ティアの想い
「ティアさん!」
幼い少年が、目を輝かせながら駆け寄ってくる。
「セルバさんの試合、すごかった!」
「剣の力だけで、あんなに強くなれるんだね!」
「相手の攻撃が、セルバさんの剣に吸い寄せられるようだった!」
興奮したまま、小さな拳を握る。
「俺も、セルバさんみたいに強くなれるかな。」
ティアは優しく微笑んだ。
「ええ。」
「諦めなければ、必ず。」
そして、少しだけ冗談めかして続ける。
「君ならいつか、あの人を倒せるかもしれませんね。」
「本当に!?」
「ええ。」
「きっと。」
幼い少年の笑顔。
その姿に重なるように。
もうひとつの記憶が蘇る。
◇
庭では、幼いレイが魔法を失敗し、焦げた芝生を必死に土で隠している。
少し離れた場所から、二人の女性がその様子を見ていた。
「……隠せているつもりなのでしょうか。」
「ふふ。本人は完璧だと思ってるみたい。」
「先ほどから、こちらを何度も確認していますが。」
「気づいてないふりをしてあげて。あとでちゃんと叱るから。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
やがて。
女性の笑みが、ゆっくりと消えた。
「ティア姉さん。」
「どうしました?」
「あの人のことなんだけど。」
ティアの表情も変わる。
「……また、何か?」
「悪魔の初期封印がある祠へ忍び込んで、内部を調べていたみたい。」
「祠へ?」
「ええ。大臣たちに見つかって、かなり厳しく咎められたわ。」
女性は、遠くを見るように目を細めた。
「それから、国にもほとんど寄りつかなくなってしまった。」
「何を調べていたのですか?」
「分からないの。」
「何のために悪魔を調べていたのかも。」
少しだけ迷い。
「ただ……悪魔の力を欲しがっているように見えた。」
「力を?」
「何に使うつもりなのかは、私にも分からない。」
庭から、何かの割れる音が響く。
二人が振り返ると、レイが壊れた植木鉢を背中へ隠していた。
女性は困ったように笑う。
けれど。
その瞳には、不安が残っている。
「あれは、絶対に開けてはいけないものなの。」
「私たちの先祖が、ずっと守ってきた封印だから。」
「下手に解こうとすれば、何が起きるか分からない。」
ティアは黙って、その言葉を聞いていた。
女性は庭に立つ息子を見つめる。
「……ティア姉さん。」
「もし、何かあったら。」
ほんの少しだけ、声が震える。
「レイのことを、お願いね。」
「縁起でもないことを言わないでください。」
「そうね。」
女性は微笑む。
「でも、約束して。」
ティアはしばらく答えなかった。
やがて。
「分かりました。」
静かに頷く。
「何があっても、私が守ります。」
◇
セルバの拳を受けても。
ピエロは、また立ち上がる。
あの日の小さな少年とは比べものにならないほど、大きくなった背中。
その向こうへ、いくつもの記憶が重なった。
炎と瓦礫に覆われた故郷。
そこで見つけた。
涙を流し。
後悔と懺悔を、何度も繰り返していた少年。
その少年を仲間へ託し、修行へ送り出した日。
プロハンター試験の会場まで連れていった日。
そして。
仲間を失った日。
そばにいてやりたかった。
だが、できなかった。
組織を追わなければならなかった。
手掛かりを探さなければならなかった。
だから。
心を失った少年を残し、ティアは再び戦いへ戻った。
それから、時が流れ。
レイが今、一人の少女と暮らしていることを聞いた。
アイリスという、奴隷の証を持つ少女。
そして今回の優勝賞品。
魔女の口づけ。
(……やっぱり。)
(自分のためでは、なかったのですね。)
正体を隠し。
得意な武器も封じ。
大量の魔力を失ってなお。
憧れ続けた人を前に、楽しそうに拳を振るっている。
何度も、すべてを失った少年が。
今は誰かのために戦い。
再び、自分の憧れを追いかけている。
「…………。」
気づけば。
ティアの頬を、一筋の涙が伝っていた。
隣にいたレオンが、その横顔を見る。
「ティア様?」
「どうされたのですか?」
ティアは指先で涙を拭い、静かに微笑んだ。
「いえ。」
「少し……嬉しくなっただけです。」
レオンは不思議そうにしながら、再び闘技場へ目を向ける。
セルバに殴り飛ばされ。
それでも、すぐに立ち上がるピエロ。
「でも、熱くなるお気持ちは分かります。」
「僕も、こんなに興奮したのは久しぶりですから。」
どこか懐かしそうに目を細める。
「それに……あの負けず嫌いな姿。」
「昔、何度か遊んだ少年に似ているんですよね。」
ティアが静かにレオンを見る。
「少年、ですか?」
「ええ。」
「会ったのは四度ほどでしたが、顔を合わせるたびに模擬戦を挑まれました。」
レオンは小さく笑った。
「僕の方が三つも年上でしたから、一度も負けませんでしたけどね。」
「それでも、何度倒しても立ち上がってきた。」
「勝てないと分かっているはずなのに、絶対に諦めなかった。」
闘技場では。
ピエロが再び、セルバへ向かっていく。
「……何となく、似ています。」
レオンの表情に、わずかな寂しさが混じる。
「もう二度と、会うことはないんですけどね。」
ティアは一瞬だけ、レオンを見つめた。
そして。
「ふふ。」
小さく笑い、再び闘技場へ視線を戻す。
「ええ。」
「何度倒されても立ち上がるところは――」
セルバへ拳を振り抜く青年を見つめる。
「昔から、何も変わっていません。」
「…………。」
レオンは、ティアの横顔を見つめた。
その言葉の意味を聞こうとして。
けれど、口にはしなかった。
ティアも、それ以上は何も語らない。
ただ。
大切な少年が歩んできた時間を確かめるように。
その戦いを、見つめ続けていた。




