。
奴隷が学園へ通っているなど、マリーは聞いたことがない。
けれど世の中には、若い女学生を囲うことを一種の道楽としている大人もいるらしい。
ましてや、アイリスは珍しいエルフ。
その主人が何を考えて、彼女を学園へ通わせているのか。
マリーには分からなかった。
「ねえ、今日一緒に帰ろうよ!」
気を取り直し、マリーは明るく誘う。
「うちの馬車で、お家まで送ってあげる!」
マリーの家がある上級区から、アイリスの暮らす中級区までは少し距離がある。
それでも。
学校帰りに友達と同じ馬車へ乗り、話をしながら帰る。
それはきっと。
とても素敵なことのはずだった。
「ごめん。」
けれど、アイリスは小さく首を横へ振る。
「今日は、ご主人様が学園の講師で来てるから。」
「一緒に帰る。」
「そっか……。」
マリーは肩を落とした。
アイリスの主人は、週に一度。
土曜日だけ、この学園で臨時講師をしているらしい。
現役の女学生を好むような変態にとって、この学園は天国なのではないだろうか。
そんな男が。
アイリスの主人だなんて。
(絶対に許せない……。)
幸い。
アイリスは家では一人で寝ているらしい。
大人になってから家族以外の男性と同じ寝床へ入ると、痛い暴力を受けることがあると父から聞いている。
婚約を結んだ相手なら、そのようなことはないらしいが。
世の中には、ごく稀に。
マリーやアイリスくらいの年齢の子供にまで暴力を振るう、悪魔のような男もいるという。
今のところ。
アイリスの身体に、目立った傷はない。
つまり。
少なくとも現在は、アイリスへそのような暴力を振るうつもりはないのだろう。
現在は。
「アイリスちゃん。」
「なに?」
「今度、絶対うちに遊びに来てね。」
「……私は奴隷だから。」
アイリスは、いつものように答えた。
「家のこともあるし、遊べない。」
「お金も持ってないから。」
「…………。」
マリーは唇を噛む。
アイリスだって。
望んで奴隷になったわけではないはずだ。
額に奴隷の証があろうと。
アイリスは自分と何も変わらない一人の少女だ。
エルフではあるけれど。
本当は、普通の子供と同じように遊びたいはず。
それを主人に禁じられているだけなのだ。
(今日、父上に相談しよう。)
マリーは、決意した。
自分はまだ子供だ。
奴隷売買に口を出せるような立場ではない。
下手に動けば。
かえってアイリスを苦しめるかもしれない。
それでも。
トーリア家の当主である父なら。
きっと、何かできるはずだった。
(絶対に、アイリスちゃんを助けるんだから。)
⸻
「父上!」
その日の夜。
マリーは帰宅した父、ウォーレン・トーリアのもとを訪れていた。
「相談したいことがあるの。」
「どうした、マリー。」
ウォーレンは書類から顔を上げる。
「お前が相談とは、珍しいじゃないか。」
「欲しいものでもあるのか?」
「欲しいもの……。」
マリーは少し考えた。
「あながち、間違ってはいないかも。」
「ほう?」
「でも、物じゃないの。」
マリーは椅子へ座る。
そして。
同じ学園へ通う、アイリスという少女のことを話し始めた。
珍しいエルフであること。
優しく、努力家であること。
けれど、奴隷であること。
主人に遊ぶことを禁じられ、休むことなく働かされていること。
その主人が学園の講師をしていること。
大切な友達を。
どうにかして救いたいこと。
ウォーレンは途中で口を挟まず、娘の話を最後まで聞いた。
「……なるほど。」
話を聞き終えると。
ウォーレンは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「なかなか難しい問題ではあるな。」
「その子の主人については、私も多少聞いている。」
「他国出身の若い男で、講師としても、軍事面でも評価が高いらしい。」
「学園側も、ほとんど正規講師として見ているそうだ。」
「でも!」
マリーは身を乗り出す。
「いくら奴隷でも、休みもなく働かせるなんて、あんまりだと思うの!」
「だから、何とかアイリスちゃんをその人から引き離したいの!」
「落ち着きなさい。」
ウォーレンは、静かに娘を制した。
「その男は、奴隷であるアイリスちゃんを学園へ通わせているのだろう?」
「それも、王立魔導学園へ。」
「うん……。」
「彼は貴族ではない。」
「中級区で何でも屋を営む、しがない店主だとも聞いている。」
「そんな男が、高額な学費を払い、奴隷を学園へ通わせている。」
「その事実がある以上、扱いが悪いとは簡単に断定できない。」
「でも、何か目的があるのかもしれない!」
「もちろん、その可能性もある。」
「高い教養を身につけさせ、将来的に高額な技術職へ就かせるつもりかもしれない。」
「あるいは、臨時講師を引き受ける代わりに、学費を多少安く、または免除してもらっている可能性もある。」
「そんな……。」
マリーは俯いた。
「じゃあ、どうすればアイリスちゃんを助けられるの?」
「私は、奴隷としてじゃなくて。」
「友達として、これからもいっぱい楽しいことがしたいの。」
「父上の力でも、助けられないの……?」
「マリー。」
ウォーレンの声が変わった。
これまで見たことがないほど、真剣な眼差し。
「よく聞きなさい。」
「これから先。」
「お前たちは、何度も意見をぶつけ合うだろう。」
「喧嘩をすることもある。」
「相手の嫌なところを見つけることもある。」
「それでも。」
ウォーレンは、娘の目を真っ直ぐに見る。
「何があっても、アイリスちゃんを裏切らないと誓えるか?」
「…………。」
そんなの。
決まっていた。
「当たり前よ!」
「私は絶対、アイリスちゃんを裏切ったりしない!」
「約束する!」
「分かった。」
ウォーレンはゆっくりと頷いた。
「お前がそこまで大切に思っている友達を、奴隷のままにはしておけないな。」
「私が、そのアイリスちゃんを買おう。」
「……え?」
「形式上は、奴隷として買い取ることになる。」
「だが、その後は我が家の養子になってもらう。」
「養子……。」
マリーは目を見開く。
「アイリスちゃんが、私の家族になるの?」
「本人が望むならな。」
「ただし。」
ウォーレンは、もう一度厳しい表情を作る。
「これは、珍しい動物を買い与える話ではない。」
「一人の人間を、家族として迎える話だ。」
「お前にも、その覚悟を持ってもらう。」
「もちろん!」
マリーは力強く頷く。
「アイリスちゃんを奴隷として扱ったりしない!」
「絶対に裏切らない!」
「でも……。」
少しだけ不安になる。
「アイリスちゃんはエルフだし。」
「きっと、すごく高いよね。」
「それでも、いいの……?」
「お前は、あまり物を欲しがらない。」
ウォーレンは優しく笑った。
「私が買ってやると言っても、必要ないと言うことが多い。」
「そんなお前が、初めて私を頼ったんだ。」
「それに。」
「今回は物を買うのではない。」
「大切な友達を助けるために、金を使うんだ。」
「惜しんでいられないだろう?」
「父上……。」
マリーの目に涙が滲む。
「ありがとう。」
「本当に、ありがとう……。」
「ああ。」
ウォーレンは嬉しそうに、娘の頭を撫でた。
そして。
控えていた執事へ顔を向ける。
「学園の臨時講師をしている、レイという者へ連絡を取ってくれ。」
「私と娘で、直接伺う。」




