アルトーラの街と小さな挑戦者
「さて。」
レイは大きく伸びをした。
「俺も働きますか。」
今日は午前中に屋根修理。
昼前には浮気調査。
午後からギルドの定例会。
夜はルコのところへ顔を出す約束もある。
「……忙しいな。」
ため息をつきながらも、足取りは軽い。
昨日みたいな酒瓶で殴られるような一日は、そうそうないだろう。
そう思いながら、中級区の石畳を歩く。
朝の市場は今日も賑やかだ。
パンを焼く匂い。
野菜を並べる八百屋。
荷馬車を押す商人。
いつものアルトーラ。
今日も、平和そのものだった。
「レイさーん!」
通りの向こうから元気な声が飛んできた。
花屋の店主が店先から大きく手を振っている。
「あとで屋根見てもらえるかい?」
「昨日の雨で一枚浮いちゃってさ!」
「えーめんどくせぇ…」
苦笑する店主。
「まあまあ。頼むよ。」
「へいへい。昼過ぎに行きますよ。」
「ありがと!」
「今度お礼に花持ってくからね!」
「仕事代だけで十分ですって。」
「相変わらず堅いねぇ。」
また別の店から
「レイー!」
「うちの魔導給湯器の調子が悪いんだけどー!」
「魔導具?今日は無理!」
「明日なら!」
「じゃあ予約しとく!」
「はいよー」
そんなやり取りをしながらしばらく歩いた、その時だった。
「見つけた。」
「……。」
聞き覚えのある声に、レイは立ち止まる。
「……げ。」
路地の壁にもたれ、腕を組んでいた小柄な人物がゆっくり歩いてくる。
濃い桃色の髪。
褐色の肌。
昨日酒瓶で殴ってきた少女。
クロノ・ペインシーズだった。
「なんでそんな嫌そうな顔するの。」
「昨日会ったばっかだろ。」
「普通する。」
「ボク傷つくよ?」
「全然傷ついてる顔じゃねぇ。」
クロノは胸を張る。
「決めた。」
「今日一日、君について行く。」
「嫌だ。却下。」
「却下しないで。」
レイはため息をつく。
「なんでだよ。」
「理由は簡単。」
クロノは真っ直ぐレイを見る。
「昨日の戦い。」
「君、本気じゃなかった。」
「……。」
「ボクはそれなりに本気だった。」
「なのに何もできなかった。」
「悔しい。」
「だから知りたい。」
「なんでそんなに強いのか。」
「一日見れば分かる気がする。」
レイは頭を掻く。
「見ても分かんねぇと思うぞ。」
「それでも見る。」
「……。」
「断っても?」
「見る。」
「帰れって言っても?」
「見る。」
「仕事だぞ?」
「見る。」
「めんどくせぇ……。」
心底嫌そうに呟く。
クロノは満足そうに頷いた。
「じゃあ決まり。」
「決まってねぇ。」
「つーか、お前。」
レイは歩き出しながら振り返る。
「この街を拠点にするって言ってたな。」
「うん。」
「だったら一つだけ覚えとけ。」
「?」
「この街じゃ、喧嘩の強さだけじゃ生きていけねぇ。」
「それと。」
「昨日みたいに酒瓶で人殴るのは禁止。」
「えー。」
「えーじゃない。」
「あと。」
少し真面目な顔になる。
「俺について来るのは勝手だけど。」
「街の人には手ぇ出すな。」
「理由があってもまず俺に言え。」
「……。」
クロノは少しだけ不思議そうな顔をした。
「信用するの?」
「昨日会ったばかりなのに。」
「信用じゃねぇよ。」
レイは肩をすくめる。
「勝手について来るなら、せめて俺の目の届くところにいろってだけだ。」
「この街を拠点にするなら。」
「最低限、紹介しなきゃいけねぇ奴らもいるしな。」
「……紹介?」
「ギルド。」
「街の連中。」
「変な奴に喧嘩売って死なれても寝覚め悪い。」
「だから今日は。」
レイは苦笑する。
「街の案内だ。」
クロノはしばらく黙っていたが、
ふっと笑った。
「……やっぱり変な人。」
「よく言われる。」
「でも。」
「嫌いじゃない。」
「まだ好きになるな。」
「いやだ。」
「早ぇよ。」
二人は並んで歩き始めた。
レイは気怠そうに石畳の上を歩く。
クロノは二歩ほど後ろを無言でついてくる。
昨日まで「勝負しろ」と騒いでいた少女とは思えないほど静かだった。
「……。」
「……。」
「……なぁ。」
「なに?」
「いつまで黙ってんだ。」
「観察。」
「観察って。」
「動物園じゃねぇぞ。」
「近いようなもの。」
「失礼な。」
クロノは真剣な顔でレイを見つめる。
「昨日から思ってたけど。」
「君、全然隙がない。」
「そうか?」
「うん。」
「歩き方も。」
「周りの見方も。」
「さっきから一度も後ろ振り返ってないのに、ボクがどこにいるか全部分かってる。」
レイは笑った。
「職業病。」
「何でも屋ってそんな仕事なの?」
「いや。」
「昔の癖。」
「……ふーん。」
その返事だけで終わる。
聞けば答えてくれる。
でも深くは話さない。
昨日からそんな男だった。
少し歩くと、一軒の住宅の前で立ち止まる。
木造二階建て。
屋根の端の瓦が数枚ずれていた。
「おーい、レイさん!」
家の中から五十代くらいの女性が顔を出す。
「あら、その子は?」
「昨日拾った。」
「拾われてない。」
クロノが即座に否定する。
「知り合いです。」
「へぇ。」
女性は優しく笑った。
「可愛い子ねぇ。」
クロノは少し照れくさそうにフードを深く被る。
「じゃ、始めますか。」
レイは屋根を見上げると、軽く地面を蹴った。
そのまま二階の屋根へ飛び乗る。
「クロノ。」
「なに?」
「来い。」
「うん。」
クロノも続いて屋根へ上がった。
ずれているのは端の瓦が数枚。
レイはその場にしゃがみ込むと、瓦へ手を触れる。
「土魔法?」
「そう。」
淡い魔力が瓦を包む。
欠けた部分が埋まり、歪んでいた形が少しずつ整っていく。
周囲の瓦に合わせるように、表面まで滑らかに馴染んでいった。
「……。」
クロノは黙ってそれを見ていた。
派手ではない。
地面を砕くわけでもなければ、巨大な岩を作るわけでもない。
ただ、壊れた瓦を直しているだけだ。
なのに。
「……綺麗。」
「ん?」
「魔法。」
クロノは直された瓦へ顔を近づける。
「こんな細かく動かせるんだ。」
「屋根直すんだから、細かくやらねぇと駄目だろ。」
「そういう意味じゃなくて。」
「?」
「……もういい。」
レイは首を傾げながら立ち上がる。
「これで終わりっと。」
そこで、屋根の端へ目をやった。
「あー。」
「なに?」
「雨どい詰まってんな。」
枯れ葉と細い草が、雨どいの途中に固まっている。
「ついでに取っとくか。」
レイが指先を向ける。
次の瞬間。
細い風が雨どいの中を走った。
枯れ葉だけを押すように流れ、一箇所へ集まっていく。
周囲には一枚も飛び散らない。
レイはまとまったそれを掴むと、小さく丸めた。
「よし。」
「……。」
「今度はなんだよ。」
「風も使えるの?」
「使える。」
「土も?」
「使っただろ。」
「……他には?」
「まあ、いくつか。」
クロノは少し考えるようにレイを見る。
「だから何でも屋?」
「ん?」
「いろんな属性が使えるから。」
「さあな。」
レイは特に気にした様子もなく、屋根から地面を見下ろした。
「便利ではある。」
そう言って、先に飛び降りる。
クロノはもう一度、綺麗に直された瓦を見る。
昨日見たのは、戦うレイだった。
速くて、強くて、何をしても届かなかった。
けれど今見た魔法は、それとはまるで違う。
小さくて。
静かで。
驚くほど繊細だった。
「……何でも屋、か。」
クロノは小さく呟く。
「クロノー。置いてくぞ。」
下から声が飛んでくる。
「今行く。」
クロノも屋根から飛び降りた。
下へ降りると、おばちゃんが笑顔で迎えた。
「助かったよー。」
「また雨漏りしたら困るからねぇ。」
「まあ、これでしばらく大丈夫。」
「いくらだい?」
「八百ベル。」
「安すぎるって!」
「屋根ちょっと直しただけだって。五分もかかってないし。」
「雨どいまで掃除してくれたじゃないか。」
「ついでだよ、ついで。」
「ほんと商売っ気ないねぇ。」
「ちゃんと八百ベル取ってるだろ。」
「そういう問題じゃないよ。」
呆れたように笑いながら、おばちゃんは代金を手渡す。
「ありがとね。」
「はいよ。」
レイは受け取った八百ベルを財布へしまった。
「じゃ、次行くぞ。」
「次?」
「浮気調査。」
「……何でも屋って、本当に何でもやるんだね。」
「だから何でも屋なんだよ。」
そう言って、レイは再び歩き出す。
クロノもその後を追った。




