王都アルトーラの人々③
そして、もう一人。
王都で働く、ある女性。
彼女には最近、誰にも上手く相談できない悩みがあった。
――私は、ストーカー被害に遭っている。
仕事帰り。
いつも少し離れた場所から、同じ男がついてくる。
家に入った後もしばらく外にいて、部屋の方を見ていることもある。
以前働いていた職場の同僚だった。
怖い。
役所にも相談した。
だが、まだ直接的な被害がない以上、すぐには動けないと言われた。
それも分かる。
物を盗まれたわけでもない。
暴力を振るわれたわけでもない。
それでも怖いものは怖かった。
かといって、大事にはしたくない。
相手とは今の仕事でも多少の関わりがある。
荒くれ者も多いハンターギルドに依頼して、揉め事になるのも嫌だった。
そんな時、友人から言われた。
「あー、そういうのなら何でも屋さんがいいと思うよ。」
友人の親がよく利用している、とても優秀な何でも屋があるらしい。
その話を聞いた日の夜。
私は、その店を訪れた。
◇
一階の応接室へ通された。
意外だった。
部屋は綺麗に整えられている。
来客用らしい家具も洒落ていて、きちんと手入れされていた。
しばらくして現れた店主も、身なりはしっかりしている。
何より、立ち居振る舞いがとても丁寧だった。
ただ――
ものすごく、やる気がなさそうだった。
「こんにちは。レイと申します。」
向かいに座る。
「内容を聞きますよー。」
軽い。
すごく軽い。
……私、来るところ間違えた?
「レイ、ちゃんと来てくれたのに。ちゃんと聞かないと。」
先ほどお茶を運んできてくれた少女が、店主を窘める。
「聞いてる聞いてる。」
従業員の少女に怒られている。
威厳の欠片もない。
帰ろうかな。
一瞬そう思ったが、せっかく来たのだ。
要望が通らなければ、その時に断ればいい。
「あの……ここって何でも屋なんですよね?」
「そうですよ。」
「何でもしてくれるんですか?」
「いいえ。なんでもはしません。」
「え?」
「自分にできる範囲なら、します。」
少しだけ意外だった。
でも――安心した。
何でもできます、と言われるより、ずっと信用できる。
この人は自分にできることと、できないことを理解している。
少なくとも、適当なことを言う人ではないらしい。
「あの……実は私……普段、男につけられていて……。」
そこまで話した時だった。
さっきまで気怠そうにしていた青年の表情が、少しずつ変わった。
真っ直ぐに、こちらを見る。
「はい。どうぞ、続けてください。」
私は事情を話した。
以前の同僚であること。
仕事上、今も多少の関わりがあること。
だから大事にはしたくないこと。
ただ、つきまとわれるのは怖い。
やめてもらいたい。
すべて聞き終えたレイさんは、少し考えてから確認した。
「なるほど……役所には、おそらく行ってますよね?」
「はい。でも、まだ何もできないって。」
「そうですよね。」
そして、私の話を整理する。
「あなたの希望としては、ストーカー行為をやめてほしい。」
「はい。」
「できる限り穏便に済ませたい。」
「……はい。」
「この二つでよろしいですか?」
「そうです。でも……確実に穏便にいくとは思ってません。」
レイさんが少しだけ笑った。
「大丈夫ですよ。」
「え?」
「こういうのは本来、役所のような公的機関や弁護士に頼むのが一番いいんですが――」
右手につけていた指貫グローブを外す。
その甲に刻まれていた、仰々しい紋章。
どこかで見たことがある。
「……え?」
そして思い出した。
「もしかして……プロハンターですか!?」
「そうです。」
嘘でしょ。
「なので、逮捕権もあります。」
急に安心してきた。
さっきまであんなにやる気がなさそうだったのに。
私が困っていると分かった瞬間、真剣に話を聞いてくれた。
そのうえ、プロハンター。
この人はきっと、仕事には誠実なんだ。
「……でも、穏便に済ませるのは難しいってことですよね。」
「どうしてです?」
「やっぱり……脅したりとか。」
「しませんよ。」
「え?」
「本人の希望があれば、そういう方法もなくはないですが。今回はしません。」
さらっと怖いことを言った気がする。
「普通にお話ししてみますよ。」
「あ……はい。」
「彼の職場や家は分かりますか?」
「職場は分かります。家は大体の場所なら……。」
「分かりました。」
レイさんは頷いた。
「早急に終わらせた方がいい案件ですが、少しだけ時間をください。明日の夜までには調査を終わらせます。」
「はい……お願いします。」
「今日は送っていきますよ。」
その帰り道。
私は気づかなかったが、どうやら近くにあの男がいたらしい。
レイさんと一緒にいる私を見て、すぐに帰っていったそうだ。
ハンターだから、そういうのに気づくのが上手いのだろうか。
翌日。
まだ昼を少し過ぎた頃。
レイさんが私の職場へやってきた。
「調査と準備が終わったので、今日、彼と話してきます。」
「え、もう?」
「はい。」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。安心してください。」
「では、また。」
それだけ言って帰っていった。
そして夕方。
仕事を終えると、またレイさんが待っていた。
家まで送ってくれるのだろうと思った。
「終わりました。」
「え?」
「依頼、完了しました。今日からもう大丈夫ですよ。」
「…………え?」
早すぎて理解が追いつかない。
「逮捕したんですか?」
「してませんよ。お話ししてきただけです。」
「それだけ……?」
「脅してもいませんし、お勤め先にも影響はないですよ。」
「…………」
「ただ、念のため今日は家まで送りますね。」
帰り道。
本当に、男はいなかった。
「今日は全くいなかったですね。」
「はい……。」
「また何かあれば言ってください。」
家の前に着く。
「報酬は五千ベルでいいですよ。」
「え!?」
思わず大きな声が出た。
「こういう依頼って、相場では最低でも三万以上だって……。」
「それは実働時間が長くなった場合でしょう。」
「でも……。」
「今回は実働時間自体そんなにないですし、特に難しい案件じゃなかったので。」
当然のように言う。
「これでいいです。」
五千ベルを受け取ると、
「では。」
あっさり帰っていった。
「…………」
なんなの、あの人。
最初の印象は最悪だった。
やる気がなくて。
軽くて。
従業員の少女にまで怒られていて。
それなのに――
あんなに悩んでいたことが、たった一日で終わってしまった。
「…………」
また何かあったら、頼もう。
自然と、そう思えた。
◇
それからしばらく経った。
家の屋根が少し壊れた。
大した破損ではない。
でも、自分では直せない。
だから私は、もう迷わなかった。
「こんにちは。」
「あ。」
レイさんは私を見るなり、すぐに表情を変えた。
「こちらへどうぞ。」
以前のような気怠さはない。
向かいに座る。
「今日はどうしました? また何かありました?」
真剣な顔。
どうやら、前の件で来たと思っているらしい。
「いえ。今日は別件で……。」
「別件?」
「屋根が少し壊れてしまって。修理をお願いしたくて……。」
「…………」
その瞬間。
レイさんの顔から、さっきまでの真剣さが消えた。
「あぁ……めんどくさいな……。」
「…………?」
何だろう。
屋根の修理が、そんなに嫌なのだろうか。
レイは、心の中で小さくため息をついていた。
――やっちまった。
以前の依頼では、彼女が何に怯え、何を望んでいるのかを考えた。
大事にはしたくない。
揉め事にもしたくない。
ただ、安心して家に帰れるようになりたい。
だから、その通りにした。
不安を少しでも減らせるよう、普段ならわざわざ見せる必要もないプロハンターの資格まで提示した。
相手のことを調べ、本人と話し、穏便に終わらせた。
その結果――
完全に信用されてしまった。
これからも何かあるたびに来るかもしれない。
また一人、客が増えた。
また仕事が増える。
――めんどくさい。
別に、前の依頼を受けたことを後悔しているわけではない。
あの時の怯えた顔がなくなっているのを見れば、それでよかったとは思う。
今こうして、屋根が壊れた程度の平和な依頼を持ってきているのだから。
それも、まあ――悪くない。
でも。
できれば断ってくれないかな。
そんな淡い期待を込めて、レイはこれでもかというほど面倒そうな顔をしてみる。
「レイ。」
「はい。」
アイリスに名前を呼ばれた。
終わった。
「……やりますよ。」
私は思わず笑ってしまった。
「何ですか?」
「いえ。お願いします。」
初めてここへ来た時なら、不安になっていただろう。
本当にこの人で大丈夫なのだろうか、と。
でも、今の私は知っている。
本当に困っている人を前にした時、この人はあんな顔をしない。
そして――
こんなに面倒くさそうな顔をしていても。
この人は、ちゃんとやってくれる。
◇
王都、アルトーラ。
今日もたくさんの人が、この街で暮らしている。
大きな出来事なんて何もなかった一日。
将来の夢を一つ見つけた少年がいた。
憧れていた人と初めて言葉を交わして、眠るまでそのことばかり考えていた少女がいた。
長く抱えていた不安から解放され、いつもの帰り道を久しぶりに安心して歩けた人がいた。
きっと本人たちにとっては、それだけで十分に特別な一日だった。
そして明日になれば、また別の誰かに。
小さな出来事と、小さな幸せが訪れる。
そんな毎日を繰り返しながら――
王都アルトーラでは、今日も人々の日常が続いている。




