人族への恨み
「人族ッ!」
扉が開き。
人族の少年の姿が露わになった瞬間。
戦士が地面を蹴った。
「待って――!」
アイリスが。
その少年が誰なのか気づいた時には。
すでに。
振り下ろされた刃が、レイの左肩を斜めに切り裂いていた。
「レイ!!」
「ぐっ……!」
レイは反射的に後ろへ跳んでいた。
だが。
完全には避け切れなかった。
衣服が裂け。
左肩から胸元へ、鮮血が流れ落ちる。
「こいつ……!」
レイの後ろにいた仲間の一人が、武器へ手をかけた。
「待て!」
レイが叫ぶ。
「手を出すな!」
仲間を制する。
そして、次の斬撃に備えていた戦士が、一瞬だけ動きを止める。
レイは傷口を押さえながら。
ゆっくりと洞窟の中へ目を向けた。
怯える子供たち。
傷ついた里人。
武器を握り締め、自分たちへ怒りを向ける戦士たち。
そして。
「レイ!」
人垣を押し退け。
アイリスが駆け寄ってきた。
「なんで……。」
レイの前へ膝をつき。
震える手を、傷口へかざす。
「なんで、ここにいるの……?」
「助けに来た。」
「でも、帝国の人たちが……!」
「知ってる。」
レイは短く答えた。
「俺たちも騙された。」
「…………。」
アイリスの手から。
淡い光が、傷口へ流れ込んでいく。
深い傷を、すぐに治すことはできない。
それでも。
これ以上、傷が広がらないようにすることはできる。
「ごめんなさい……。」
アイリスの声が震える。
「みんな……レイたちが、この洞窟の場所を帝国に教えたと思って……。」
「違う。」
レイは首を横へ振った。
「お前のせいじゃない。」
「でも……!」
「俺たちが。」
レイは。
その場へ膝をついた。
「え……?」
傷口から血を流したまま。
両手を地面につく。
そして。
洞窟にいるエルフたちへ、深く頭を下げた。
「本当に……申し訳ありませんでした。」
アイリスは。
言葉を失った。
「俺たちが来なければ。」
レイの声が。
洞窟の中へ響く。
「あなたたちは、今までどおり平和に暮らしていた。」
「俺たちが、あの貴族をここまで連れてきたから。」
「この里は見つかった。」
「違う!」
アイリスが叫ぶ。
「レイたちは知らなかった!」
「それでもだ。」
レイは。
地面から額を上げなかった。
「俺たちが護衛した。」
「あいつを無事に帝国まで帰した。」
「知らなかったからって。」
「俺たちに何の責任もないことにはならない。」
「…………。」
「大切な森を。」
「生まれ育った里を。」
「俺たち人族の欲で、こんな姿にしてしまった。」
レイの握り締めた拳が。
小さく震えていた。
「どれだけ斬られても構わない。」
「俺たちを殺したいなら。」
「全部が終わったあとで、好きにしてくれていい。」
顔を上げる。
その黒い瞳には。
涙が溜まっていた。
「でも今は。」
「あなたたちを、安全な場所まで逃がしたい。」
「頼む……!」
レイは。
もう一度、額を地面へ押しつけた。
「俺たちに、協力させてくれ……!」
「レイ……。」
二人の仲間も。
レイの隣へ膝をついた。
一人は歯を食いしばり。
溢れそうになる涙を、隠そうともしていなかった。
もう一人も。
何も言わず、静かに頭を下げる。
三人は。
炎に包まれた故郷を見る者の痛みを。
知っていた。
「罠じゃ!」
里人の一人が声を上げた。
「我らを洞窟から誘い出すつもりじゃ!」
「人族の言葉を信じるな!」
「こやつらが場所を教えたに違いない!」
怒声が。
次々と飛び交う。
それでも。
レイたちは頭を上げなかった。
「静まれ。」
低い声が。
洞窟の中へ響いた。
「長……。」
長は、傷ついた身体を支えられながら。
ゆっくりとレイたちの前へ進んだ。
そして。
血に濡れたレイの顔を、じっと見つめる。
「顔を上げよ。」
「…………。」
レイが。
ゆっくりと顔を上げた。
長は。
その黒い瞳を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「十五年ほど前のことじゃ。」
「この里を。」
「一人の人族が訪れた。」
「……人族が?」
「エリシアという名の女じゃ。」
その名前を聞いた瞬間。
レイの瞳が、わずかに揺れた。
「そなたは。」
長は静かに続ける。
「あの者と、よく似た眼をしておる。」
「…………。」
「人を種族で分けず。」
「目の前の命を見ようとする。」
「澄んだ眼じゃ。」
長は。
洞窟の中にいる里人たちへ振り返る。
「武器を下ろせ。」
「しかし!」
「この者たちは、本気じゃ。」
長の声に。
迷いはなかった。
「我らに殺されてもよいという覚悟で。」
「ここまで戻ってきた。」
「罠であるなら。」
「斬られた直後に、反撃せぬ理由がない。」
先ほどレイを斬った戦士が。
刃についた血を見る。
「それに。」
長の視線が。
レイの傷を必死に治療しているアイリスへ向いた。
「アイリスが。」
「これほどまでに信じておる。」
「…………。」
戦士は。
ゆっくりと剣を下ろした。
周囲にいた者たちも。
すぐに警戒を解くことはなかったが。
レイたちへ向けていた武器を、少しずつ下げていく。
「……ありがとうございます。」
レイは、再び頭を下げた。
「礼を言うのはまだ早い。」
長は厳しい表情のまま答える。
「そなたたちは。」
「これから、どうするつもりじゃ。」
「俺たちが。」
レイは、洞窟の入口へ目を向けた。
「帝国軍を引きつけます。」
「なんじゃと?」
「ここから反対の方向へ。」
「敵の目を向ける。」
「その間に。」
レイは、長を見る。
「みんなで森を抜けてください。」
「待て。」
戦士の一人が前へ出る。
「我らも戦う。」
「俺たちの里じゃ!」
「人族だけに任せられるか!」
「駄目です。」
レイは即座に答えた。
「これは、戦うための作戦じゃない。」
「帝国軍を、逆方向へ誘導するだけです。」
「俺たちは護衛として、向こうにも顔が利く。」
「プロハンターの言葉なら。」
「すぐに斬りかかってくることもない。」
隣にいる仲間が。
僅かにレイを見る。
けれど。
何も言わなかった。
「俺と、こいつで行きます。」
レイは、戦闘を得意とする仲間を示した。
レイがそう告げた、その時。
「レイ兄。」
隣にいた少女が。
静かに、レイの前へ膝をついた。
「動かないでください。」
「ん?」
返事を待たず。
少女は、レイの左肩から胸元へ伸びた傷へ手をかざす。
淡い光が。
傷口を包み込んだ。
「お、おい。」
「すぐ終わります。」
裂けていた皮膚が。
見る間に塞がっていく。
流れていた血も止まり。
少し経つ頃には。
そこに深い傷があったことすら分からなくなっていた。
「……相変わらず早いな。」
「この程度なら。」
少女は。
治った傷を確認してから、ようやく手を離した。
「無事に帰ってきてください。」
「…………。」
レイは。
少女の顔を見て。
少しだけ笑った。
「ああ。」
「お前はここで、みんなの治療と誘導を頼むぞ。」
「はい。」
「怪我人を優先して。」
「森を抜けるまで、絶対に離れるな。」
「分かっています。」
少女は、いつもの落ち着いた声で答える。
それでも。
レイを見る瞳には。
僅かな不安が残っていた。
「レイ兄。」
「ん?」
「……無茶はしないでくださいね。」
「善処する。」
「それは信用できません。」
「ひどくね?」
ほんの少しだけ。
少女の表情が緩んだ。
「だから。」
「ちゃんと帰ってきてください。」
「ああ。」
レイは、もう一度頷いた。
「約束する。」
「私も行く。」
アイリスが立ち上がった。
「駄目だ。」
レイは即答する。
「どうして!」
「アイリス。」
レイは、アイリスの前へ膝を折った。
その目線へ、高さを合わせる。
「お前は、みんなと一緒に逃げてくれ。」
「嫌。」
「アイリス。」
「レイたちだけを置いていけない。」
「…………。」
レイは。
少しだけ困ったように笑った。
「大丈夫だよ。」
「俺たちは、戦いに行くわけじゃない。」
「少し騒いで。」
「敵を遠くへ連れていくだけだ。」
「でも……。」
「俺も、こいつも。」
レイは隣の仲間を示す。
「逃げ足には自信がある。」
「何かあっても。」
「絶対に捕まらない。」
その言葉が。
真実なのか。
アイリスには分からなかった。
けれど。
レイは真っ直ぐに、自分を見ていた。
「約束する。」
「…………。」
初めて会った日にも。
レイは、同じ言葉を口にした。
いつか。
森の外へ連れていくと。
「……絶対?」
「ああ。」
「絶対に戻ってくる。」
「…………。」
アイリスは。
レイの服の裾を、強く握った。
離したくなかった。
それでも。
自分がここで拒めば。
避難する者たちまで動けなくなる。
「……分かった。」
ゆっくりと。
指を離す。
「絶対に、戻ってきて。」
「ああ。」
レイは。
アイリスの頭へ手を置いた。
「約束だ。」
その手は。
優しく。
けれど、すぐに離れていった。
レイと仲間は立ち上がる。
そして。
洞窟の外へ続く暗い道へ、歩き始めた。
「レイ。」
呼びかけると。
レイは足を止め、振り返った。
「待ってるから。」
「ああ。」
いつものように。
レイは笑った。
「すぐ戻るよ。」
二人の背中が。
暗闇の中へ消えていく。
その姿が見えなくなったあとも。
アイリスは。
しばらく、同じ場所を見つめ続けていた。




