超大国 デビルース帝国
帝国からの使節を迎える日が訪れた。
里の者たちは朝から慌ただしく動いていた。
森で採れた果実。
焼き上げられたパン。
薬草を使った茶。
決して豪華ではない。
それでも。
里にとっては、精いっぱいの歓迎だった。
子供たちも。
また人族が来ると聞き、落ち着かない様子で森の入口を見ている。
「レイも来るかな。」
誰かが言った。
アイリスも。
言葉には出さず、同じことを考えていた。
長の指示によって。
普段は固く閉ざされている結界の一部が、一時的に開かれる。
里へ通じる。
ただ一つの道。
その向こうから。
大勢の足音が聞こえてきた。
「来た!」
子供たちが声を上げる。
木々の隙間から。
最初に見えたのは、帝国の旗だった。
けれど。
現れた人族たちの姿を見た瞬間。
里に満ちていた期待が。
静かに、凍りついた。
剣。
槍。
杖。
全身を鎧で固めた兵士たち。
使節と呼ぶには。
あまりにも多すぎる。
森を埋め尽くすほどの、武装した人間。
「……どういうことじゃ。」
長が前へ出る。
その声に応えるように。
兵士たちの中から、一人の男が歩み出た。
見覚えのある顔。
毒に侵され。
この里で命を救われた、あの貴族だった。
「話が違うではないか。」
「そなたは、交流を望むと……。」
「ええ。」
貴族は。
以前と変わらない穏やかな口調で答えた。
「帝国は、エルフ族との交流を望んでおります。」
「ただし。」
その口元に。
薄い笑みが浮かぶ。
「帝国の管理下において、ですが。」
「…………。」
「この森には。」
「帝国にとって有用な資源が、数多く存在している。」
「貴重な薬草。」
「質の高い魔石。」
「そして。」
貴族の視線が。
里に集まったエルフたちをなぞる。
「優れた魔法の才能を持つ、エルフ族。」
アイリスは。
背中に、冷たいものが走るのを感じた。
「抵抗しなければ。」
貴族は告げる。
「命は保証しましょう。」
「帝国の民として。」
「その力を、国のために使っていただく。」
「……我らを。」
長の声が震える。
「支配するということか。」
「保護です。」
「言葉を変えただけじゃ!」
里の戦士が怒鳴る。
剣へ手を伸ばした。
その瞬間。
「抵抗の意思あり!」
帝国兵の一人が叫ぶ。
森の中へ。
無数の魔力が膨れ上がった。
「待て!」
長の制止は。
間に合わなかった。
放たれた炎が。
里の一角へ降り注ぐ。
轟音。
衝撃。
燃え上がる家屋。
「きゃあああっ!」
悲鳴が響く。
つい先ほどまで。
人族を迎えるために並べられていた食事が、炎に呑み込まれていく。
「子供たちを逃がせ!」
「戦える者は前へ!」
「早く!」
里は。
一瞬にして戦場へ変わった。
⸻
「こっち!」
アイリスは。
泣きじゃくる幼い子供の手を引き、森の奥へ走っていた。
背後から。
何度も爆発音が響く。
振り返るたび。
生まれ育った里が、炎に包まれていく。
「お母さん……!」
「大丈夫。」
アイリスは。
自分にも言い聞かせるように答えた。
「みんな、あとから来るから。」
「本当……?」
「本当。」
確かなことなど。
何一つ分からなかった。
それでも。
今は、泣いている子供たちを前へ進ませなければならない。
里の奥深く。
巨大な岩壁の陰。
蔦に覆われた場所に、外からは見えない扉がある。
里が襲われた時にだけ使われる。
秘密の避難場所。
「急いで!」
次々と。
子供や老人たちが洞窟の中へ入っていく。
アイリスも。
最後の子供を連れ、扉を潜った。
中には。
すでに多くの里人が集まっていた。
泣いている者。
怪我をしている者。
家族の名を呼び続ける者。
アイリスは。
入り口の方を見つめる。
(レイ……。)
もし。
レイが、この場にいてくれたなら。
そんな考えが、頭をよぎる。
けれど。
レイたちは、もう帝国へ戻っている。
この里が襲われていることすら。
きっと、知らない。
「……ごめんなさい。」
小さな声が聞こえた。
振り返ると。
数人の子供たちが、青ざめた顔で立っている。
「どうしたの?」
「前に……。」
一人の子供が。
震える声で答える。
「レイたちと遊んだ時。」
「この洞窟のこと、話しちゃった。」
「秘密の場所があるって……。」
「…………。」
周囲にいた大人たちの表情が変わった。
「人族に、この場所を教えたのか!?」
「ご、ごめんなさい……!」
「でも、レイなら大丈夫だと思って……!」
「今、里を襲っているのも人族じゃ!」
「その者たちが、帝国へ話しておらぬ保証がどこにある!?」
もちろん。内容はいじらず、セリフ末尾に「。」だけ追加するね。「!」「?」はそのまま。
「レイはそんなことしない!」
アイリスは。
思わず声を上げていた。
洞窟の中が、静まり返る。
「レイは。」
アイリスは、震える手を握り締める。
「そんなこと、絶対にしない。」
「じゃが……!」
「もうよい!」
長の声が。
言い争いを止めた。
肩を負傷し。
血に染まった衣服のまま、長が洞窟の奥から姿を現す。
「今は、責任を問うている時ではない。」
「しかし長!」
「もし場所を知られておるなら。」
長は。
閉ざされた扉を見る。
「ここへ来るのも、時間の問題じゃ。」
里の戦士たちが。
武器を手に取る。
「扉の前で待ちます。」
「少しでも時間を稼ぎます。」
「……すまぬ。」
数人の戦士が。
洞窟の入口へ向かった。
アイリスは。
何も言えないまま、その背中を見つめていた。
レイは。
この場所を帝国へ教えたりしない。
そのことだけは。
疑う余地などなかった。
けれど。
ほかの者へ、それを証明する術はない。
遠くから。
足音が聞こえた。
岩を踏みしめる音。
一つではない。
少しずつ。
確実に、こちらへ近づいてくる。
「誰か来る……。」
逃げ遅れていた里の者かもしれない。
戦士たちは武器を構えながらも。
すぐに攻撃することはせず、扉の前で待ち受けた。
「確認する。」
一人の戦士が、静かに目を閉じる。
意識を研ぎ澄ますように。
しばらく、じっと動かない。
暗い通路を。
何者かが、こちらへ向かっている。
三つの気配。
その身体から漏れる魔力へ触れた瞬間。
戦士が、目を見開いた。
「……人族じゃ。」
「何じゃと!?」
「間違いない。」
剣の柄を、強く握り締める。
「これは……人族の魔力……!」
洞窟内の空気が。
一瞬にして張り詰めた。
子供を抱えていた者たちは、さらに奥へと下がる。
「やはり、この場所まで知られておったか……!」
「待って!」
アイリスは、反射的に声を上げた。
「人族だからって、全員が敵とは……。」
「今、この里を襲っておるのも人族じゃ!」
「じゃが、逃げ遅れた者を追ってきた可能性もある。」
長の言葉に。
戦士たちは、すぐに飛び出すことなく扉の前で待った。
足音が。
すぐ近くまで迫る。
そして。
扉の前で止まった。
「…………。」
戦士の一人が。
いつでも斬り込めるよう、剣を構える。
重い扉が。
外側から、ゆっくりと押し開かれていく。
暗い隙間から。
最初に見えたのは。
黒い髪だった。




