盗みの代償
「泥棒だー!!」
下級区の市場通りに、男の叫び声が響いた。
人混みを縫うように、一人の少年が駆け抜ける。
抱えているのは、焼きたてのパンが詰まった袋。
年の頃は十二歳ほど。
必死な表情で後ろを振り返りながら走っていた。
「どいてくれ!」
その進行方向には、一人の青年が歩いていた。
青年は慌てることもなく、一歩だけ身体を横へずらす。
そして――。
少年の足元へ、ほんの少しだけ足を添えた。
「うわっ!」
勢いよく前のめりになった少年は、そのまま地面へ倒れ込む――はずだった。
しかし、その身体は途中で止まる。
青年は倒れる勢いを利用して少年を抱え上げ、くるりと一回転。
衝撃を逃がすように着地させた。
「よし、捕まえた。」
少年は目を丸くしたまま固まる。
「暴れるなよ。」
穏やかな声だった。
だが、その腕はびくともしない。
⸻
パン屋へ戻る。
「レイさん!」
店主が安堵したように駆け寄ってきた。
「助かったよ!」
「いや。」
レイは少年へ視線を向ける。
「返せ。」
少年は黙ったままパンの袋を差し出した。
レイはそれを店主へ渡す。
「次。」
少年は顔を上げる。
「謝れ。」
しばらく沈黙が流れる。
やがて少年は小さく頭を下げた。
「……ごめんなさい。」
店主はため息をつく。
「最近、この辺で盗みを繰り返してた子なんだ。」
「レイさん、あとは任せてもいいかい?」
「あぁ。」
レイは軽く頷く。
「行くぞ。」
少年の肩を軽く押し、その場を離れる。
少し歩いたところで、レイが横目を向いた。
「逃げても無駄だぞ。」
「俺、泥棒捕まえる権限持ってるから。」
「……。」
⸻
人気のない路地。
二人の足音だけが響く。
しばらく歩いてから、レイが口を開いた。
「なんで盗んだ。」
少年は俯いたまま答える。
「……妹が、お腹すいたって。」
「そうか。」
レイは少しだけ間を置く。
「じゃあ聞く。」
「お前が捕まって牢に入ったら、その妹は誰が食わせる。」
少年の足が止まる。
「……。」
「考えたか。」
「……ごめんなさい。」
「謝る相手は俺じゃない。」
「……うん。」
「罪は償え。」
少年は小さく頷く。
「はい。」
レイは少しだけ笑った。
「よし。」
「じゃあ、ちゃんと償ってもらおう。」
⸻
「おーい。」
工房の扉を開ける。
「いるかー。」
「おぉ、坊主か。」
奥から大柄な男が顔を出した。
「珍しいな。」
「相談。」
「なんだ?」
レイは少年の背中を軽く押す。
「こいつ仕事探してる。」
「雇えない?」
親方は少年をじっと見る。
「……盗みでもやったか。」
「やった。」
「でも反省してる。」
「飯を食わせるためだった。」
「ほう。」
腕を組み、少年を見つめる。
「え……償うって……」
少年が恐る恐る尋ねた。
レイは肩をすくめる。
「安心しろ。」
「ここの仕事は、すげぇしんどいぞ。」
「……え?」
「働け。」
「盗んだパン代を、自分で稼げ。」
「それを自分の足でパン屋へ返しに行け。」
少年は呆然とレイを見つめる。
「その時、店主さんが許してくれなかったら。」
「その時はちゃんと逮捕する。」
「だから、その時は俺も一緒について行く。」
「逃げるな。」
「最後まで自分の責任を果たせ。」
親方が口を開く。
「坊主。」
「うちは朝から晩まで働くぞ。」
「逃げたくなるくらいきつい。」
少年は唇を噛み、ゆっくり頷いた。
「……やります。」
親方はしばらく黙って少年を見つめていた
「……よし。」
「うちで預かろう。」
「ただし、逃げたら終わりだ。」
少年は力強く頷く。
「はい!」
親方はレイへ視線を向ける。
「お前が連れてくる奴は、変なのばっかりだな。」
レイは苦笑する。
「今回は、まだやり直せる。」
「そう思っただけだ。」
レイは少年へ向き直る。
「ただ働くだけじゃ終わらない。」
「……?」
「給金が入ったら。」
「盗んだ店、全部回るぞ。」
「……全部?」
「全部だ。」
「盗んだんだからな。」
「自分で謝って、自分で返せ。」
「許してもらえなかったら?」
「その場で俺が逮捕する。」
「それが俺の仕事だ。」
⸻
一週間後。
少年は工房で汗を流し続けた。
朝早くから日が沈むまで働き、初めて手にした給金を握りしめる。
その金を持って、盗みを働いた店を一軒ずつ回った。
パン屋。
少年はぎこちなく金を差し出す。
「……あの時のパン代です。」
店主は黙って受け取り、後ろに立つレイへ視線を向けた。
「レイさん。」
「うちは大丈夫だから。」
レイはその意味を理解し、小さく頷いた。
店主は少年へ向き直る。
「工房の親父から聞いてるよ。」
「毎日、へとへとになるまで働いてるんだってな。」
少年は黙って頭を下げた。
店主はため息をつき、小さく笑う。
「もういい。」
「次からはちゃんと買いに来な。」
「売ってやる。」
そして照れくさそうに付け加えた。
「おまけくらいは付けてやるよ。」
⸻
最後の店を出た帰り道。
レイは少年へ視線を向けた。
「とりあえず、みんな許してくれた。」
「逮捕はしない。」
「どうだ?」
「一週間働いてみて。」
少年は照れくさそうに笑う。
「こんなに疲れたことないってくらい、毎日しんどかったです。」
「でも……今日、みんなに謝って、許してもらえて……。」
「うまく言えないけど。」
「妹に胸を張れる気がします。」
「そうか。」
レイは短く答える。
「お前、家は?」
「家賃が払えなくて……もう追い出されます。」
「でも。」
「レイさんがお仕事を紹介してくれたから。」
「もっと家賃の安いところを探そうと思ってます。」
「そうか。」
少しだけ歩き、レイは思い出したように口を開く。
「そういえば、お前の妹、まだ八歳だったな。」
「はい。」
「一応、孤児院には話をつけてある。」
少年は驚いて立ち止まる。
「え……?」
「妹を連れて見に行こう。」
「生活が落ち着くまでは、あそこにいた方が安心だ。」
「昼間ならいつでも会いに行ける。」
「ちゃんと働いて。」
「生活できるようになったら迎えに行けばいい。」
少年はしばらく何も言えなかった。
やがて深く頭を下げる。
「……ありがとうございます。」
レイは少し照れくさそうに頭をかいた。
「礼なら、妹を幸せにしてから言え。」
「今はまだ早い。」
そう言って、いつものように笑いながら歩き出した。




