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LAVeLESS  作者: 神矢
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63/90

バルテシア教授の助手

 バルテシアはレイの家の前に立っていた。


「…………。」


 なぜ来た。


 頭を冷やすために外へ出た。


 少し歩くつもりだった。


 それだけだ。


 なのに気づけば中級区まで来て、近所の人間に道まで尋ねて、今ここにいる。


「…………帰るか。」


 呟いた、その時だった。


 玄関の扉が開く。


「あれ?」


「…………。」


 出てきた少女と目が合った。


 一瞬の間。


「こんばんは。バルテシア先生。」


「……アイリスくんか。」


「はい。」


 アイリスが丁寧に頭を下げる。


「こんな時間にどうされたんですか?」


「いや……。」


 バルテシアは僅かに視線を逸らした。


「近くを通ったのでね。」


「そうですか。」


「…………。」


「どうぞ。」


「……ん?」


「レイにご用事ですよね?」


「…………まあ。」


「こちらへどうぞ。」


「あ、あぁ。」


 自然に案内される。


 断る理由を探す間もなかった。


 アイリスについて中へ入り、一階の事務所へ。


「こちらでお待ちください。」


 応接室へ案内される。


「今、呼んできます。」


「すまない。」


 扉が閉まった。


「…………。」


 バルテシアは一人になる。


 机。


 椅子。


 整えられた室内。


「…………。」


 何でも屋。


 そうだった。


 ここは自宅であると同時に、あの男の仕事場でもあるらしい。


 ――しかし。


 どうする。


 自分は何をしに来たのだ。


 三日間考えて分かりませんでした。


 君なら何か思いつきませんか。


 そう聞くのか?


「…………。」


 別におかしくはない。


 研究者同士で意見を求めることなど珍しくもない。


 自分だって過去に何度もやっている。


 だが――。


 研究者?


「あいつが?」


 ローレン理論すら知らなかった男だぞ。


 魔法理論を体系的に学んだ形跡もない。


 なのに。


「…………。」


 今回の発端を作ったのも、あいつだ。


 それも数分で。


「失礼します。」


 扉が開いた。


「どうしたんですか、バルテシア先生。」


 レイが入ってくる。


「あぁ。」


 バルテシアは姿勢を正した。


「いや……。」


「はい。」


「…………。」


 言え。


 ここまで来たのだ。


 あの理論について――。


「アイリスくんは、入学して一ヶ月少しか。」


「え? あぁ、はい。そうですね。」


「優秀な生徒だと聞いている。」


「そうなんですか?」


「あぁ。学業でも、すでに学年の上位にいるそうだ。」


「へぇ。頑張ってるんだな。」


「…………。」


 知らなかったのか。


「それで。」


「はい。」


「……学園の方はどうだね。」


「アイリスですか?」


「あぁ。」


「楽しそうですよ。」


「そうか。」


「はい。」


「…………。」


「…………。」


「それは何よりだ。」


「ありがとうございます。」


「…………。」


「…………。」


 会話が終わった。


 ――違う。


 私はこんな話をしに来たんじゃない。


「…………。」


「他に何か?」


「あぁ、いや。」


 バルテシアの頭の中に、三日間見続けた式が浮かぶ。


 聞けばいい。


 たった一言だ。


 あの続きについて、君の意見を聞きたい。


 それだけでいい。


「…………先日の。」


「はい。」


「ローレン理論だが。」


「あぁ。」


 レイが頷く。


「あれ、どうなりました?」


「…………。」


 どうなりました?


 まるで自分も続きを気にしていたような口振りだった。


「……研究を続けていた。」


「やっぱり。」


「やっぱり?」


「先生、あの後ずっと黒板見てましたから。」


「…………。」


「俺もちょっと気になってたんですよね。」


「…………そうか。」


「はい。」


 その瞬間。


 三日間、一人で抱えていたものが、僅かに軽くなった


「……途中までは進んだ。」


「お。」


「だが、どうしても一ヶ所、成立しない。」


「どこです?」


「…………。」


 バルテシアはレイを見る。


 そして、鞄へ手を伸ばした。


「これだ。」


 大量の紙を机に広げる。


「うわ。」


「ここまでは成立する。」


「はい。」


「問題はここだ。この値を維持したまま、こちらを変動させる必要がある。しかし――」


「あー……。」


 レイが椅子を引いた。


 座る。


「なるほど。」


「何か分かるか?」


「ちょっと待ってください。」


「あぁ。」


「…………。」


「…………。」


 レイが紙を見る。


 一枚。


 もう一枚。


 途中の式を指で追いながら、しばらく考える。


「…………。」


「…………。」


「あ。」


 レイの指が止まった。


「これ……昔、本で見たやつ使えそうです。」


「本?」


「はい。名前は覚えてないんですけど。」


「どんな理論だ。」


「えーっと……。」


 レイは紙を一枚取った。


「確か、こういう考え方だったはずです。」


 簡単な図を書く。


「ここの変化を直接追うんじゃなくて、一回こっちを基準にして――」


「…………。」


 バルテシアの目が細くなる。


「それで、こっちとの差を見る……みたいな。」


「…………。」


「細かいところは覚えてないですけど。」


「待て。」


「はい?」


「それをどこで知った。」


「どこって……。」


 レイが考える。


「子供の頃に、図書室で本を読んだ記憶があります。」


「…………図書室?」


「はい。」


「何という本だ。」


「覚えてないです。」


「著者は?」


「それも。」


「……いつ頃だ。」


「いつ……。」


 レイが記憶を辿る。


「四歳くらいだったかな。」


「…………。」


 バルテシアが止まった。


「何歳?」


「四歳くらいです。」


「…………。」


「多分ですけど。」


「四歳。」


「はい。」


「君は四歳で、これを読んだのか?」


「読んだというか……まあ、本を色々読んでた時期だったので。その中にあったんだと思います。」


「…………。」


 バルテシアは、レイが書いたものへ視線を落とした。


 間違いない。


「……ボルマタナスの変位相関仮説だ。」


「そういう名前なんですか?」


「君が今説明したものはな。」


「へぇ。」


「…………。」


 四歳。


 バルテシア自身、幼少期には神童と呼ばれていた。


 同年代の子供とは比較にならないほど早く学問を理解し、教師からも将来を期待されていた。


 だが。


 四歳の自分が何をしていた。


「…………。」


 少なくとも、こんな本は読んでいない。


 読めたとしても、理解できたとは思えない。


「……君は、内容を理解していたのか?」


「全部かは分かりませんよ。昔なんで。」


「…………。」


「でも、面白そうなところは色々考えてたと思います。」


「考えていた?」


「はい。これってこうしたらどうなるんだろう、とか。別のやつと組み合わせたらどうなるんだろう、とか。」


「…………。」


「子供だったんで、適当なのも多かったと思いますけど。」


「…………。」


 四歳から。


 本を読むだけではない。


 書かれているものを理解しようとする。


 組み替える。


 別の知識と繋げる。


 自分なりに試す。


 それを――。


 おそらく、何年も繰り返してきた。


「…………。」


 バルテシアはレイを見る。


 先日の講義でもそうだった。


 初めて聞いた理論を、異常なほど早く理解した。


 ただ覚えるのではない。


 前提を理解し、分解し、別の形に組み直す。


 まるで、それが当たり前であるかのように。


「…………なるほど。」


「何がです?」


「いや。」


 理解した。


 いや。


 理解したことにする。


 四歳という年齢については考えない。


 世の中には、自分の理解を超える神童が存在することもある。


 自分自身、そう呼ばれて育った人間だ。


 ならば。


 その極端な例が目の前に一人くらいいても――。


「…………。」


 いるか?


「先生?」


「……いい。」


「はい?」


「今はそれでいい。」


「はぁ。」


 バルテシアは無理矢理思考を切った。


 重要なのはそこではない。


「それより、君が今説明したのはボルマタナスの変位相関仮説だ。」


「そうなんですね。」


「あぁ。だが、一般にはほとんど知られていない。」


「そうなんですか?」


「学園でも教えていない。本気で魔法理論の研究へ進んだ者ですら、知らない者の方が多い。」


「へぇ……。」


「…………。」


 なのに。


「ローレン理論は知らないのだな?」


「知らないです。」


「これは知っている。」


「本で見たので。」


「…………。」


 基礎中の基礎は知らない。


 専門家でも知らないような古い仮説は知っている。


 しかも四歳で読んだ。


「…………君の知識はどうなっているんだ。」


「さあ……?」


「なぜ本人が分からんのだ!」


「必要なものを適当に覚えてきただけなんで……。」


「…………。」


 体系がない。


 あまりにもない。


 だが――。


 妙に納得できる部分もあった。


 正式な教育を受け、基礎から順番に積み上げた人間ではない。


 幼い頃から興味の赴くままに本を読み、自分で考え、必要なものだけを拾い続けてきた。


 だから穴だらけ。


 その代わり。


 知っているものについては、異常なほど深い。


「まあ、それはいいとして。」


「……よくはない。」


「これ、使えません?」


「…………。」


 バルテシアは紙を見る。


「……今はいい。」


 考えるべきことが多すぎる。


 だが今は――研究だ。


「そのままでは無理だ。適用条件が違う。」


「あ、だめですか。」


「この仮説が想定しているのは――」


 バルテシアが説明する。


「あー……それって。」


「だから、今回の条件では成立しない。」


「そのままなら、ですよね?」


「…………何?」


「ここ変えたらいけると思ったんです。」


 レイが紙に書き足す。


「待て。それではこちらとの整合性が――」


「じゃあ、こっちも一緒に。」


「いや、それでは……。」


 バルテシアが止まる。


「…………。」


 計算する。


 紙を引き寄せる。


「…………。」


「どうです?」


「黙っていろ。」


「はい。」


 猛烈な勢いで式を書いていく。


 一枚。


 二枚。


 途中で一度戻る。


「違う……ならこちらを……。」


 さらに書く。


 そして。


「…………。」


 手が止まった。


「あ。」


「…………いける。」


「やっぱり。」


「待て。」


「はい?」


「なぜ式もなしに分かった。」


「え?」


「君は今、計算していないだろう。」


「あぁ。」


 レイは紙を見る。


「昔見たやつを思い出して、ここの考え方だけ使えばいけそうだなって。」


「それだけか?」


「はい。」


「…………。」


「実際いけたんですよね?」


「……今のところはな。」


「じゃあ次いきましょう。」


「…………。」


 バルテシアはしばらくレイを見る。


 だが。


「……まあいい。」


 今はこいつについて考える時間ではない。


 研究の方が重要だ。


「次はここだ。」


「はい。」


 二人で続きを追う。


 しばらくして。


「ここからは実際の魔力挙動を確認する必要があるな。」


「じゃあ、やります?」


「やる?」


「はい。」


「いや、待て。この状態を再現するには相当高度な魔力操作が必要だ。検証を行うなら、それに適した魔導士を――」


「…………。」


「…………。」


 レイの掌に魔力が集まった。


 その流れが変わる。


 分かれる。


 僅かに異なる挙動を保ったまま、再び重なる。


「こんな感じですか?」


「…………。」


「違います?」


「…………もう一度。」


「はい。」


「今度はもっとゆっくりだ。」


「分かりました。」


 再び魔力が動く。


「…………。」


「どうです?」


「……合っている。」


「じゃあ、ここまでは問題ないですね。」


「…………。」


「次いきます?」


「…………。」


「先生?」


 バルテシアは黙ってレイを見る。


 本来なら。


 実際に検証するだけでも、専門の人間を用意する必要がある。


 理論を説明する。


 必要な魔力操作を理解させる。


 練習させる。


 条件を整える。


 その上で、ようやく検証に入る。


 それを。


 今。


 目の前の男は、説明を聞いただけでやった。


「…………。」


 理論を理解する。


 新しい発想を出す。


 遥か昔の、ほとんど知られていない仮説まで突然持ち出す。


 その使い方を思いつく。


 そして。


 必要になれば、その場で魔法として再現する。


「…………。」


 助手。


 いや。


 これは助手ではない。


 研究者。


 実験者。


 魔導士。


 どれだ。


「…………。」


 レイは何でも屋を名乗っている。


 バルテシアはしばらく考え――。


「…………あぁ。」


 納得した。


 こいつ、何でも屋だったな。


「先生?」


「いや。何でもない。」


「そうですか。」


「あぁ。」


 バルテシアは新しい紙を取った。


「続きをやるぞ。」


「はい。」


 こうして、バルテシアは十数年ぶりに助手兼共同研究者を手に入れた。

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