メロリアの星
「メロリア先生、どうだった?」
アイリスが尋ねると、レイは少し笑った。
「今のところ、問題ないよ。」
「でも、あの言葉は……。」
マリーが言う。
「ああ。あの人の趣味だろ。」
「趣味?」
「人には、そういう時期があるんだよ。」
「……そういう時期。」
アイリスが繰り返す。
「誰にも言わないでおいてやってくれ。」
レイは少し苦笑する。
「後で思い出したら、本人も恥ずかしいだろ。」
「……分かった。」
マリーも頷いた。
危ないことではないと分かった。
けれど、窓に星が一つ増えるという七不思議は、まだ確かめていなかった。
⸻
夕方。
メロリアの実験室を、一人の男が訪れた。
顔立ちも髪の色も、普段のレイとは違う。
身に纏う魔力の質まで変えている。
扉を開けたメロリアは、男を見て眉を上げた。
「なんですか、その格好。」
「俺が研究に関わってると知られるのは、面倒ですから。」
「ああ。バルテシア先生の時は大変でしたもんね。」
「その節は、ありがとうございました。」
「いえ。私は、バルテシア先生が人の成果を勝手に奪う方ではないと知っているだけですから。」
メロリアはレイを中へ通した。
机の上には、過去の観測記録が年代順に並べられている。
「早速、あの光を調べるんですね。」
「ええ。レイ先生の話が気になったので。」
メロリアは、彗星の一部が見えた時の記録を指した。
「この三つは、同じ場所から観測されたものです。」
「見えた位置が違いますね。」
「彗星が移動していますから。」
「それもあると思います。でも、移動した分だけにしては、少しずれてませんか?」
メロリアが記録を引き寄せる。
「……確かに。」
レイは別の日の記録を並べた。
「光が曲がって見えてるとしたら、ずれ方にも何か共通点があるかもしれません。」
「調べてみましょう。」
二人は、見えた位置とメロリアが計算した軌道を照らし合わせた。
合わない記録もある。
だが、いくつかを並べると、ずれには似た傾向があった。
「……ここです。」
メロリアが一点を指す。
「彗星の位置が近い時ほど、見えた光の位置も似ています。」
「じゃあ、膜の影響は毎回まったく違うわけじゃない。」
「ええ。観測できれば、調べる方法がありそうです。」
メロリアは術式の紙を取り出し、書き込みを始めた。
しばらくして、窓の外が暗くなり始める。
「そろそろ移動しましょう。」
「どこへ?」
「本館の最上階です。」
「ああ……あの教室。」
レイはアイリスたちの話を思い出した。
⸻
メロリアに案内され、二人は最上階の教室へ入った。
窓の向こうには、王都の空が広がっている。
「研究室じゃ駄目なんですか?」
「この時間の彗星を見るには、あちらからでは建物が邪魔になるんです。」
教授たちに与えられた研究室は、別棟の一階や二階にある。
窓から見える空も狭かった。
「ここなら、彗星が通る辺りを直接見られます。」
メロリアは窓辺に立ち、空の一点を指した。
「それに、床を広く使えますから。」
レイが視線を落とすと、教室の床には途中まで描かれた術式があった。
「……学園には、使う許可を取ってますよね?」
「学園長に聞きましたよ。」
「それならいいです。」
レイは術式のそばにしゃがんだ。
研究室で見た紙の図より、ずっと大きい。
「この術式を、観測に合わせて調整するんですか?」
「ええ。ここから先は、実際の空を見ながら進めます。」
メロリアは窓を開けた。
夕暮れの名残が消え、二人が追う彗星の通り道へ、少しずつ星が現れ始めていた。
レイは記録を一枚、机の中央に置いた。
「この日の光は、先生が計算した位置より少し下に見えています。」
「ええ。観測した方角を変えても、ずれが残るんです。」
「ほかの日も見ていいですか?」
メロリアが記録を渡す。
二人は見えた光の位置と、計算上の彗星の位置を並べていった。
合わない記録ばかりだ。
だが、レイが光の進み方を変える条件をいくつか挙げると、メロリアはすぐに式を組み直した。
「この条件なら、どうですか?」
「……さっきより近いですね。」
「では、こちらも。」
メロリアは迷わず別の記録を引き寄せる。
レイが気づいたことを話すと、彼女はその場で確かめ、使えそうなものだけを術式へ加えていく。
「理解するの、早いですね。」
「レイ先生の説明が分かりやすいんですよ。」
「そうですか?」
「ええ。続きをお願いします。」
レイは苦笑して、次の記録を手に取った。
しばらくして、メロリアがふと窓の外を見た。
「昔は、こうして日が暮れるのを待つ時間が一番長かったんです。」
「五歳の時から?」
「はい。実家の庭から空を見ていました。」
「先生、貴族の生まれでしたよね。」
「ええ。家の用事も勉強もありましたけど、終わればすぐ外へ出ていました。」
メロリアは少し笑った。
「最初は、あの日の光がもう一度見られると思っていただけなんです。」
「なかなか見えなかった。」
「ええ。それで観測記録を読むようになって、自分でも計算を始めて。」
彼女は机の上の紙を指で押さえた。
「気づいたら、二十年経っていました。」
「続けたのがすごいですよ。」
「やめる理由がなかったんです。」
メロリアはあっさりと言い、また術式へ視線を戻した。
「子供の頃から、ほかのものにはあまり興味がなくて。」
「サリアみたいですね。」
メロリアの手が止まる。
「サリアを知っているんですか?」
「ええ。魔導具研究者のサリアですよね。」
「私の従姉妹です。」
「……そうだったんですか?」
「はい。あの子も昔から、魔導具のことばかりでした。」
レイは二人が向かい合って研究の話をするところを想像した。
「気が合いそうですけどね。」
「合いませんよ。私は星の話をしますし、サリアは魔導具の話をしますから。」
「お互い、相手の話を聞かない?」
「必要なところは聞きます。」
メロリアはさらりと答えた。
「仲が悪いわけではありません。でも、お互い研究室にいる時間の方が長いので、会うことは少ないですね。」
「なるほど。」
「それより、今の話です。この術式の向きを変えると、先ほどのずれも説明できませんか?」
「ああ。ちょっと見せてください。」
レイは紙を受け取り、続きを考え始めた。
⸻
それからも、レイは時間を見つけて実験室へ通った。
古い記録を確かめ、見えた光のずれを調べ、術式を組み直す。
レイが別の方向から疑問を出すたび、メロリアは計算で確かめた。
使える考えは、すぐ魔法陣に組み込まれていく。
魔力の反応には、最後まで説明のつかない部分があった。
「普通の魔力とは、何か違いますね。」
「ええ。でも、観測するための術式には組み込めそうです。」
二人はその違いを記録に残し、分かるところから先へ進めた。
⸻
後日。
レイが実験室へ来ると、メロリアは新しく描いた魔法陣を見せた。
「ここまでできました。」
「……早いですね。」
「レイ先生のおかげです。」
「俺は気になったことを言っただけですよ。」
「その話は、もう何度もしました。」
メロリアが紙を巻く。
「次は教室で、実際の空に合わせて調整します。」
「調整には時間がかかりそうですね。」
「ええ。今日はまだ明るいですし、始めるなら別の日がいいでしょう。」
レイは窓の外を見た。
夕方にはまだ早い。
「じゃあ、今日は飲みに行きませんか?」
「私と?」
「サリアも誘って、三人で。」
「……サリアを?」
「あいつと酒飲んだことないんですよね。」
メロリアは少し考えた。
「私も、最後に一緒に食事をしたのがいつだったか覚えていません。」
「ちょうどいいじゃないですか。」
「サリアが研究室から出てくるなら、ですけど。」
「そこは俺が誘ってみます。」
メロリアは笑った。
「では、お願いします。」




