バルテシア・アバルテス教授とアイリスの入学
テオから戻ってきて、と頼まれた次の日。
レイは再び、王立魔導学園を訪れていた。
案内された先で待っていたのは、バルテシア・アバルテス教授だった。
「来てくれたことには感謝する。」
「いえ。」
バルテシアは、わずかに眉を寄せながらレイを見る。
正直なところ、気に食わない男だった。
そもそも最初から気に食わなかった。
だからこそ、正規講師が決まった時もすぐに契約を打ち切った。
あまりにもあっさり了承されたことには多少の違和感もあったが、臨時なのだから当然だと、その時は深く考えなかった。
だが――。
打ち切り後、たった二週間。
完全にこちらの都合で呼び戻したのだ。
Sクラスは新任講師の授業を拒絶。
それどころか、一部の講師の授業まで受けなくなり、今や学園全体を巻き込む騒ぎになっている。
学園側としては、レイを戻せば状況が動く可能性が高いと見ていた。
生徒たちは、レイの講義だけは真面目に受けていた。
ならば一度戻し、様子を見る。
今のところ、それが最も確実な手だった。
とはいえ、完全にこちらの都合だ。
さすがに文句の一つや二つは覚悟していた。
相手はプロハンターでもある。
だからこそ、バルテシア自身が対応している。
多少の不満なら聞く。
必要なら、なだめる。
そのつもりだった。
「受けてくれるんだね?」
「はい。とりあえず今は、俺が最適なんだな、と理解しております。」
「…………。」
何も言わない。
嫌味の一つすらない。
「……そうか。」
「ただ、一つ頼みがあります。」
「…………!」
来た。
バルテシアの目が僅かに細くなる。
やはり、何もないはずがなかった。
「言ってみたまえ。」
「うちの妹を、六月から中等部の一年に入学させてほしいんです。」
「…………。」
「もう入学日から結構経ってますし、無理ですかね?」
「……妹?」
「はい。」
「六月から?」
「できれば。」
なんだ。
そんなことか。
通常なら、年度途中での入学は認めていない。
だが、まだ新学期が始まって二か月も経っていない。
まして一人だ。
必要な手続きを済ませ、学園の求める水準に達していることさえ確認できれば、受け入れること自体は難しくない。
「試験は受けてもらうが、入学させること自体はできるだろう。」
「あ、本当ですか?」
「あぁ。」
レイが素直に笑う。
「それは嬉しいです。」
「…………。」
バルテシアは待った。
だが、続きがない。
「六月に間に合うように、試験も受けさせられますかね?」
「ん? あぁ。それはできる。」
「それで?」
「はい?」
「…………。」
「あ、試験はいつですか? 俺が連れてきます。」
「今日でもできるよ。」
「今日?」
「あぁ。」
「じゃあ、午後から連れてきます。」
「うむ。」
「では、また。」
「あぁ。」
レイは軽く頭を下げ、部屋を出ていった。
「…………。」
扉が閉じる。
バルテシアは黙って考える。
そして――。
「……分かったぞ。」
そういうことか。
自分はプロハンター。
これほどの騒ぎになっている学園から、わざわざ頼まれて戻ってきた。
そして、そのプロハンターが妹を入学させたいと言っている。
つまり――。
『当然、学費など取らないよな?』
そういうことか。
おそらく、試験には受かる前提で話している。
だから今は言わない。
試験を受けさせる。
合格する。
正式に入学資格を得た、その瞬間――。
『当然、学費等は免除ですよね?』
と来るつもりなのだ。
「くくく……。」
なるほど。
確かに一人分程度なら、学園側が負担すること自体はできる。
だが、それとこれとは話が別だ。
この学園では、王族ですら正規の費用を支払う。
プロハンターだから。
学園から頼まれて戻ってきたから。
そんな理由で身内の学費を免除するなど認められるはずがない。
午後まで時間はある。
規則。
過去の事例。
学園の理念。
必要なら設立時の記録まで確認しておこう。
どこから来ても構わない。
これだけ時間があれば――私なら完璧に論破できる。
午後。
再び扉が開いた。
「失礼します。」
「来たか。」
レイの隣には、一人の少女が立っていた。
整えられた服装。
きちんと手入れされた髪。
少女はバルテシアの前まで来ると、丁寧に頭を下げる。
「アイリスと申します。よろしくお願いいたします。」
「あぁ。よろしく。」
礼儀にも問題はない。
だが――。
「…………。」
額に刻まれた証。
奴隷か。
それだけではない。
注意深く見れば、オーラにも僅かな違和感がある。
本来あるはずの魔力の流れが、不自然に塞がれている。
魔法を使えないよう処置されているのだろう。
間違いない。
奴隷だ。
奴隷を王立魔導学園へ入れる。
何を考えている。
――いや、待て。
バルテシアは考え直す。
もし学費の免除や減額まで見越しているのなら、理屈は通る。
王立魔導学園で十分な教育を受けた者は、将来的に高給を得られる職に就く可能性が高い。
才能のある奴隷へ教育を施す。
将来的な利益まで考えれば、投資として成立しない話ではない。
「では、別室で試験を受けてもらう。」
「はい。よろしくお願いいたします。」
アイリスは別の講師に案内され、部屋を出ていった。
扉が閉じる。
「彼女は奴隷なのかね?」
「あぁ、一応、形式上はそうですね。」
「……そうか。」
「何か問題でも?」
「いや、何もない。」
「そうですか。」
「…………。」
「…………。」
短い沈黙。
「あ、学費の件なんですが。」
「…………!」
来た。
バルテシアの意識が一気に研ぎ澄まされる。
待っていたぞ。
午前中から考え続けた。
すでに完全な理論武装を終えている。
学園の規則。
理念。
過去の事例。
王族すら正規の費用を支払っているという事実。
何を言っても無駄だ。
プロハンターだから。
学園が困っているから。
奴隷だから。
妹だから。
どの理屈で来ても叩き潰してやる。
さあ、来い。
「支払いって、銀行に持っていけばいいんですか? それとも直接学園に?」
「…………ん?」
「学費です。」
「あ、あぁ。基本は銀行から学園宛に支払ってもらう。」
「分かりました。」
「…………。」
いきなりそこから来たか。
想定はしていた。
だが、まずその入りはないと考えていた。
最初に支払い方法を確認する。
あくまで払う意思があるように見せてから、本題へ入るつもりか。
「入学費と、毎月の学費はいくらですか?」
「…………。」
なるほど。
次に金額の確認。
これも想定している。
まず正規の金額を聞く。
そのうえで――。
『まあ、当然俺の場合は半額ですよね?』
あるいは、
『それくらいなら免除ですよね?』
か。
いいだろう。
何が来る。
バルテシアは入学時に必要な費用と、その後の月々の学費を説明していく。
レイは黙って聞いていた。
「――以上だ。」
「分かりました。」
「…………。」
さあ。
「では、試験を受けてる間、俺は仕事に行ってきます。」
「…………。」
レイが立ち上がった。
「……何?」
「近くで仕事あるんですよ。試験、少し時間かかりますよね?」
「あ、あぁ。」
「終わる頃に戻ります。」
「…………。」
「では、お願いします。」
「あぁ……。」
レイが部屋を出ていく。
扉が閉じた。
「…………。」
バルテシアは扉を睨む。
今だろう。
今、この時間でいいだろう。
「……焦らすな。」
数時間後。
レイは本当に戻ってきた。
「どうでした?」
「問題ない。合格だ。」
「お、よかった。」
アイリスも嬉しそうに頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「あぁ。」
バルテシアはレイを見る。
さあ。
合格した。
これで六月からの入学資格は得た。
ここだろう。
「じゃあ帰るか。」
「はい。」
「…………。」
二人が出口へ向かう。
「…………。」
まだだ。
扉の前で振り返って言うつもりか。
「では、土曜にまた来ます。」
「あ、あぁ。」
「今日はありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
レイとアイリスが頭を下げる。
「……うむ。」
「失礼します。」
扉が閉じた。
「…………。」
静寂。
バルテシアは一人、閉じた扉を見つめていた。
途中入学を頼んだ。
試験の日程を確認した。
学費の支払い方法を確認した。
金額を確認した。
試験を受けさせた。
合格した。
そして――。
帰った。
「…………。」
午前から組み上げた反論は、一つも使われなかった。
バルテシアは椅子へ深く身体を預ける。
「……あいつ、なんなんだ……。」
⸻
学園からの帰り道。
レイとアイリスは並んで歩いていた。
「よかったな。」
「……うん。」
「来年まで待たないといけないと思ってたし。」
六月から通える。
多少は特別に融通を利かせてくれたのだろう。
ルコも、事情を話せばそのくらいは融通してもらえるんじゃないかと言っていた。
頼んでみて正解だった。
「…………。」
隣を歩いていたアイリスが、自分の額へそっと触れる。
「でも……私、本当に学園に行ってもいいの……?」
「当たり前だろ。」
「でも、奴隷……。」
「奴隷だから入れないなんてない。」
レイは前を向いたまま答える。
「せっかく行くんだ。」
「勉強だけじゃなくて、同年代の社会について知ってこい。」
「……社会?」
「あぁ。いろんな奴がいるからな。」
少し歩いてから、レイが笑う。
「楽しんでこい。」
「…………。」
アイリスは俯きかけ――小さく笑った。
「うん。」
そして、もう一度。
「ありがとう。」
「おう。」
二人はそのまま、いつもの道を帰っていった。




