再会
地下街ラクエン。
王都下級区の地下から。
城壁の外側へ向かって広がる、巨大な街。
そこに、王国の法はほとんど届かない。
酒。
賭博。
奴隷。
表では扱えない品と欲望が集まり。
マフィアの定めた暗黙の了解によって、危うい秩序が保たれていた。
年に一度の大オークションを三日後に控え。
普段以上に多くの人間が、ラクエンへ流れ込んでいる。
その夜も。
酒場は、客の怒鳴り声と笑い声で満ちていた。
レイは。
店の隅にある席で、一人酒を飲んでいた。
昼間は、広すぎる家の中へ閉じこもり。
夜になれば、こうして地下街へ降りてくる。
酒を飲むため。
そして。
奴隷商や、大オークションに関する話を拾うために。
食事は、生きるために必要な分だけ。
眠りも浅く。
笑い方さえ、いつの間にか忘れていた。
それでも。
アイリスを捜すことだけは、やめなかった。
「姉ちゃん! 酒、もう一杯!」
酒場の奥から。
聞き覚えのある声が響いた。
「あと肉も頼む! 一番でかいやつな!」
豪快な笑い声。
大きな卓を一人で占領し。
酒瓶を片手に、周囲の客と騒いでいる男。
レイの手が止まった。
「…………。」
忘れるはずがない。
自分の腹を貫き。
アイリスを連れ去った男。
ルコだった。
レイは。
静かに立ち上がった。
手にしていた杯を、卓の上へ置く。
真っ直ぐ。
ルコのもとへ歩いていく。
「ん?」
近づいてくる気配に気づき。
ルコが、酒瓶から口を離した。
「……お?」
レイの顔を見た瞬間。
僅かに目を見開く。
「お前、生きて――。」
「久しぶりだな。」
「あ、ああ。久し――。」
拳が。
ルコの顔面へ突き刺さった。
「ぶふぉっ!?」
椅子ごと吹き飛ばされ。
ルコの身体が、隣の卓へ激突する。
酒瓶と料理が宙を舞い。
派手な音を立てて、床へ散乱した。
騒がしかった店内が。
一瞬にして静まり返る。
「てめぇ!」
ルコと飲んでいた男たちが立ち上がった。
だが。
その声よりも早く。
レイは腰の刀を抜いていた。
床を蹴る。
一気に間合いを詰め。
立ち上がろうとするルコへ、刃を振り下ろした。
「ちょっ、待て!」
ルコも。
咄嗟に武器を抜く。
刃と刃がぶつかり。
鋭い金属音が、酒場中へ響き渡った。
「挨拶の次が斬撃かよ!」
「一発で済むと思うな。」
鍔迫り合いのまま。
レイは、ルコを押し込んでいく。
「お前が……!」
刀を握る手に。
魔力が集まった。
「あいつを連れていった!」
「分かってる! だから話を――。」
「黙れ!」
力任せに刃を弾く。
ルコの身体が後ろへ流れた。
レイは追う。
だが。
横から、太い腕が身体へ絡みついた。
「捕まえろ!」
「こいつ、ルコに何しやがる!」
二人。
三人。
周囲にいた男たちが、一斉にレイへ掴みかかる。
「離せ!」
レイは一人を振り払った。
続けて、もう一人の腹へ肘を打ち込む。
それでも。
二週間、まともに身体を動かしていなかった。
以前なら簡単に振りほどけたはずの相手に。
腕を押さえられ。
背後から、床へ組み伏せられる。
「ぐっ……!」
「おとなしくしろ!」
「刀を取り上げろ!」
「やめろ。」
ルコの声が響いた。
「そいつを離せ。」
「でも、ルコ!」
「いいから。」
ルコは。
切れた口元を拭いながら、立ち上がった。
「こいつとは、ちょっとした知り合いだ。」
「…………。」
男たちは顔を見合わせる。
やがて。
渋々、レイから手を離した。
レイはすぐに起き上がり。
刀を構え直す。
「まさか、こんなところで会うとは思わなかったよ。」
ルコは。
腫れ始めた頬を擦った。
「さっきの一発は、エルフの里で俺が与えた一撃と相殺ってことにしてやる。」
「腹を刺した分には、随分安いな。」
「生きてるんだからいいだろ。」
「よくない。」
「相変わらず厳しいなぁ。」
ルコは苦笑し。
改めて、レイの姿を眺めた。
「つーか、本当によく生きてたな。」
「あの傷じゃ、普通は助からねぇぞ。」
「仲間が、優秀だからな。」
「ああ。あの子か。」
ルコは納得したように頷く。
「まあ、正直なところ。」
「俺は、お前たちに感謝してるんだぜ。」
「…………。」
レイの目つきが変わった。
「お前たちが帝国軍を引きつけてくれなかったら。」
「あんなに簡単に、エルフを連れ出せなかった。」
「まさか、一国の軍隊へ正面から喧嘩を売る馬鹿がいるとは思わなかったよ。」
「主力連中も、かなりの実力者だったしな。」
ルコは。
楽しそうに笑った。
「まあ、帝国側も。」
「あれがお前たちだったとは、まだ気づいてないだろうけどさ。」
「アイリスは、どこだ。」
レイの声が。
一段、低くなる。
「生きてる。」
ルコは即座に答えた。
「傷も、ちゃんと医者に見せた。」
「完全に治してある。」
「食事も、下手な貴族よりいいものを食わせてるよ。」
「怖がらせるような真似もしてない。」
「…………。」
「俺が売った商品に傷が残ってたら。」
「信用に関わるからな。」
あくまで。
金のため。
善意で助けたわけではないと。
ルコは隠そうともしなかった。
「まだ子供だが。」
「ここしばらく、市場へ流れていなかったエルフだ。」
「顔立ちも、かなり整ってる。」
「大オークションの目玉としては、十分すぎる。」
「とりあえず。」
ルコは指を三本立てる。
「前金で、三千万ベルもらった。」
「…………。」
「あとは、どこまで値が伸びるかだな。」
「一億近くまでいく可能性もある。」
ルコは、上機嫌に笑う。
「帝国は、俺が死んだと思ってる。」
「依頼の報酬は受け取り済み。」
「そのうえ、エルフまで高値で売れる。」
「最高だろ?」
レイの身体から。
魔力が、静かに溢れ出した。
周囲の客たちが。
顔色を変えて、距離を取る。
「おっと。」
ルコが両手を上げる。
「そんなに睨むな。」
「魔力も引っ込めろ。」
声を落とし。
周囲を軽く見回す。
「この街を仕切ってるマフィアの若頭。」
「《地砕》の部下に見つかったら、面倒だぞ。」
「…………。」
「表の王国なら、プロハンターの身分で多少は誤魔化せる。」
「けど、ラクエンの住人には通じない。」
「さすがにお前も。」
ルコは薄く笑った。
「何度も考えなしで、一国級の連中に喧嘩を売るほど馬鹿じゃないだろ?」
レイは。
魔力を抑えた。
「話せ。」
「アイリスを、どうすれば取り戻せる。」
「やっぱり話が早いな。」
ルコは、満足そうに頷く。
「お前の言いたいことは分かってる。」
「あのエルフの子を取り戻したいんだろ?」
「当たり前だ。」
「俺はな。」
ルコは、自分の胸へ親指を向けた。
「一に金。」
「二に男なんだ。」
「…………。」
「元は百万ベル程度の仕事だった。」
「それが、お前たちのおかげで。」
「三千万以上の仕事に化けた。」
「俺は、度胸のある男が好きでね。」
ルコの視線が。
レイの顔を、上から下へと眺める。
「それに、お前。」
「かなり俺の好みの顔だしな。」
「…………。」
「お前の行動次第では。」
「あのエルフを、国にもマフィアにも喧嘩を売らずに取り戻す方法を。」
「教えてやらんこともない。」
「…………。」
「その手伝いも、してやっていい。」
ルコは、意味ありげに笑った。
「お前が俺と、いっぱ――。」
レイの身体から。
魔力が爆発した。
「うおっ!?」
押さえようとしていた男たちが。
まとめて吹き飛ばされる。
次の瞬間。
レイの拳が、再びルコの顔面へ突き刺さった。
「ぶふぇあっ!」
ルコの身体が宙を舞い。
今度は、酒場の壁へ叩きつけられた。
「このガチホモ野郎……!」
「わ、分かった!」
ルコが。
鼻を押さえながら叫ぶ。
「落ち着け! 冗談だよ!」
「何、本気になってんだよ!」
「殺すぞ。」
「目が本気なんだよ!」
ルコは慌てて立ち上がった。
「お前とは、金にもならないのにやり合いたくねぇんだよ!」
「だったら、二度とふざけるな。」
「へいへい……。」
ルコは。
床へ落ちた上着を拾い上げる。
それから。
騒然とする酒場の出口へ向けて、顎をしゃくった。
「ここじゃ話しづらい。」
「場所を変えようぜ。」
レイは。
刀を鞘へ戻した。
「逃げるなよ。」
「逃げねぇよ。」
ルコは腫れた顔を押さえ。
恨めしそうにレイを睨む。
「俺はもう、二発も殴られてんだからな。」
「腹の穴には、まだ足りない。」
「根に持ちすぎだろ。」
「当たり前だ。」
「……そりゃそうか。」
ルコは、小さく息を吐いた。
二人は酒場を出る。
騒がしい大通りから離れ。
魔導灯の光も届かない、細い路地裏へと入っていった。
そこで。
ルコは初めて。
アイリスを取り戻すための方法を、口にした。




