王都の空を
階段を下り、教室の光が見えなくなったところで、マリーが足を止めた。
「……今の、何だったの?」
「分からない。」
「人類を震え上がらせるって言ってたよね。」
「うん。」
「王様がひれ伏すとも言ってた……。」
マリーは振り返り、階段の上を見た。
「先生に言った方がいいかな?」
アイリスは少し考えた。
「何をしてるのか、まだ分からない。」
「でも、あの術式、普通じゃなかったよ。」
「うん。だから、レイに聞く。」
「レイさん?」
「明日、話してみる。」
マリーの肩から、少し力が抜けた。
「そっか。レイさんなら分かるかもしれないね。」
「うん。」
二人はもう一度だけ階段の上を見た。
低い音が、まだかすかに聞こえる。
「……帰ろう。」
「うん。」
来た時と同じように、二人は静かに学園を出た。
⸻
「怪しい魔法陣?」
レイが聞き返すと、マリーは身を乗り出した。
「うん。教室の床いっぱいに広がってたの。ずっと光ってて、変な音もしてた。」
「……メロリア先生がいた。」
アイリスが続ける。
「『あと少しで、あいつをこの空に呼び出せる』って言ってた。」
「人類を震え上がらせるとも言ってたよ!」
マリーの声が大きくなる。
「あと、王様がひれ伏す姿が目に浮かぶって……。」
「なるほどな。」
レイは二人の話を聞きながら、教室の場所や術式の様子を確かめた。
マリーは見たものを思い出すたびに顔を曇らせる。
アイリスも、いつもより言葉が多かった。
「それで、二人はどうした?」
「すぐに離れた。」
「近づいたら見つかると思って。レイに話してから決めようって。」
「そうか。」
レイは頷いた。
アイリスが危険だと判断して帰ってきたなら、話を聞かずに済ませるわけにはいかない。
ただ、相手はメロリアだ。
(学園内でそんなことをするとは思えないし。あの人のことだから、星の研究だとは思うが。)
何にせよ、本人に聞くのが早い。
「俺がメロリア先生に聞いてくる。」
「レイさん、一人で大丈夫?」
「話を聞くだけだよ。」
「でも、もし本当に変なことをしてたら……。」
マリーはそこで言葉を止めた。
レイは少し笑う。
「その時は、その時だ。ちゃんと確かめてくる。」
「……うん。」
マリーが息をつく。
隣ではアイリスも、ようやく表情を緩めていた。
「二人とも、よく見つからずに帰ってきたな。」
「アイリスちゃんが、ずっと先に人がいないか見てくれたの。」
「マリーもオーラ、消せた。」
「時間かかったけどね。」
マリーが少し照れたように笑う。
レイはアイリスを見た。
(潜入にも慣れてきたみたいだな。)
人の気配を確かめながら動き、何かあれば引き返す。
今回の話が落ち着いたら、一緒に潜入調査へ連れていってもいいかもしれない。
「じゃあ、あとは任せてくれ。」
「うん。」
アイリスが頷く。
マリーも、今度ははっきりと笑った。
⸻
レイは学園の研究室を訪ねた。
扉を叩くと、中からメロリアの声がする。
「どうぞ。」
机の上には紙が何枚も広がっていた。
メロリアはその一枚に書き込みを続け、レイが入ってきてから顔を上げた。
「あら、レイ先生。珍しいですね。」
「少し、お話を聞きたくて。」
「私にですか?」
「最近、夜遅くまで研究してるそうですね。」
「ええ。」
メロリアはあっさりと頷いた。
「ようやく先が見えてきたので、使える時間は全部使っています。」
「どんな研究なんですか?」
メロリアが、意外そうにレイを見た。
「天文学ですよ。」
「それは分かってます。」
「でしたら、何を聞いているんですか?」
レイは椅子に積まれた資料を横へ寄せた。
「具体的に何を見つけようとしてるのか、です。」
その言葉に、メロリアの目つきが変わった。
「……星に興味があるんですか?」
「話を聞くくらいなら。」
「そうですか。」
メロリアは嬉しそうに笑った。
彼女は机の端から一枚の図を抜き取り、レイの前に置いた。
「では、少し見てください。」
メロリアは机の端から一枚の図を抜き取り、レイの前に置いた。
いくつもの観測地点と、その位置から見えた光が記されている。
「この光、なんだと思いますか?」
「……同じものを、別の日に観測した記録ですか?」
「ええ。ごくわずかですが、見えた人がいるんです。」
メロリアは記録を指でたどった。
「この光は、数か月ごとに王都の空へ戻ってきます。」
「数か月ごと?」
レイは図を見直した。
「それなら、かなりの人が見てそうですけど。」
「見えないんですよ。」
「見えない?」
「普段は、まったく。」
メロリアは別の紙を重ねた。
そこには、光が観測された時期と場所がまとめられている。
「ごくまれに、ほんの一部だけ見えることがあります。天文学者でも、その光を見た者は数人しかいません。」
「彗星の一部だとは思われていないんですか?」
「ええ。見えた時間も短いですし、毎回形も違いますから。」
メロリアは軌道図を指した。
「同じ天体が通っていると考えて、軌道まで計算したのは私だけです。」
「……よく、ここまで追いましたね。」
「二十年かけましたから。」
レイは、紙に並んだ日付を見た。
観測できた光はどれも小さい。
それでもメロリアは、見えなかった時期を含めて記録を重ね、彗星が通る道を探し続けていた。
「この彗星は、魔力の膜に覆われているんです。」
「だから普段は見えない。」
「それも、まだ信じてもらえていませんけどね。」
メロリアは古い観測記録を開いた。
夜空に浮かぶ細い光が描かれている。
「五歳の時、これを見ました。」
「先生が?」
「はい。ほんの一瞬、一部だけ。」
メロリアはその光を指でなぞった。
「次はもっと見えると思って、何度も空を見ました。でも、現れなかったんです。」
「それで、調べ始めたんですね。」
「ええ。」
メロリアは顔を上げた。
「私、これまでに百六個の小惑星と、三つの新しい彗星を見つけました。」
「すごい数ですね。」
「初めて見つけたのは九歳の時です。名前をつけられるのが嬉しくて、夢中になりました。」
彼女は少し笑う。
「でも、自分の名前だけは使わずに残してあるんです。」
「この彗星につけるために?」
「はい。」
メロリアは、記録に描かれた細い光を見つめた。
「いつか、あの彗星を全部見てみたいんです。」
古い観測記録を閉じる。
「それで二十年間、天文学を学び、研究してきました。」
「二十年……。」
「必要なら魔法理論も取り入れました。望遠鏡を改良するだけでは、どうにもならなかったので。」
メロリアは机に広げた術式を指した。
「そして最近、ようやくいいところまで来たんです。」
「それはすごいですね……。」
レイは術式と軌道図を見比べる。
「今まで、天文学と魔法の関係って薄いと思われがちでしたよね。」
「ええ。星を見るために魔法を使うことはありますが、研究の中心は天体そのものですから。」
「彗星って、氷や塵が集まった天体ですよね。」
メロリアの手が止まった。
「太陽に近づくと温められて、周りにガスや塵が広がる。その塵なんかが光を受けて、尾が見える。」
「……そうです。」
「でも先生の彗星は、そこへ魔力の膜が重なっている。」
レイは術式へ目を戻した。
「今回は望遠鏡を向けるだけじゃなく、魔法で膜に働きかけて観測するんですよね?」
「はい。」
「成功すれば、新しい観測方法ができる。魔法の研究にも繋がるでしょうし、天文学自体も注目されると思います。」
メロリアは、レイの顔を見た。
この彗星について話すと、たいていは存在を信じてもらうところで止まる。
レイはすでに、その先の話をしていた。
「……その通りです。」
「よかった。勘違いしてなくて。」
「レイ先生。」
「はい?」
「なぜ、そんなにすぐ信じられるんですか?」
「え?」
「私は、見えない彗星があると言ったんですよ。」
メロリアは机の上の記録を指した。
「魔力の膜で姿が隠れているとも。魔法に詳しい先生なら、そこを疑うと思いました。」
「先生の考えが正しいかは、まだ分かりませんよ。」
「ええ。」
「でも、見えない理由があるって考え方は、おかしくないです。」
「たとえば?」
「蜃気楼って知ってます?」
「聞いたことはありません。」
レイは紙の余白に、地面と人の位置を描いた。
「熱い日に、遠くの地面に水があるように見えることがあるんです。でも、そこに水はない。」
「ないのに、見えるんですか?」
「光の通り道が曲がって、別の場所の景色がそこにあるように見えるんです。」
「光が……曲がる?」
「空気の温度が場所によって違うと、光の進み方も変わります。」
レイは線を一本引き、途中でわずかに曲げた。
「目にはまっすぐ届いたように感じるから、見える場所を間違える。」
メロリアが身を乗り出した。
「つまり、この彗星も別の場所に見えている可能性がある?」
「それもあります。ただ、同じ仕組みだとは限りません。」
「……ええ。」
「魔力の膜が光に影響してるなら、膜を通った光がどうなるか調べるのもありかな、と。」
メロリアはレイが引いた線を見つめた。
「私はずっと、膜の向こうを覗く方法を考えていました。」
「はい。」
「膜を通る光そのものは、まだ調べていません。」
彼女は新しい紙を引き寄せ、術式の一部を書き写した。
その横に、レイが描いた線を並べる。
「観測記録は全部残っています。見えた時の光を、もう一度調べれば……。」
書きかけの手が止まる。
メロリアは顔を上げた。
「レイ先生って、天文学も専攻されてました?」
「いや、全く。」
「嘘。」
「本当に。」
「魔法理論学だけじゃなくて、天文学の知識もあるんですね。」
「魔法理論学も、あなたに無理矢理やらされただけで素人ですよ。」
「生徒からの評価、高かったですよ?」
「あれはディスカッション形式が珍しくて、生徒たちが楽しめただけです。」
「どちらにせよ、今この学園でここまで話せる先生はいません。」
メロリアは、レイが描いた線をもう一度見た。
「そういえば、バルテシア先生のローレン理論改式。」
「……はい。」
「最初の発想は、レイ先生だったんですよね?」
「まあ、そうですね。」
「その後も研究を手伝っていましたよね。」
「本当に補助の補助ですよ。」
「バルテシア先生は、そんなこと言ってませんでした。」
メロリアはレイを真っ直ぐに見る。
「魔法理論学の権威である方が、レイ先生は対等な共同研究者だったと言っているんですよ。」
「光栄ですね。」
「あなたは自身の能力を過小評価しすぎです。」
「そんなことはないですよ。ただ、専門でないのは事実なので。」
レイは机の図を指した。
「別の分野の俺が見て、気になったところを言っただけです。」
「そう。」
メロリアは笑った。
「それが欲しいんです。」
彼女は術式の紙をレイの方へ向ける。
「レイ先生。もう少し、付き合ってもらえますか?」
レイは紙を受け取った。
「宇宙って、ロマンがありますもんね。」
「……ええ。」
「俺にできることがあるなら、手伝いますよ。」
メロリアはすぐには答えなかった。
それから、少し嬉しそうに笑う。
「私は、レイ先生はほかの先生とは違うと思っていたんです。」
「そうですか?」
「私を避けませんから。」
メロリアは当たり前のことのように言った。
レイは少し笑う。
「避ける理由がないですし。」
「そう言う人は、あまりいませんよ。」
「先生、興味がない話はすぐ切り上げますからね。」
「時間がもったいないので。」
「知ってます。俺は別に気になりません。」
メロリアはレイを見た。
そして、机の上に残る一本の線へ視線を落とす。
「……やっぱり、頼んでよかったです。」
「まだ役に立つかは分かりませんよ。」
「それを、これから調べるんです。」
メロリアは新しい紙を広げた。
レイも隣に座り、古い観測記録を引き寄せる。
二十年間、彼女が一人で追い続けた彗星。
その研究を、今日からレイも手伝うことになった。




