ローレン理論
バルテシア教授の研究室には、今日も計算を書き込んだ紙が広がっていた。
以前、レイと共に進めたローレン理論の研究を、教授はその後も続けていた。
レイも時間を見つけて研究室を訪れている。
計算が行き詰まると、レイが別の見方を持ち込む。
教授がそれを検討し、式を組み直す。
そうして、研究は完成まであと少しというところまで来ていた。
その日、教授は書きかけの式を前に手を止めた。
「……ここは計算だけでは進められんな。」
「実証が必要ですか?」
「ああ。ただ魔力を操作するだけでは足りん。」
教授は式の一部を指で叩く。
「属性を持った魔力を、指定した通りに操作できるか確かめたい。」
「何の属性です?」
「風がいるな……。」
教授は顔を上げ、レイを見た。
「お前が……都合よく風が使えればいいのだが……。」
「あぁ、使えますよ。」
「なんと幸運! さっそくやってみせてくれ!」
「はい。」
レイは教授の指示に従い、風属性の魔力を操作した。
教授はその変化を確かめ、急いで記録を取る。
条件を変えて、もう一度。
レイはそれにも応えた。
「よし! これで先に進められる!」
本来なら、この実証のために人を探す必要があった。
風属性を使えるだけでは足りない。
高度な魔力操作ができ、教授の求める条件をある程度理解して再現できる人間でなければ、研究には協力してもらえない。
見つけた後も、研究内容を説明し、時間を取ってもらう必要がある。
それを、同じ研究室にいたレイがすべて満たしていた。
教授は記録を手元に置き、再び計算に取りかかった。
⸻
別の日。
バルテシア教授は、前回の実証結果を計算に組み込み、次の段階まで進んでいた。
だが、また手を止める。
「今度は水か……。」
「水なら使えますよ。」
レイが答えた。
教授は顔を上げる。
「おぉ、そうか! 二属性持ちか。助かるな。」
「はい。やってみましょう。」
教授が条件を伝えると、レイは水属性の魔力を操作してみせた。
教授は結果を書き留めながら、改めてレイを見る。
こいつの知識は、極端に偏っている。
魔法理論学の基礎が抜けていて、当然知っているはずのことを知らない時もある。
その一方で、魔法そのものへの知識と発想力で、行き詰まった箇所をあっさり突破してしまう。
魔力操作は正確で高度。
風も水も、属性を持った魔力を自在に扱える。
理論を一緒に考え、必要になればその場で実証までできる。
教授にとって、共同研究者として申し分ない存在だった。
そして、また別の日。
「今度は炎か。」
「使えますよ。」
「おぉ!」
バルテシアの顔が明るくなる。
「なんだ、君は三属性持ちだったのか。これは助かるな。」
「いえ、違います。」
「ん?」
「三属性持ちじゃないです。」
「…………?」
「炎、やるんですよね?」
「あ、あぁ。」
レイが炎属性の魔力を作る。
「これでいいですか?」
「…………あぁ。」
三属性持ちではない。
バルテシアは一瞬引っかかったが――今は検証が先だった。
それから数時間後。
バルテシアは計算を進めていたが、途中で手を止めた。
「……さすがにダメだな。」
「どうしたんですか?」
「今度は雷と土が必要だ。」
「あぁ、どちらもいけますよ。」
「…………。」
「やります?」
「……あぁ。」
レイは雷属性の魔力を作り、教授の指示に従って操作した。
続けて土属性も、同じように扱ってみせる。
バルテシアは記録を取り終え、しばらくレイを見ていた。
五大属性。
全部使える。
「……随分と運がいいな。」
「そうですね。」
「五属性を全部高水準で扱える者が、ちょうど目の前にいるとは。」
「まあ、親に感謝ですね。」
「……そうだな。」
五属性持ちそのものが存在しないわけではない。
だが、適性には当然偏りが出る。
五つ全てを、この男ほど自在に扱える者となれば話は別だ。
何より。
今、自分が必要としている場所にいる。
研究者としては、とてつもなくありがたい。
⸻
バルテシアは次の計算を確かめ、ペンを止めた。
「次は闇か……。」
それから、無言でレイをちらりと見る。
六属性持ちは存在する。
魔族には、闇に加えて複数の属性に適性を持つ者も多い。
もちろん、属性が増えても適性の偏りは変わらない。
五大属性を全て高水準で扱うレイが、闇まで使えるとは限らなかった。
バルテシアは何も聞かず、レイの返事を待った。
「闇は得意ですよ。」
「得意……?」
バルテシアは思わず聞き返した。
「お前、五大属性も全て高水準で扱っていたじゃないか。」
「あぁ。特に得意なのは、雷と闇ですよ。」
「……そうか。」
バルテシアはレイを見つめた。
「祖父母からの遺伝まで、強く出たんだな……。」
レイは頷き、教授の次の指示を待った。
バルテシアは改めてレイを見る。
戦闘職として一つを極めるには、多すぎる適性は中途半端になりやすい。
だが、何でも屋なら話は違う。
依頼に合わせて属性を使い分けられる。
講師としても、自分で扱える属性が多ければ、教えられることは増える。
何でも屋も講師も、こいつの適性に合っている。
以前の自分なら、素直にそう認めなかっただろう。
今はレイを悪い男だとは思わない。
それでも、かつて気に入らなかった相手の才能を認めるのは、少しだけ悔しい。
――認めたくはないが、天職なのだろう。
⸻
バルテシアは計算を続けていたが、ふと手を止めた。
しばらく式を眺めてから、レイの方を見る。
「レイ。」
「はい。」
「光を頼む。」
「あ、無理です。」
「おい。お前ならすぐだろ。何か予定でもあるのか?」
「いえ、使えません。」
バルテシアはペンを置いた。
「お前、そういう意地悪をするタイプじゃないだろ。早くしろ。」
「光は使えないですよ。」
「六属性使えるんだから、光もいけるだろ!」
「いえ、使えません。」
レイは少し考える。
「あ、毒なら使えますよ。」
「七属性!?」
「はい。」
「それならなおさら光もいけるだろ!」
「あとは氷も使えますけど、光は無理です。」
バルテシアはレイを見つめた。
「お前はなんなんだ!!」
「そんなこと言われても…」
バルテシアはしばらくレイを見ていたが、やがてペンを取り直した。
「……いや、今は研究だ。」
必要なのは、光属性の魔力を操作できる人間だった。
「周りに、光を扱えて高度な魔力操作ができる者はいないのか?」
「あー、いますよ。」
「本当か?」
「ルコってやつが光持ちです。」
「呼んでもらえるか?」
「はい。」
⸻
レイに呼ばれ、ルコが研究室へやってきた。
バルテシアは研究の内容と、必要な操作を説明する。
「なるほど。やってみよう。」
ルコは光属性の魔力を作った。
そこまでは問題ない。
だが、教授の指定した通りに動かそうとすると、途中で形が崩れる。
何度か試して、ルコは手を下ろした。
「おい、レイ。」
「何だよ。」
「お前がやれよ。俺には無理だ。」
「いや、光は使えないし。」
「なんでお前は光だけ使えねぇんだよ!」
「知らねぇよ!」
バルテシアは二人の顔を交互に見た。
八つもの属性を扱える男が、必要な光だけ使えない。
光を使える男は、必要な操作を再現できない。
「……喧嘩は後にしてくれ。」
「喧嘩じゃない。」
レイとルコの声が重なった。
バルテシアはため息をつき、手元の計算を見直した。
「他に、魔力操作に長けた者はいないのか?」
バルテシアが尋ねる。
「……まぁ、いますけど。」
「呼べないのか?」
「今、授業中なんで。」
「授業中……?」
「はい。アイリスです。」
「アイリスくんが!?」
バルテシアは目を見開いた。
「まだ中等部一年だろう。奴隷から解放されたのは聞いているが……。」
「まぁ、アイリスなら問題ないですよ。」
「……お前がいうならそうなのだろう。」
「休み時間に呼んでくれるか?」
「嫌ですよ。」
「なぜだ?」
「あいつは授業をしに来てるんですよ。」
「休み時間くらい休ませてあげてくださいよ。」
「…………。」
「こんなことで呼びたくないですし。」
「こんなこと!?」
「授業が終わってからでいいじゃないですか。」
「急ぎじゃないでしょ?」
レイは計算の残る机を指さした。
「それまで、別のところを進めましょう。」
「……そうするか。」
レイはルコの方を向いた。
「ルコ、ありがとな。」
「いや、俺の方こそ。うまくできなくてわりぃな。」
「お前は商売人だろ。気にすんな。」
⸻
その日の授業が終わってから、アイリスが研究室にやってきた。
バルテシアが必要な操作を説明する。
「これを、指定した通りに動かしてほしい。」
「はい。わかりました。」
アイリスは一度試しただけで、教授の求めた条件を満たした。
「これでいいですか?」
「……あぁ。十分だ。」
結果を書き留める。
光の実証も終わった。
教授はレイとアイリスを交互に見てから、また計算へ戻った。
⸻
レイとアイリスが研究室を出た後も、バルテシアは一人で計算を見直していた。
必要だった実証は、ひとまず揃った。
そこでようやく、研究中に横へ置いていた疑問が戻ってくる。
レイは八つもの属性を扱えるのに、光だけは使えない。
プロハンターのルコにも難しかった操作を、中等部一年のアイリスは一度でやってのけた。
ここ最近、驚くことが多すぎた。
普段なら一つずつ確かめていたはずだ。
だが、そのたびに研究を止めるわけにはいかなかった。
ローレン理論は、もう改善点も反証も見つからないと言われてきた理論だ。
バルテシア自身、かつて見つけた小さな改善点で名を残している。
小さな改善でも、それほどの功績になる。
今回レイと進めている研究は、その比ではなかった。
計算と実証が示しているのは、理論の根本から式を組み直す可能性だった。
完成すれば、ローレン理論の改式と呼ぶべきものになる。
だからこそ、目の前で何が起きても、まず研究を進めた。
バルテシアはペンを置き、ようやく息をつく。
レイとアイリスについて聞きたいことは、いくらでもある。
だが今は、机の上の結果をもう一度、最初から確かめることにした。




