アイリスの夢
アイリスは一通りの家事を終えると、居間のソファーへ腰を下ろした。
何でも屋 ラヴェレス。
この場所で、奴隷として住み込みで働き始めてから、すでに半年以上が過ぎている。
アイリスにとって、レイは大切な兄だった。
レイもまた、自分を妹として大切に思ってくれている。
それは、日々を共に過ごしていれば嫌でも伝わってきた。
けれど。
一歩、家の外へ出れば話は別だった。
額に刻まれた証を見れば、誰もがアイリスを奴隷だと知る。
そんな自分が自由人と同じように振る舞えば、侮られるのは自分だけではない。
主人であるレイにも、迷惑がかかる。
だからアイリスは。
外では、奴隷として生きていく覚悟を決めていた。
「……ふぅ。」
アイリスは、ゆっくりと息を吐き出した。
安心できる場所。
それが、この家だった。
主人であるレイが与えてくれた、かけがえのない居場所。
けれど、この家の中で。
レイは主人ではなく、兄だった。
ここで過ごした時間。
積み重ねてきた、大切な記憶。
瞼を閉じれば。
あの日の森の匂いさえ、今でも鮮明に思い出せる。
アイリスは幸せを噛み締めるように、そっと目を閉じた。
そのまま。
過去をなぞるように、浅い眠りへ落ちていった。
◇
「ねえ、レイの育った国って、どんなところなの?」
「あー、俺の国かぁ……。」
レイは少し懐かしそうに、遠くを見た。
「小さな国でさ。いろんな種族が暮らしてたよ。」
「エルフも?」
「ああ、もちろん。」
「エルフもいたし、亜人って呼ばれる種族もいた。」
レイは、何でもないことのように笑った。
「でもさ。結局、みんな同じだろ。」
「考えて、話して、笑う。同じ人だよ。」
「種族なんて関係なく、みんな一緒に暮らしてた。」
「……私も、森の外に出てみたいな。」
「そうだよなぁ……。」
レイは少しだけ考え。
アイリスへ笑いかけた。
「いつか出られるようになったら、いろんなところへ連れていってやるよ。」
◇
「レイ!!」
「アイリス……どうして、ここに……。」
「私たちの里だから!」
アイリスは、声を張り上げた。
「私たちが守るんだよ!」
「アイリス……駄目だ……!」
「……悪いな、レイ。」
「やめろ……。」
「アイリス……しっかりしろ……!」
「……ごめんね、レイ。」
「助けられなくて……。」
「違う……!」
「俺が……お前を守れなくて……!」
「……悪いな。」
「少しばかり、胸糞は悪いけど。」
「これも運命だよ。」
「この子は、連れていく。」
「アイリス……!」
「待ってくれ……!」
伸ばされた手が。
少しずつ、遠ざかっていく。
◇
「……リス。」
「……アイリス。」
「アイリス!」
名前を呼ばれ。
アイリスは、ゆっくりと目を開けた。
目の前にいたのは。
自分にとって、何よりも大切な兄だった。
「レイ……。」
まだ眠気の残る声で呟く。
「おかえりなさい。」
「ああ、ただいま。」
レイは少し申し訳なさそうに笑った。
「遅くなって悪かったな。」
「こんなところで寝てたら、風邪ひくぞ。」
「待ってたら……そのまま寝ちゃった。」
「……そっか。」
レイは、それ以上何も言わなかった。
ただ。
アイリスの頭へ、そっと手を置く。
優しく、髪を撫でられる。
この瞬間が。
アイリスは、何よりも落ち着いた。
けれど。
レイの手は、すぐに離れてしまう。
名残惜しくなり。
アイリスは、遠ざかるその手を目で追った。
それに気づいたのか。
レイが、柔らかな笑顔を向けてくる。
「どうした?」
「……なんでもない。」
アイリスは小さく首を横へ振った。
故郷の家族とは。
もう、会えなくなってしまった。
それでも。
この何気ない日々が、いつまでも続けばいい。
アイリスは。
いつも、そう願っていた。
けれど。
初めから、この家を安心できる場所だと思えていたわけではない。
レイを兄として慕い。
自分を家族だと思えるようになるまでには、少しだけ時間がかかった。
それは。
アイリスがラヴェレスで暮らし始めて、まだ間もない頃のことだった。




