シュトリア・レ・マーブル 店主の一日
中級区。
何でも屋 《ラヴェレス》とは反対側の区画に、一軒のケーキ屋がある。
店の名前は《シュトリア・レ・マーブル》。
ケーキだけでなく、焼き菓子やチョコレート、季節の果物を使った菓子まで、様々なものを扱っている。
中でも特徴的なのは、光魔法を使ったお菓子だ。
口に入れた瞬間、淡い光が弾けるもの。
皿の上で小さな星が瞬くもの。
香りとともに光の花が開くもの。
見て、聞いて、嗅いで、触って、味わう。
五感すべてで楽しみ、少しでも幸せな気持ちになってもらう。
それが、この店の店主――レナ=シュトリアのお菓子作りだった。
「よし!」
最後のケーキをショーケースに並べ、レナは満足そうに頷いた。
扉の札を裏返す。
今日も《シュトリア・レ・マーブル》の一日が始まる。
◇
店に来るのは、もちろん街の人たちがほとんどだ。
毎朝同じ焼き菓子を買っていく人。
仕事の休憩中に紅茶を飲みに来る人。
学校帰りに少ないお小遣いを握って、真剣にケーキを選ぶ子供たち。
けれど、この店には時々――少し変わったお客さんもやってくる。
「よ、レナ。」
「あ、ルコ。いらっしゃい。」
「今日商談があってさ。おすすめ適当に包んでくれよ。」
「何人?」
「四人。」
「じゃあ、甘すぎない方がいいかな。」
「任せる。お前の店なら外さねぇだろ。」
「ふふ。ありがと。」
ルコとは、プロハンター試験で知り合った。
あの試験では、まったく知らない者同士で四人のパーティーを組まされた。
レナとルコ。
そして、レイ。
もう一人は、受験者に紛れ込んでいた試験官だった。
試験の途中で、その試験官が裏切る。
レナもルコも、その正体には気づかなかった。
けれどレイだけは、途中から試験官を怪しんでいた。
裏切る可能性まで考え、あらかじめその場面を想定していたらしい。
実際に試験官が動いた時には、ルコもさすがの対応力で即座にレイと連携した。
結果、危なげなく突破することができた。
だからレナには、二人に少しだけ借りがある。
「はい。これでどう?」
「お、いいじゃん。いくら?」
「あと、これ。」
「ん?」
「新作。一個おまけ。」
「……お前、たまにこういうことするよな。」
「いらない?」
「いる。」
「じゃあ持ってって。」
「ありがとな。また来るわ。」
「商談頑張ってねー。」
別に、大げさな恩返しをしようとは思っていない。
たまに一つ、おまけする。
それくらいでいい。
⸻
「こんにちは!」
「あ、クロノちゃん。いらっしゃい。」
昼を過ぎた頃、桃色の髪を揺らしながら、一人の少女が店に入ってきた。
最近この街に来たばかりみたい。
褐色の肌をした、十七歳の女の子。
クロノだ。
ショーケースの前に立つと、並んだケーキを真剣に見比べる。
「うーん……。」
右を見る。
左を見る。
もう一度右を見る。
そして――。
「ボクは今日これにする!」
「今日はそれ?」
「うん!」
クロノちゃんは、レイの弟子だ。
前に本人から聞いた。
ギルドランクが一定まで上がったら、本格的に修行をつけてもらえるらしい。
だから頑張るんだ、と。
その時のクロノちゃんは、とても楽しそうだった。
「最近どう?」
「頑張ってるよ! 早くランク上げたいから!」
「ふふ。そっか。」
「うん!」
選んだケーキを受け取って、クロノちゃんは嬉しそうに席へ向かっていった。
ふと、外を見ると。
店の前に、スーツ姿の男たちが現れた。
その中央には、深くフードを被った男性。
――国王陛下だ。
一応、お忍びらしい。
ただ、この辺りではもう結構知られている。
近所の人たちも気づいているけれど、誰も声をかけたりはしない。
静かに過ごしたくて来ているのだと、みんな分かっているからだ。
「いらっしゃいませ。」
「うむ。今日は空いているか?」
「はい。奥のお席へどうぞ。」
「私はどこでも構わんぞ?」
「護衛の方もいらっしゃいますし、他のお客様が緊張してしまいますので。」
「そうか。では任せよう。」
陛下は時々、この店へ来てくださる。
特別なことをするわけではない。
ケーキを食べて、紅茶を飲んで。
少し休んで帰っていく。
その日もいつもと同じだった。
――はずだった。
「あっ。」
窓の外に、見覚えのある黒髪が見えた。
レイだ。
店内を覗き込んでいる。
レナと目が合う。
そのままレイの視線が奥へ動いて――。
国王陛下と目が合った。
「…………。」
「…………。」
レイが消えた。
「あー……帰っちゃった。」
「ん?」
国王が窓の外を見る。
「今の黒髪の若者はどうしたんだ?」
「たぶん、陛下がいらっしゃるので遠慮したんですよ。」
「私がいたからか。それは悪いことをしたな。」
「大丈夫ですよ。どうせ後で来ますから。」
「そうか。」
国王は紅茶へ手を伸ばす。
けれど、ふともう一度窓へ目を向けた。
「……あの黒髪の若者。」
「はい?」
「どこかで見たことがあるような……。」
レナは首を傾げた。
⸻
王族のお客さんは、もう一人いる。
「こんにちは、レナさん。」
「あ、シャルちゃん。いらっしゃい。」
十五歳の少女、シャルロア。
この国では、王族は成人するまで基本的に表へ出ない。
だから彼女の顔を知っている人はほとんどいない。
第二王女だと教えてもらったのは、少し前のことだった。
正体を知ってもレナなら態度を変えないと思ったから。
そう言われた。
だから、変えていない。
「今日は何にする?」
「迷いますね……新作も美味しそうです。」
「おすすめだよ。」
「では、それをいただきます。」
シャルちゃんは、時々こうしてこっそり城を抜け出してくる。
この店のお菓子を食べると幸せな気持ちになる、と言ってくれた。
そして――。
「あ、レイさん。」
「お、シャルじゃん。」
少し前からレイとも知り合いらしい。
この店で二人が顔を合わせた時は、レナも少し驚いた。
「今日はアイリスさんも一緒なんですね。」
「うん。こんにちは、シャル。」
「こんにちは、アイリスさん。」
レイは、シャルちゃんをどこかの貴族のお嬢さんだと思っている。
第二王女だとは知らない。
そしてレナは――シャルちゃんがレイを好きなのも知っている。
だから、もちろん余計なことは言わない。
レイとは、プロハンター試験の後、しばらく会っていなかった。
数年ぶりに再会したのは、この店だ。
それからは、よく顔を出してくれる。
今日も妹のアイリスちゃんと一緒だった。
「こんにちは。あっ。」
新しく店に入ってきた女性が、レイを見て足を止める。
「おう、ヒナ。」
「あなたは仕事してきなさいよ。」
「今日は休みだぞ。お前こそ仕事してこいよ。」
「私だって休み。あなたに休みなんていらないでしょ。私はアイリスと休んどくから。」
「なんでだよ!」
ヒナさんは軍人さん。
自分と同じ歳なのに、軍本部の少佐さんなんだとか。
いつもレイとはこんな風に軽口を言い合っている。
でも、仲が悪いわけではなさそうだ。
結局、三人で同じ席に座っている。
「あんた、いつも同じの食べてるわね。」
「これが美味いんだよ。」
「他にも食べればいいのに。」
「好きなの食えばいいだろ。」
ヒナさんがアイリスちゃんを見る。
「アイリスは今日も全種類制覇目指してるの?」
「もう……終わった。」
「早いわね。」
「うん。」
「どれがおすすめ?」
「これ。」
「じゃあそれにするわ。」
アイリスちゃんが指差したケーキを、レナは笑いながら取り出した。
そんな時。
店の扉が開いた。
「…………。」
「あ。」
レイが振り返る。
「お前、本当に鼻いいよな。」
メルちゃんだった。
「何食べるんだ?」
メルちゃんがショーケースを見る。
しばらくして、一つを指差した。
「これ。」
「はいはい。」
レイが立ち上がる。
どうやら今日も、レイにたかりに来たらしい。
メルちゃんは素直じゃない。
でも、ケーキを食べ終わった後は――。
「ごちそうさま。」
「おう。」
二人が揃って店を出ていった。
「あぁ、今日も行っちゃったー。」
今頃、街のどこかを走り回っているのだろう。
レナは残されたアイリスちゃんを見る。
「ふふ。アイリスちゃん、ケーキおまけしてあげる。」
「いいの?」
「いいよ。」
「ありがとう。」
「また甘やかしてるわね。」
ヒナさんが笑う。
「いいの。アイリスちゃん可愛いから。」
「……そういえば。」
レナは思い出す。
「またメルちゃんのところにケーキ持ってかないとね。」
毎月、中旬ごろの日曜日。
レナは下級区の孤児院へ、お菓子を持っていく。
今ではレイとアイリスちゃんも毎回手伝ってくれている。
「レイには、また運ぶの手伝ってもらわないと。」
「うん。私も手伝うよ。」
「じゃあ次は絶対休み取るわ。」
ヒナさんも紅茶を飲みながら言った。
「私も手伝わせてもらうから。」
「ほんと? 助かる!」
やがて日が暮れる。
最後のお客さんを見送り、テーブルを片付ける。
ショーケースを綺麗にして。
明日の準備を済ませて。
「よし。」
レナは店の灯りを落とした。
扉を閉め、今日の営業を終える。
中級区。
何でも屋とは反対側の区画にある、小さなケーキ屋さん。
明日になれば、またいろんな人がこの扉を開ける。
《シュトリア・レ・マーブル》は――
今日も街の人に癒しを届けている。




