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LAVeLESS  作者: 神矢
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16/90

黒猫と夜のお散歩

 その夜。


 孤児院の窓から、黒い影が静かに飛び降りる。


 猫耳がぴくりと動き、黒い尻尾が夜風に揺れた。


 誰にも気付かれないまま、メルは屋根へ飛び乗る。


 夜の王都。


 昼とは違う静けさが街を包んでいた。


 屋根の上を歩きながら、今日のことを思い返す。


(……変な人。)


 毎月、知らない大人が来る。


 最初はみんな同じ。


 優しく話しかけてくる。


「こんにちは。」


「一緒に遊ぼうか。」


 メルは何も答えない。


 そのうち、


「一人で外に出ちゃ駄目だよ。」


 そう言って追いかけてくる。


 でも。


 屋根へ登れば終わりだった。


「危ないだろ!」


「戻ってこい!」


 追いつけない。


 しばらくすると諦める。


 ローズが来ると。


「またですか?」


 すぐに腰が低くなり。


 苦笑い。


「へへ……すみません。」


「また逃げられちゃいました。」


 さっきまでの強い口調はどこかへ消えていた。


 メルは少し離れた屋根の上から、それを何度も見てきた。


(……。)


(さっきまであんなに偉そうだったのに。)


(……みんな同じ。)


 それなのに。


(俺最強だから。)


 思い出して、小さく鼻を鳴らす。


(変なの。)


 でも。


 振り切れなかった。


 初めてだった。


 一時間も走ったのに、あの人は息一つ切らしていなかった。


 それなのに。


 怒らなかった。


『足速いな。』


 そう言っただけ。


 怒られると思っていた。


 勝手に抜け出したんだから。


 でも、違った。


 帰り道も。


『腹減ったな。』


『一緒に帰ろうぜ。』


 本当に。


(……変な人。)



 その時だった。


 猫耳がぴくりと動く。


 鼻先を夜風へ向ける。


 酒の匂い。


 焼いた肉。


 香辛料。


 いくつもの匂いが混じる中。


 その奥に。


 昼間と同じ匂いが混ざっていた。


(……いた。)


 メルは音もなく屋根を蹴る。


 夜の街を駆け抜け。


 一軒の酒場の屋根へ降り立った。


 窓から、そっと中を覗く。


 そこには。


「だから言ってんだろ!」


「やんのか!」


 酒場の中では、二人の男が今にも殴り合いを始めそうになっていた。


 そして。


 少し離れた席で、その喧騒を椅子にもたれながら面倒くさそうに眺めている、黒髪の青年がいた。


(……いた。)


 メルは少しだけ口元を緩めた。


「ぶっ飛ばしてやる!」


 酒場の空気が一気に張り詰める。


 レイは小さくため息をついた。


「はぁ……。」


 椅子から腰を上げる。


 自然と周囲へ意識を向ける。


 店内。


 客。


 出入口。


 窓の外。


 その時。


 見覚えのある、小さな魔力を感じた。


 レイはほんの少しだけ口元を緩める。


「……まぁ、いいか。」


 そのまま二人の男へ歩いていく。


「まぁまぁ。」


「殴り合う前にさ。」


「飲み比べでもしたらどうだ?」


 男たちが睨みつける。


「……あぁ?」


 レイは気怠そうに肩をすくめた。


「喧嘩の強さもいいけどさ。」


「酒場なんだから、酒で勝負した方が店も喜ぶだろ。」


「それとも。」


 少しだけ口元を上げる。


「酒、飲めないのか?」


 一瞬、酒場が静まり返る。


「……んだと?」


「上等だ!」


「おい!」


「酒持ってこい!」


 酒場中が一気に騒がしくなる。


 窓の外。


 メルは思わず目を丸くした。


(……。)


(また。)


(変な人。)


「はっはっは!」


「飲め飲め!」


 酒場は一気に盛り上がっていた。


 店主も豪快に笑う。


「レイさん!」


「今日もありがとね!」


 レイは軽く手を上げる。


「おう。」


 そのまま窓の外へ視線を向ける。


 窓の向こう。


 黒猫の耳がぴくりと動いた。


 メルと目が合う。


「!」


 メルは一瞬だけ固まる。


 レイは小さく笑った。


「店主。」


「わりぃ。」


「ちょっと行ってくる。」


 店主は笑いながら酒を注ぐ。


「おう!」


「次は誰だ?」


 レイは肩をすくめる。


「猫。」


 そう言い残し、酒場を出ていった。


 レイは肩をすくめる。


「猫。」


 そう言い残し、酒場を出ていった。



 外へ出ると、夜風が頬を撫でる。


 屋根の上。


 黒い猫耳がぴくりと動いた。


 目が合う。


 一瞬だけ。


 メルは踵を返し、屋根の上を駆け出した。


 レイは思わず笑う。


「お。」


「また鬼ごっこか。」


 軽く地面を蹴る。


 次の瞬間には屋根へ飛び乗っていた。


 夜の王都を、二つの影が駆け抜けていく。


 メルは屋根から屋根へ軽やかに飛び移る。


 細い路地。


 煙突。


 洗濯物を避けるように駆ける小さな背中。


 レイは少し後ろを、一定の距離を保ったまま追いかける。


「速いなー。」


 返事はない。


 メルは振り向きもしない。


 ただ夢中で駆ける。


 角を曲がり。


 屋根を飛び越え。


 時折ちらりと後ろを確認する。


(まだいる。)


 少しだけ速度を上げる。


 レイも笑いながら速度を合わせた。


「がんばれー。」


 メルは答えない。


 でも、その猫耳だけが少しだけ揺れた。


 屋根の縁を蹴り、大きく跳ぶ。


 そのまま細い路地へ飛び降りる。


 レイも迷わず後を追う。


 市場を抜け。


 広場を横切り。


 再び屋根へ。


 気付けば二人は、夜の王都をぐるりと一周するように走っていた。


 やがて。


 小さな公園へ辿り着く。


 メルは勢いよくベンチへ腰を下ろした。


「はぁ……。」


 肩で息をする。


 足も少しだけ震えていた。


 しばらくして。


 レイが何事もなかったように歩いてくる。


「よ。」


 ベンチの隣へ腰を下ろした。


「夜も速いな。」


 メルは黙ったまま横を見る。


「……。」


「……。」


 しばらく静かな時間が流れる。


 レイは夜空を見上げながら、小さく欠伸をした。


「腹減った。」


 その一言に。


 メルは思わず小さく吹き出しそうになり、慌てて口を結んだ。


(……。)


(やっぱり。)


(変な人。)


 しばらく、二人とも黙ったままだった。


 夜風だけが静かに吹き抜ける。


 やがて。


 メルがぽつりと口を開いた。


「……なんで。」


「ん?」


「なんで、わかったの。」


 レイは少しだけ首を傾げる。


「勘。」


 メルはじっと見つめる。


「……うそ。」


 レイは思わず吹き出した。


「はは。」


「まぁな。」


 それ以上は答えない。


 メルも聞かなかった。


 しばらく沈黙が流れる。


 レイが立ち上がる。


「夜食でも食いに行くか。」


 メルは少しだけ俯く。


「……。」


「……それは行く。」


 レイは少し笑った。


「そっか。」


 歩き出しかけて、ふと思い出したように振り返る。


 口元に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「でも。」


「ローズ院長には内緒にしなきゃな。」


「俺も怒られるから。」


 メルは一瞬だけ目を丸くして。


 小さく肩をすくめた。


(……。)


(やっぱり。)


(変な人。)


 そう思いながら。


 メルはレイの少し後ろを歩き始めた。


 夜の王都を。


 二人の足音だけが静かに響いていた。

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