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LAVeLESS  作者: 神矢
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4/90

アルトーラの街と小さな観察者


「……八百ベルって、安いんじゃない?」


「さぁ?」


 レイは前を向いたまま答える。


「時間かからなかったし、そんなもんだろ。」


「でも、安すぎるって言ってたよ。」


「俺の感覚で取ってるし。」


 レイは肩をすくめる。


「安すぎると思ったなら、よかったんじゃない?」


 そう言って笑った。


 クロノは少し黙る。


 強いから頼られているのだと思っていた。


 何でもできるから、仕事が集まるのだと。


 それも、きっと間違ってはいない。


 でも。


 さっきのおばちゃんの笑顔は、それだけじゃなかった。


 安く直してもらえたからでもない。


 腕がいいからでもない。


 たぶん。


 この人に頼めてよかった。


 そんなふうに見えた。


 クロノは前を歩くレイを見る。


「……君、結構好かれてるんだね。」


「は?」


「街の人に。」


「だとしたら意味わかんねぇけどな。」


 レイは首を傾げる。


「俺、いつも『めんどくせぇ』って嫌な顔しながら仕事してんのに。」


「……そこは自覚あるんだ。」


「あるよ。」



 クロノは隣を歩きながら、次の依頼について改めて納得がいかない顔をしていた。


「それにしても、浮気調査って……。」


「そんな依頼までほんとにやるの?」


「仕方なく、な。」


「何でも屋だから。」


「……。」


「夢がない。」


「生活感はあるぞ。」


「そこじゃない。」



 レイは笑いながら角を曲がる。



 そこは商店街だった。


 早朝よりさらに人通りが増え、露店がずらりと並んでいる。


 野菜。


 果物。


 魔物の肉。


 焼き菓子。


 魔導具。


 活気に満ちたアルトーラの朝市だ。


「レイ兄ちゃーん!」


 八歳くらいの男の子が駆け寄ってくる。


「おう。」


「お手伝い中か?」


「うん!」


「頑張れよ。」


「がんばる! じゃまたね!」


 手を振りながら、駆けていく。


「子供とも遊ぶんだ。」


「たまにな。」


 さらに歩く。


「レイさん!」


 今度はパン屋の主人が店先から声を掛ける。


「昨日言ってた棚、直ったよ!」


「もう大丈夫!」


「よかった。」


「まあ、また壊れたらな。」


「毎回安くしてくれるから助かるよ!」


「その代わりパン一つサービスな。」


「ははは!」


「一本取られた!」


 笑い声が響く。


 クロノは辺りを見回した。


 さっきから。


 歩く度に誰かがレイへ話しかけてくる。


 商人。


 子供。


 職人。


 老人。


 誰もが自然に名前を呼ぶ。


「……。」


「……君。」


「なんでこんな知り合いいるの?」


「仕事柄な。」


「でも、まだ九か月くらいしか住んでねぇぞ。」


「……は?」


「え?」


「九か月?」


「うん。」


「嘘。」


「ほんと。」


「九年じゃなく?」


「九か月。」


「……。」


「そんな短期間で街中の人と知り合いになる?」


「毎日歩いて。」


「毎日誰かんち入って。」


「毎日何か直して。」


「気付いたらこうなってた。」


「毎日歩いてるとな。」


「顔くらい覚える。」


「いや。」


「向こうも覚えてる。」


「そっちがすごい。」


 レイは苦笑する。


「困ってなくても話しかけられる。」


「そういう街なんだよ。」


 その一言が、不思議と心地よかった。


 クロノは少しだけ周囲を見渡す。


 昨日は気付かなかった。


 この街は賑やかだ。


 でも、騒がしくはない。


 誰もが笑っている。


 誰もが忙しそうに働いている。


 どこか温かい。


「……いい街。」


 思わず本音が漏れた。


 レイは少しだけ嬉しそうに笑う。


「まあ。悪くはないよな。」


 その時だった。



「レイさん!」


 少し焦った声が飛んでくる。


 通りの向こうから、三十代くらいの男性が小走りで駆け寄ってきた。



「ちょうどよかった!」


「依頼の件なんだけど……。」


「奥さんがさっき家を出て行っちゃって!」


「え?」


「予定より早い。」


「どうしよう!」


 レイは腕を組む。


「……なるほど。」


「じゃあ予定変更。」


「今から追う。」


「お願い!」


 依頼人は深々と頭を下げる。


 レイは振り返り、クロノを見る。


「ここからが浮気調査。」


「静かにな。」


「尾行だから。」


 クロノは目をぱちぱちさせた。


「え?」


「ボクも?」


「観察するんだろ?」


「だったら最後まで付き合え。」


「……。」


 クロノは数秒黙ったあと、小さく笑う。


「なんか。」


「急に面白くなってきた。」


 レイはニヤリと笑う。


「どうせやるなら。」


「楽しめるところくらいは楽しまねぇとな。」



 二人は人混みに紛れながら、依頼人の妻を追い始める。


 依頼人の妻は足早に中級区を抜け、若く、長身で端正な顔立ちの男と合流した。


 二人は楽しそうに言葉を交わしながら、下級区の外れへ向かっていく。


 道中、お互い照れくさそうにしている様子も見受けられた。


 やがて人通りの少ない裏路地へ入り、看板一つない古びた建物の前で立ち止まった。


 そのまま二人は中へ入っていく。


 クロノが眉をひそめる。


「……完全に怪しい。」


「密会じゃん。」


 レイは答えず、静かに目を閉じた。


 魔力を薄く広げ、建物の中へ意識を向ける。


「……。」


 数秒後、目を開く。


「おかしい。」


「え?」


「二人じゃない。」


「中に八人いる。」


「……なんだこれ。」


 クロノは目を丸くした。


「ま、待って。」


「人数まで分かるの!?」


「まあな。」


「奥さんとあの男の魔力は覚えてるけど、他が誰かまでは分からねぇ。」


「……。」


 クロノは思わずレイを見る。


(何でも屋ってこんなことまでできるの……?)


 レイは再び建物へ視線を向けた。


「確認だけする。」


「昼飯の時間もあるしな。」


「え?」


「ちょ、ちょっと待って!」


 二人は物音を立てないよう建物の側面へ回る。


 少し開いた窓。


 レイが中を覗き込む。


 クロノも背伸びをして、その隣から中を覗いた。


 そこには――。


 エプロン姿の男女が並び、楽しそうに料理をしていた。


 白髪の老人が笑顔で鍋をかき混ぜながら声を張る。


「はい、それじゃ今日はクリームシチューですよー!」


 依頼人の妻が真剣な表情で鍋を見つめている。


 隣では、先ほどの若い男が苦笑いしながら野菜を刻んでいた。


「包丁難しいなぁ……。」


「うちの妻、料理上手なんですよ。」


「今度は俺が作って驚かせたくて。」


 依頼人の妻も笑う。


「うちも主人に内緒なんです。」


「絶対びっくりしますよね。」


「ええ。」


「だから頑張らないと。」


 クロノは呆然とした。


「……料理教室。」


 レイは窓から離れる。


「紹介制だな。」


「看板もない。」


「口コミだけ。」


「内緒で習いたい奴が来るところってわけか。」


「……なるほど。」


 クロノもようやく窓から離れた。


「じゃあ、あの男も……。」


「ただの生徒だな。」


「めちゃくちゃ怪しかったのに。」


「見た目だけで決めるからだよ。」


「君も怪しいって言ってたじゃん。」


「俺は『なんだこれ』って言っただけ。」


「ずるい。」


 レイは依頼書を懐へしまう。


「終わり。」


「飯行くぞ。」


「えっ、もう?」


「白だって分かった。」


「それで十分。」


 レイは何事もなかったように歩き出す。


 クロノはもう一度だけ、古びた建物を振り返った。


 どう見ても怪しい場所だった。


 けれど中にいたのは、誰かを喜ばせるために料理を覚えようとしている人たちだけ。


「……見た目じゃ分かんないね。」


「だから調べるんだろ。」


 レイは振り返りもせず答えた。


「決めつけるだけなら、調査する意味ねぇよ。」



 少しして、二人は依頼人の男が待つ場所へ戻った。


「どうだった!?」


 レイの姿を見るなり、男が駆け寄ってくる。


「完全に白だったよ。」


「ほんとかい!?」


「ああ。」


「少なくとも、怪しいところは何もなかった。」


「よ、よかったぁ……。」


 男は胸を撫で下ろし、大きく息を吐いた。


「レイさんが言うなら間違いないな。」


「そこまで信用されても困るけどな。」


「いやいや、こういうのはレイさんに任せるのが一番だよ。」


「そうかい。」


 レイは苦笑する。


「あと。」


「ん?」


「近所の男と一緒にいたけど。」


「えっ。」


 男の顔が一瞬で強張った。


「お前の話ばっかしてたぞ。」


「……俺の?」


「ああ。」


 レイは少しだけ笑う。


「しかも、やたら照れながら。」


「……。」


「お熱いな。」


「や、やめてくれよ!」


 男は耳まで赤くなる。


 クロノがその様子を横から眺めていた。


「じゃ、依頼終了。」


「助かったよ、レイさん!」


「ありがとな!」


「はいよ。」


 レイは軽く手を上げる。


「じゃあ行くぞ、クロノ。」


「うん。」


 二人はその場を離れ、再び商店街へ向かって歩き出した。


「……料理教室のこと、言わないんだ。」


「聞かれてねぇからな。」


「でも、知ってるのに。」


「浮気してるか調べてくれって依頼だ。」


 レイは前を向いたまま言う。


「してなかった。」


「それで終わり。」


「……。」


 クロノは少しだけレイを見る。


「変なところで真面目だね。」


「変なところは余計だ。」


 レイは腹を押さえる。


「さて。」


「仕事も終わったし。」


「飯にするか。」


 クロノもつられるように腹へ手を当てる。


「……お腹空いた。」


「だろ。」


「いい店あるぞ。」


 そう言って、レイは歩き出した。


 次の目的地は、昼時の定食屋だった。

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