取り戻すために
「レイ兄。」
声が聞こえた。
「レイ兄。聞こえますか?」
誰かの手が。
頬へ触れている。
レイは。
重い瞼を、ゆっくりと開いた。
視界に映ったのは。
自分を覗き込む、ルアンの顔だった。
「……ルアン。」
「はい。」
返事を聞き。
レイは、自分が生きていることを理解した。
腹部へ手を伸ばす。
身体を貫いていた傷は。
すでに、跡形もなく塞がれている。
左肩を斬り裂いていた傷も同じだった。
断たれた皮膚も。
深く傷ついた筋肉も。
ルアンの治療によって、完全に元の形へ戻されていた。
「レイ兄は、一度死にかけました。」
ルアンが、静かに告げる。
「傷はすべて塞いでいます。」
「失った血や、使い果たした魔力までは戻せませんが。」
ルアンは。
レイの身体へ流していた治癒魔法を止めた。
「とりあえず、動けるようにはしました。」
「……ありがとう。」
レイは、身体を起こした。
全身が重い。
手足にも、ほとんど力が入らない。
視界が僅かに揺れたが。
動けないほどではなかった。
ルアンは止めなかった。
ただ。
倒れないよう、レイの背中へ手を添えている。
「……アイリスは?」
「…………。」
ルアンの表情が曇った。
「私たちが戻った時には、見当たりませんでした。」
「周囲も捜しましたが、見つかっていません。」
「ルコだ。」
「え……?」
「あいつが連れていった。」
最後に見た光景が。
鮮明に蘇る。
背中を斬られたアイリス。
その身体を抱え。
森の奥へ消えていった、ルコの姿。
「あいつは、アイリスを売るつもりだ。」
「…………。」
「エルフなら、高く売れると言っていた。」
レイは。
血に染まった地面へ目を向けた。
自分の血。
帝国兵の血。
そして。
アイリスの血。
最後まで。
必死に自分へ伸ばされていた、小さな手。
「レイ兄。」
「ああ。」
今は。
自分を責め続けている場合ではない。
ルコがどこへ向かったのか。
アイリスを、どこへ売るつもりなのか。
まだ何一つ分かっていない。
それなら。
分かるところから、すべて調べればいい。
レイは。
地面へ手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
身体が大きく揺れる。
けれど。
自分の足で踏み止まった。
ルアンは、その姿を見上げる。
「行けますか?」
「行く。」
「分かりました。」
それだけ答え。
ルアンも立ち上がった。
止める理由など。
初めから、どこにもなかった。
レイは。
アイリスが連れ去られた方角へ目を向ける。
今度は。
間に合わなければならない。
「必ず見つける。」
低く。
自分自身へ言い聞かせるように呟く。
「今度こそ。」
足元に残る。
血に染まった地面を見つめ。
レイは、拳を握り締めた。
「絶対に、取り戻す。」
⸻
森の開けた場所で、里の長と、数人の戦士が集まっている。
「我らは、この森を離れる。」
長が、静かに告げた。
「生き残った者たちを連れ、南へ向かう。」
一度、帝国に場所を知られてしまった。
焼け落ちた里を建て直したとしても。
再び軍が送り込まれない保証はない。
今は。
生き残った者たちを、安全な場所まで連れていかなければならなかった。
「分かりました。」
レイは頷いた。
「その方がいいと思います。」
「……うむ。」
長は。
深く刻まれた皺を、さらに歪めた。
「アイリスは。」
掠れた声で。
孫娘の名を口にする。
「あの子は、どうなったのじゃ。」
「ルコに連れ去られました。」
「ルコ……?」
「帝国から依頼を受けていた、プロハンターです。」
レイの脳裏に。
最後に見た光景が蘇る。
傷ついたアイリスを抱え。
遠ざかっていく、男の背中。
「あいつは、アイリスを売るつもりです。」
「エルフなら、高く売れると言っていました。」
「……そうか。」
長の手が。
杖の柄を、強く握り締める。
「アイリスは、わしの孫娘じゃ。」
里を治める長ではなく。
大切な孫を奪われた、一人の祖父の声だった。
「今すぐにでも、追ってやりたい。」
「じゃが。」
長は。
傷ついた里人たちへ目を向ける。
「わしは、この者たちの長でもある。」
「分かっています。」
レイは、真っ直ぐに長を見返した。
「アイリスは、俺たちが追います。」
「必ず、連れ戻します。」
長は。
しばらく、レイの瞳を見つめていた。
「……頼む。」
「はい。」
レイは短く答えた。
そして。
頭の中にある情報を、一つずつ組み立てていく。
「ルコの目的は金です。」
「アイリスを殺すつもりなら、あの場でそうしていた。」
「連れていったのは、商品として売るためです。」
希少なエルフ。
しかも。
まだ若い少女。
高値を求めるなら。
素性の分からない闇商人へ、適当に売るとは考えにくい。
「この辺りで。」
レイは続ける。
「奴隷を安全に、合法的に売れる国は一つしかない。」
「隣国の、グランフェルナ王国です。」
「……グランフェルナ。」
「はい。」
レイは、迷いなく頷いた。
「正規の奴隷市場がある。」
「金を持った買い手も集まる。」
「ルコがアイリスを高く売るつもりなら、向かう可能性が一番高い。」
「ま、王都は少し遠いけどな。」
もう一人の仲間が。
木へ背を預けたまま口を開く。
「ルコもプロハンターだから。」
「それなら国境も、普通に行き来できる。」
「安全に売れて、金にもなる。」
「そこしかねえんじゃねえか?」
「ああ。」
レイも。
同じ結論に辿り着いていた。
「私も、王都だと思います。」
ルアンが、静かに続ける。
「グランフェルナで最も多くの奴隷商が集まる場所です。」
「競売へ出すにしても。」
「途中で別の商人へ売り渡すにしても。」
「王都なら、何かしらの情報が残るはずです。」
「直接、アイリスが運び込まれていなくても。」
「そこから流れを追えます。」
「決まりだな。」
レイは。
地面へ手をつき、立ち上がった。
全身から、力が抜けそうになる。
視界も、僅かに揺れていた。
それでも。
倒れかけた身体を、自分の足だけで踏み止める。
ルアンは。
止めなかった。
ただ、レイの状態を確認するように見つめている。
「歩けますか、レイ兄。」
「歩く。」
できるかどうかではない。
歩かなければならない。
「分かりました。」
ルアンは、それだけ答えた。
「移動しながら、状態は私が見ます。」
「頼む。」
もう一人の仲間も。
背負っていた荷物を持ち直す。
「じゃ、行くか。」
「ああ。」
レイは。
森の外へ目を向けた。
この先に。
アイリスがいるという確証はない。
すでに別の場所へ売られている可能性もある。
それでも。
立ち止まっている時間はなかった。
「グランフェルナ王国へ行く。」
そして。
「王都で、アイリスを見つける。」
届かなかった手を。
今度こそ、掴むために。
レイたちは。
その日のうちに、森を発った。
レイたちが。
グランフェルナ王国を目指した理由は、初めから一つだった。
王都の下級区。
その地下から、城壁の外側へ広がる巨大な街。
地下街ラクエン。
グランフェルナで行われる奴隷売買の中でも。
最も多くの商品と、金を持つ買い手が集まる場所だった。
そして、間もなく。
年に一度の、大規模な奴隷オークションが開かれる。
希少なエルフを。
最も安全に、最も高く売るつもりなら。
ルコが狙うのは、そこしかない。
アイリスが。
今、どこにいるのかは分からない。
どんな目に遭っているのかも。
まだ、何一つ分からない。
それでも。
向かう場所だけは、決まった。
地下街ラクエン。
そこで必ず、アイリスを見つける。
そして。
三人の追跡が始まった。




