最後まで立っていた者
闘技場では。
今もなお、二人の拳が激しく交差していた。
「っ――!」
「ぬぅッ!」
レイの拳が、セルバの頬を捉える。
顔が大きく弾かれる。
直後。
セルバの拳が、レイの腹へ沈んだ。
「ぐっ……!」
身体が折れる。
それでも。
レイは退かない。
そのまま踏み込み、もう一度拳を振るう。
セルバもまた。
笑いながら、その拳を迎え撃った。
「ははっ……!」
その顔に。
試合開始前まで浮かべていた怒りは、もう欠片も残っていない。
どれだけ殴っても。
何度倒しても。
立ち上がり。
真っ直ぐ、自分へ向かってくる。
そして。
自分自身も、何度となく拳を叩き込まれている。
こんな若者は初めてだった。
十代という括りなら。
セルバはこれまで、ヒナこそが世界で最も強いと思っていた。
だが。
目の前にいる若者は。
その認識を、真正面から揺さぶっている。
「いいぞ……!」
セルバが拳を構える。
「もっと来い!」
「言われなくても……!」
レイも笑う。
「行きますよッ!!」
二人が再び激突した。
その度に。
闘技場を包む歓声は、さらに大きくなっていく。
すでに観客の多くが席から立ち上がっていた。
誰かが拳を振り上げ。
誰かがピエロの名を叫び。
誰かが《剣聖》の名を叫ぶ。
大会が始まって以来。
いや。
今年のアルベルト魔導大会で、これほどまでに闘技場が沸いた瞬間はなかった。
⸻
「そこだ!!」
「やれ!! セルバ!!」
貴賓席。
アルフォンスが、身を乗り出して叫ぶ。
「いいぞ!!」
「おい!! ピエロ!!」
「立て!!」
「まだ終わってないぞ!!」
「父上……。」
隣にいたレオンが、少し呆れたように父を見る。
「先ほどまで、ピエロ選手にあれほど怒りを向けていたのに……。」
「それとこれとは別だ!」
アルフォンスは即答した。
だが。
視線は、一瞬たりとも闘技場から離れない。
「この戦いは見逃せないぞ!」
「セルバ!! そこだ!!」
「行けぇぇぇ!!」
「…………。」
レオンはそんな父を見て。
再び闘技場へ視線を戻した。
セルバの拳。
ピエロが避ける。
そのまま腹へ拳を返す。
セルバが揺れる。
それでも倒れず。
今度は真正面から拳を返した。
「……たしかに。」
レオンの口元にも、自然と笑みが浮かぶ。
「僕も、目が離せません。」
もはや。
そこに国王も。
第一王子もなかった。
ただ。
目の前で繰り広げられる戦いに魅せられた、二人の観客がいるだけだった。
⸻
闘技場では。
なおも、拳が飛び交っていた。
レイの右。
セルバが左腕で受ける。
そのまま返された拳を、レイが肩で受け流す。
踏み込み。
腹へ。
「ぐっ……!」
セルバの身体が揺れる。
だが。
次の瞬間には、その拳がレイの頬を捉えていた。
「っ……!」
顔が弾かれる。
それでも。
二人とも、止まらない。
何度も拳は届いている。
何度も身体を捉えている。
それなのに。
決定打にならない。
拳が迫る、その瞬間。
全身を巡っていた魔力が、一気に移動する。
頬へ。
腹へ。
脇腹へ。
受ける場所へ魔力を集め。
防いだ直後には。
もう拳へ。
攻撃が終われば、再び全身へ。
流纏。
二人は互いに。
ほとんど一瞬の遅れもなく、魔力を全身へ巡らせ続けていた。
一度でも遅れれば。
その拳が、決定打になる。
だが。
レイも。
セルバも。
遅れない。
打つ。
防ぐ。
返す。
また防ぐ。
その繰り返しが。
いつまでも終わらない。
「ぐっ……!」
レイの拳がセルバの頬を打ち抜く。
セルバが大きくよろめいた。
一歩。
二歩。
それでも倒れず。
「ぬぅッ!!」
「がっ……!」
返された拳が、レイの顔面へ突き刺さる。
レイの身体が傾く。
膝が落ちかける。
だが。
踏み締める。
再び。
前へ。
そして。
「――残り一分!!」
実況の声が。
闘技場中へ響き渡った。
「エキシビションマッチ!!」
「規定時間終了まで、残り一分を切りましたぁぁぁぁ!!」
「「「おおおおおおおおおおおッ!!!」」」
歓声が。
さらに大きくなる。
「ここまで両者とも決定打を許さず!!」
「残された時間は、あとわずか!!」
「このまま時間切れとなるのか!!」
「それとも!!」
「どちらかが、この一分で倒し切るのかぁぁぁぁ!!」
レイが肩で息をしながら。
拳を構え直す。
「……あと一分。」
セルバも。
荒い呼吸のまま笑った。
「十分だ。」
レイの口元が上がる。
「奇遇ですね。」
「俺も、そう思ってました。」
二人が。
同時に地面を蹴った。
「残り五十秒!!」
拳が交差する。
レイの左が、セルバの腹へ。
「ぐっ……!」
身体が沈む。
直後。
セルバの右。
「っ……!」
レイの頬が弾ける。
「四十秒!!」
それでも。
二人とも前へ出る。
拳。
拳。
また拳。
防いでも。
避けても。
すぐ次が来る。
「三十秒ォォォ!!」
セルバの拳がレイの脇腹へ沈む。
「ぐっ……!」
レイがよろめく。
そこへ、もう一発。
頬。
「がっ……!」
身体が大きく傾く。
だが。
倒れる寸前。
踏み留まり。
「……っ!」
レイの拳が、セルバの顔面を捉えた。
「ぬっ……!」
今度はセルバがよろめく。
それでも。
やはり倒れない。
「残り二十秒!!」
「セルバァァァァ!!」
「ピエロォォォォ!!」
「行けぇぇぇぇぇ!!」
実況の声すら。
歓声に呑まれそうになる。
「十五秒!!」
二人とも。
もう全身が傷だらけだった。
呼吸は荒く。
足取りも。
最初ほど軽くはない。
それでも。
拳だけは下ろさない。
「十秒ォォォォォォ!!」
その瞬間。
実況だけではなかった。
「「「十ッ!!」」」
闘技場全体が叫ぶ。
レイが踏み込む。
「「「九ッ!!」」」
セルバも前へ。
「「「八ッ!!」」」
二つの拳が交差する。
「「「七ッ!!」」」
レイの右。
セルバの頬。
「ぐっ……!」
「「「六ッ!!」」」
セルバの左。
レイの腹。
「っ……!」
「「「五ッ!!」」」
レイがよろめく。
それでも。
前へ。
「「「四ッ!!」」」
セルバも。
拳を構え直す。
「「「三ッ!!」」」
二人が。
僅かに距離を取った。
「「「二ッ!!」」」
同時に。
拳を引く。
魔力が走る。
拳へ。
そして。
相手の拳が向かってくる、自らの顔へ。
最後の一瞬まで。
二人の魔力は、目まぐるしく全身を巡り続けていた。
「「「一ィィィィィィィッ!!」」」
二人が。
同時に踏み込んだ。
「「「ゼロォォォォォォォッ!!!」」」
――ゴッ!!
同時。
レイの拳が。
セルバの顔面を打ち抜く。
セルバの拳もまた。
レイの顔面を捉えていた。
「――ッ!!」
「ぐっ……!!」
二人の身体が。
大きく傾く。
一歩。
レイがよろめく。
二歩。
膝が落ちかける。
「っ……!」
踏み締めた。
反対側では。
セルバの身体も崩れかけている。
「ぬ……ぅッ……!」
一歩。
足が流れる。
それでも。
踏み留まる。
二人とも。
倒れない。
「…………。」
「…………。」
一瞬。
あれほど騒がしかった闘技場が。
静まり返った。
荒い呼吸だけが続く。
互いに。
倒れそうな身体を支えながら。
それでも。
最後まで立っていた。
「――試合終了ォォォォォォォォォッ!!!」
実況の絶叫が響く。
「両者!!」
「最後まで立っています!!」
「規定時間終了!!」
「よって!!」
「このエキシビションマッチ――!!」
「引き分けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」
次の瞬間。
今日一番の歓声が。
闘技場そのものを揺らした。
鳴り止まない歓声の中。
レイとセルバは。
互いにボロボロの顔で見つめ合い。
同時に、笑った。
こうして。
本年度のアルベルト魔導大会は、幕を閉じた。




