ついに、決着
ずっと見ている。
――ヒナの足元だけを。
一歩。
重力が沈む。
二歩。
身体が軽くなる。
三歩目で軸足を入れ替えた瞬間、レイの右肩だけが重くなった。
「っ……!」
突きが迫る。
レイは無理に逆らわなかった。
沈む肩に合わせて上体を落とし、そのまま前へ転がる。
切っ先が、鼻先のすぐ上を通り過ぎた。
ヒナは軽く舌打ちする。
「まだ避けるの……!」
すぐさま踵を返す。
足先で地面をなぞり、再び複雑なステップを刻み始めた。
その瞬間。
レイの視線が、わずかに細くなる。
(やっぱりな。)
(重力場を作って、その中でただ踊ってるんじゃねぇ。)
(こいつ自身が踊り続けることで――)
(重力場を組み替えてやがる。)
ヒナの足が触れた場所へ、薄い紫色の魔力が残っている。
それらは幾重にも繋がり、巨大な重力場を構成していた。
一見すれば無秩序。
だが、違う。
踏み込む位置。
足を離す順番。
重心を移す方向。
すべてに意味がある。
「何を見てるの?」
ヒナが踏み込む。
自身の重力を軽くし、一気に加速。
レイの間合いへ滑り込んだ瞬間、今度は全身を重くする。
細いレイピアへ、身体の重量と重力魔法が一気に乗った。
レイは短剣で切っ先を逸らそうとする。
だが、触れる直前。
腕だけが軽くなった。
「なっ……!」
力の込め方が狂う。
短剣が浮き上がった。
その下を、レイピアが走る。
切っ先が鼻先を浅く掠めた。
白い化粧の上へ、細い赤色が滲む。
観客席から大きな歓声が上がった。
「当たったぁぁぁ!!」
「ヒナ選手、ついにピエロ選手を捉えました!!」
ヒナは止まらない。
続けざまに身体を回転させ、舞うように次の突きを繰り出す。
レイは後方へ跳んだ。
だが、着地の直前。
両脚へ重力が襲いかかる。
――ズンッ!!
闘技場の床が沈んだ。
「ぐっ……!」
レイが膝をつく。
その隙を、ヒナが見逃すはずがなかった。
「終わりよ!」
レイピアに重力が集中する。
先ほど以上。
まともに受ければ、魔纏ごと貫かれかねない。
レイは地面へ押しつけられたまま、ヒナを見上げた。
だが。
その口元には、わずかな笑みが浮かんでいる。
「……何?」
「いや。」
レイは重力に逆らわず、両手を地面についた。
「やっと分かった。」
「お前のその踊り――」
掌から、地面へ魔力が流れ込む。
ヒナの表情が変わった。
「土系譜……?」
「足場があってこそだろ。」
次の瞬間。
闘技場が、轟音とともに砕けた。
――ドゴォォォォンッ!!
レイを中心に亀裂が走る。
一本。
二本。
それどころではない。
無数の亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、重力場の範囲内にある床を根こそぎ隆起させていく。
石畳が割れる。
地面が沈む。
巨大な岩盤が次々と突き上がり、平らだった闘技場が一瞬にして荒れ地へ変貌した。
「なっ――!」
ヒナが飛び退く。
軽くした身体で崩れる地面を避けようとするが、着地点そのものが次々と砕けていく。
踏み込めない。
足を置けない。
ステップが途切れる。
地面を覆っていた紫色の術式が、不規則に明滅した。
「何よ、これ……!」
「こんなの、普通の土魔法じゃ……!」
実況席からも、絶叫に近い声が響いた。
「な、なんということでしょう!!」
「ピエロ選手、闘技場の地形そのものを破壊しました!!」
「これは――ヒナ選手の動きを封じるつもりかぁぁぁ!!」
ヒナは崩れた石畳へレイピアを突き立て、どうにか身体を支える。
しかし。
重力場はすでに崩れ始めている。
レイはゆっくりと立ち上がった。
鼻先を伝っていた血は、すでに止まっていた。
攻撃を受けたことで強まった魔纏が、傷口からの出血を自然に遮断している。
「この魔法だけが厄介だったからな。」
片足を引く。
右脚へ、魔力が集中していく。
「悪いな、ヒナ。」
「もう終わりだ。」
ヒナは歯を食いしばる。
「まだよ……!」
途切れかけた術式へ、残る魔力を無理やり流し込む。
レイの身体が再び重くなった。
だが。
先ほどまでとは違う。
範囲も。
精度も。
重力を切り替える速度も。
すべてが乱れている。
ヒナは自身を限界まで軽くし、砕けた岩盤を蹴った。
一直線。
最後の突き。
切っ先へ、残った魔力のすべてを集める。
「グラビート――」
レイが踏み込んだ。
重力によって身体が沈む。
だが、その沈み込みすら利用し、右脚へ力を溜める。
「スピアァァッ!!」
レイピアが迫る。
レイは身体を半歩だけずらした。
切っ先が脇腹を浅く掠める。
同時に。
地面を抉るほどの踏み込みから、右脚が振り抜かれた。
ヒナも反応していた。
攻撃が来ると分かった瞬間、腕から腹部へ魔力を移動させようとする。
しかし。
わずかに遅い。
乱れた足場。
崩れた重力場。
最後の突きへ魔力を集中させた、その一瞬。
レイの蹴りが、ヒナの脇腹へ叩き込まれた。
――ドンッ!!
「がっ……!」
ヒナの身体がくの字に折れる。
口元から血が飛び散った。
そのまま地面と平行に吹き飛び、砕けた石畳を何度も跳ねる。
一度。
二度。
最後に隆起した岩盤へぶつかり、動きを止めた。
「……やっぱり。」
ヒナは震える腕で、身体を起こそうとする。
「強い……なんてもんじゃ……。」
レイを睨もうとするが、視界が揺れる。
「勝てなかった……。」
「くっ……。」
そこで、ヒナの身体から力が抜けた。
地面へ倒れる、その直前。
闘技場を覆う術式が戦闘不能を感知する。
淡い光が、ヒナの全身を包み込んだ。
口元を濡らしていた血が消え、蹴りによって傷ついた身体も戦闘開始前の状態へと戻っていく。
そして次の瞬間。
ヒナの姿は、闘技場から消えていた。
一瞬の静寂。
直後。
会場全体が揺れるほどの歓声が巻き起こった。
「決まったぁぁぁぁぁ!!」
「大どんでん返しです!!」
「序盤から圧倒的に試合を支配していたヒナ選手!!」
「しかしピエロ選手、動きを封じるために闘技場そのものを破壊!!」
「最後は一瞬の隙を突き、強烈な蹴りで決着をつけました!!」
「アルベルト魔導大会、今年の優勝者は――」
「謎のピエロ選手です!!」
観客たちが立ち上がる。
割れんばかりの拍手と歓声が、闘技場を埋め尽くしていた。
だが。
その熱狂とは対照的に。
貴賓席だけは、妙な静けさに包まれていた。




