Researcher
土曜日。
一年Sクラス、戦闘魔法術。
「――だから、相手より魔力量が多いからって、それだけで有利だとは思わない方がいい。」
レイは黒板に簡単な図を書いた。
「もちろん、多い方が選択肢は増える。」
「長期戦にも強い。」
「でかい魔法も使いやすい。」
「基本的には多い方がいい。」
生徒たちは静かに話を聞いている。
「でも、実際に戦う時に重要なのは、その魔力をどう使うかだ。」
後方。
教室の扉が静かに開いた。
数人の講師と共に、一人の男が入ってくる。
「…………。」
レイがちらりと見る。
バルテシア・アバルテス。
「あ。」
小さく声が漏れた。
――俺のこと嫌いな教授だ。
なぜか知らないが、会うたびに妙な目で見てくる。
睨まれている、と言ってもいい。
最初に会った時からそうだった。
「…………。」
今日も見ている。
やっぱり睨んでる。
――まあ、いいか。
何か言われたわけでもない。
レイはそのまま黒板へ向き直った。
「例えば、同じだけ魔力を使ったとしても――」
⸻
バルテシアは黙って講義を聞いていた。
初めてだった。
レイが一年Sクラスで戦闘魔法術を担当するようになってから、それなりの時間が経っている。
評判は聞いている。
生徒からも。
他の教師からも。
悪い話は、ほとんど聞かない。
それでも。
バルテシアが自ら講義を見に来ることはなかった。
「――ここで一回、相手の立場になって考えてみろ。」
レイが生徒へ問いかける。
「自分より魔力が少ない相手が、わざわざ正面から大きな魔法を撃ってきた。どう思う?」
一人が手を挙げる。
「何か狙いがあると考えます。」
「そうだな。じゃあ何を警戒する?」
別の生徒が答える。
「魔法そのものが囮である可能性です。」
「うん。例えば?」
「視界を塞いで接近する。」
「あるな。」
「別方向から魔法を撃つ。」
「それもある。」
次々と意見が出る。
レイは否定しない。
答えを一つに絞ろうともしない。
出てきた答えを拾い、その先へ繋げていく。
「じゃあ逆に、お前らが仕掛ける側なら?」
また手が挙がる。
教室の空気は軽い。
だが、緩んではいない。
全員が考えている。
「…………。」
バルテシアは腕を組んだ。
――分かりやすい。
まず、それを認めざるを得なかった。
専門用語を必要以上に使わない。
だが、内容を薄めているわけでもない。
生徒自身に考えさせながら、必要なところだけ修正している。
それに――。
「そもそも、相手がこう動くって前提で考える必要もないからな。」
レイが黒板の図を消す。
「相手が何をするか分からないなら、自分が何をされたら困るかを先に考えた方が早いこともある。」
「…………。」
まただ。
先日の魔法理論学と同じ。
既存の考え方を否定しているわけではない。
理解したうえで、当然のように別の方向から見る。
発想が柔らかい。
いや。
柔らかいという言葉だけでは足りない。
前提そのものに拘泥しない。
そして、それを生徒にも分かる言葉へ落としている。
「…………なるほど。」
小さく呟く。
これなら。
生徒から評価が高いのも頷ける。
「…………。」
――いや。
バルテシアの眉間に皺が寄った。
何を感心している。
今日はこいつを褒めに来たのではない。
先日の魔法理論学。
あれが本当に偶然だったのか。
少しばかり発想が変わっているだけなのか。
それを確かめに来たのだ。
ちょうど講義が一区切りついた。
「レイ先生。」
「はい?」
突然呼ばれ、レイが振り返る。
「少しいいかね?」
「はい。なんでしょう。」
バルテシアが前へ出る。
「君に一つ聞きたい。」
「はい。」
「――ローレン理論についてだ。」
「…………。」
「君なら、何か改善点を挙げられるかね?」
「すみません。」
レイは即答した。
「それ、知りません。」
「…………。」
バルテシアが止まる。
「知らない?」
「はい。」
「ローレン理論を?」
「はい。」
「…………。」
予想外だった。
かなり有名な理論だ。
とはいえ――。
魔法理論学を専門としていない者が知らなくとも、おかしくはない。
内容もかなり高度になる。
「……理論そのものを知らないということか。」
「そうですね。名前も初めて聞きました。」
「ふむ。」
なら仕方がない。
「簡単に説明しよう。」
「お願いします。」
バルテシアは黒板へ向かった。
要点だけを書く。
「ローレン理論とは――」
説明は短い。
細かな成立過程や派生理論は省く。
今必要なのは、その骨格だけだ。
「――以上だ。」
「なるほど。」
レイが黒板を見る。
「つまり、ここを固定した状態で、こっちの変化を予測するわけですね。」
「そうだ。」
「ふーん……。」
理解は早い。
そこは先日の一件で分かっている。
「…………。」
レイが黒板を見つめる。
「んー……。」
バルテシアの口元が僅かに緩んだ。
――くくく。
考えている。
だが、無駄だ。
後方で見ていた教授たちも、互いに顔を見合わせた。
明らかに意地の悪い質問だった。
ローレン理論。
この分野に関わる者なら、誰もが知る完成度の高い理論の一つ。
発表されてから数十年。
世界中の研究者が検証した。
反証を試みた。
改良も試みた。
そのたびに細部は補強され――現在の形になった。
今さら簡単に見つけられるような改善点など、残っていない。
まして。
今初めて理論を知った男に。
「…………。」
レイはまだ黒板を見ている。
バルテシアは腕を組んだ。
ないものを考えても仕方がない。
さて。
どこで諦める。
「……あ。」
「ん?」
レイが黒板へ近づいた。
「これならどうでしょう。」
「…………なに?」
バルテシアの表情から、笑みが消えた。
レイは黒板の端を指す。
「ここです。」
「…………。」
「この理論って、最初にこれを固定してますよね?」
「あぁ。」
「だったら――」
レイはチョークを取った。
「固定しなければいいんじゃないですか?」
「…………。」
教室が静かになった。
バルテシアは黒板を見る。
「いや。」
すぐに答える。
「それでは、この条件が成立しない。」
「あぁ、はい。」
「さらにこちらの値も不定になる。結果として理論全体が――」
「あ、じゃあ。」
レイが一本、線を引いた。
「ここも一緒に動かします。」
「…………。」
「これなら?」
「…………待て。」
バルテシアが黒板へ近づいた。
「その場合――」
式を追う。
「…………。」
違う。
これでは別の場所に問題が出る。
「ここだ。」
「あー。」
レイも見る。
「確かに。」
「だから成立しない。」
「じゃあ……。」
レイが少し考える。
「こっちを先に変えたら?」
「それでは――」
言いかけて。
止まった。
「…………。」
頭の中で組む。
「……いや。」
もう一度。
「…………。」
バルテシアがチョークを取った。
「待て。」
自分で書く。
「ここをこうして……。」
「なら、こっちはそのままでいいですよね。」
「いや。そこは残すな。こちらへ回せ。」
「あぁ、なるほど。」
「そうすれば……。」
「…………。」
「…………。」
二人とも黙った。
黒板を見る。
後ろにいる教師たちも、もう口を挟まない。
「…………レイ。」
「はい?」
「今の発想。」
「はい。」
「どこで知った?」
「え?」
「何の理論を参考にした?」
「いや。」
レイが首を傾げる。
「今考えましたけど。」
「…………。」
「これじゃ駄目ですか?」
「…………。」
バルテシアは答えなかった。
黒板を見る。
もう一度、最初から追う。
完成してはいない。
問題も残っている。
この場で「改善された」などと言える段階ではない。
だが。
研究する価値がある。
「…………。」
数十年。
世界中の研究者が精査してきた理論。
完成されている。
そう考えられていたものに。
今初めてその理論を知った男が。
数分で。
新しい検討方向を一つ作った。
「……なに?」
今度の呟きは。
レイに向けたものではなかった。




