ノアの才能
数日後。
「…………。」
ノアは、自分の前に積まれた資料を見ていた。
情報調査部が現在抱えている案件。
調査中のものから、まだ動き始めてすらいないものまで。
それだけではない。
誰が担当しているのか。
どこまで調査が進んでいるのか。
現在分かっている情報。
今後の方針。
外部には出せない、ビヨンド商会内部の情報まで含まれている。
「…………。」
多い。
かなり多い。
だが。
(……これ、俺が見ていいんだよな?)
隊長補佐なのだから。
当然といえば、当然なのかもしれない。
それでも今までは、一つずつ仕事を持ってきてもらっていた。
それが突然、全て渡された。
ノアは一枚ずつ、資料を確認していく。
「…………。」
最初は。
ただ、読むだけだった。
自分に何ができるのかも、よく分からない。
だが。
「あれ?」
一枚の資料で、手が止まった。
ある商人についての調査。
最近、王都へ入ってきた人物。
現在は、取引相手を調べている途中らしい。
(この名前……。)
見覚えがあった。
いや。
資料で見たわけではない。
数日前。
トーリア家を訪れていた商人が、話していた。
直接、この人物について話していたわけではない。
ただ、最近。
南部から来た商人が、王都のいくつかの店へ声をかけている、と。
その時は。
特に気にも留めなかった。
よくある商売の話。
それだけだった。
だが。
「…………。」
ノアは別の資料を取る。
そこに書かれている店の一つ。
聞いた名前と一致している。
(これ……関係あるんじゃないか?)
もちろん。
まだ分からない。
ただ。
調べる価値はありそうだった。
⸻
「ゲルムさん。」
「はい。」
「少しいいですか?」
「もちろんです。」
ノアは二枚の資料を机に置いた。
「この案件なんですけど。」
「はい。」
「この店、先に調べてもらった方がいいかもしれません。」
「……何かありましたか?」
「数日前に、似たような話を聞いたんです。」
ノアは覚えている範囲で説明する。
ゲルムは黙って聞いていた。
「ただ、同じ人のことなのかは分かりません。」
「いえ。」
ゲルムは資料を見る。
「十分です。確認させます。」
「あ、それと。」
「はい。」
「この人なら、前にこの辺りを調べてませんでした?」
ノアが担当者の一覧を指す。
「えぇ。」
「だったら、その人に頼んだ方が早いかなって。」
「…………。」
ゲルムはノアを見る。
「何か?」
「いえ。」
僅かに。
口元を緩める。
「その通りです。」
「じゃあ、お願いします。」
「分かりました。」
⸻
翌日。
ノアが伝えた情報は当たっていた。
完全に同じ話ではなかった。
だが。
そこから新しい繋がりが見つかり、調査は一気に進んだ。
ノア自身が調べたわけではない。
現場へ向かったのは、ビヨンドの諜報員。
詳しい情報を手に入れ。
裏を取り。
必要なところまで調査を終わらせたのも。
全て、プロの仕事だった。
ノアがしたのは。
自分が偶然聞いていた話を伝え。
その仕事に最適な人間を選んだ。
それだけ。
だが。
「…………。」
ノアは、完了した案件を見る。
(これで……いいのか。)
今まで。
諜報員という仕事を。
自分が潜入して。
自分で情報を盗み。
必要なら誰かを尾行して。
そうやって、自分自身が現場で何かをする仕事だと思っていた。
だから。
ずっと分からなかった。
なぜ、自分なのか。
潜入なんて、まともにできない。
戦闘能力だって高くない。
貴族のパーティーへの潜入を頼まれても断った。
王城など、考えるまでもない。
普通の会社への潜入ですら。
何もできずに帰ってきた。
それなのに。
ゲルムは、一度も自分を切ろうとしなかった。
それどころか。
最初から。
隊長。
それを断れば。
隊長補佐。
そんな役職を用意していた。
(…………待てよ。)
ノアは、目の前にある資料を見る。
そして。
少しずつ。
今までのことを思い返す。
自分は。
最初から、隊長補佐として雇われている。
(もしかして……。)
現場で誰より上手く潜入することを。
求められていたわけではないのか。
誰より強く戦うことを。
求められていたわけでもない。
隊長補佐。
人を動かす側。
案件を見て。
必要な情報を集め。
誰に任せるべきなのかを考える。
現場の人間が動きやすいように。
その前段階を整える。
(……そういうことか。)
妙に。
腑に落ちた。
それなら。
今の自分は。
少なくとも、上手くやれている気がする。
自分で潜入しなくてもいい。
自分では調べられないことなら。
調べられる人に任せればいい。
その人が、少しでも早く答えへ辿り着けるように。
自分が持っている情報を渡せばいい。
(だから……。)
今まで。
詳しいことを教えてもらえなかったのかもしれない。
こういう。
表には出ない仕事。
最初から全ての情報が揃っているとは限らない。
少ない情報から。
必要なものを見つけ。
繋ぎ合わせ。
何が起きているのかを考える。
その能力が必要になる。
だから。
知っていて当然。
分からないなら、自分で辿り着く。
それくらいのものを求められていたのだとしたら。
「…………。」
ノアは、少しだけ笑った。
(なんだ。)
ずっと。
自分には分不相応な場所だと思っていた。
なぜ、こんな自分が。
そう思っていた。
だが。
(最初から、こっちの才能を見込まれてたんだ。)
⸻
それから。
ノアは変わった。
依頼を持ってこられるのを、待たなくなった。
時間があれば情報調査部へ顔を出し、自分から案件を確認する。
それでも。
自分で現場へ出ようとはしなかった。
できないことは、できない。
そこは何も変わらない。
代わりに。
「この案件、まだ動いてないんですか?」
「はい。今は人が足りなくて。」
「だったら、こっちを後にできませんか? こっちは相手がしばらく王都にいるはずなので。」
「確認します。」
「お願いします。それなら一人空きますよね?」
「えぇ。」
「じゃあ、その人をこっちに。前に似た仕事してましたよね?」
「分かりました。」
人を動かす。
別の日には。
「ノアさん。この情報、どこから?」
「トーリア家に来た人が話してました。」
「直接?」
「いえ。全然違う話をしてたんですけど……こっちの案件と合わせたら、関係あるかなって。」
「すぐ確認します。」
「まだ確定じゃないので、無駄足だったらすみません。」
「それを判断するのはこちらの仕事です。」
「あ、はい。お願いします。」
情報を繋げる。
また別の日には。
「これ、早くした方がいいと思います。」
「理由は?」
「この人、近いうちに王都を出るらしいです。」
「……どこでそれを?」
「昨日聞きました。」
「分かりました。優先順位を上げます。」
必要なものを。
必要な人間へ。
自分が全てを解決する必要はない。
ビヨンドには。
自分より遥かに潜入が上手い人間がいる。
尾行が得意な人間も。
交渉が得意な人間も。
特定の地域に詳しい人間もいる。
なら。
その人たちが一番動きやすい状態を作ればいい。
ノア自身。
その仕事は嫌いではなかった。
むしろ。
自分でも驚くほど。
性に合っていた。
◇
「……また早くなっているな。」
「はい。」
ゲルムは、提出された報告書を見ていた。
案件の平均処理日数。
以前より。
明らかに短い。
「こちらもです。」
部下が別の資料を置く。
「ノアさんから情報をいただいて、調査開始を前倒しできました。」
「結果は?」
「既に完了しています。」
「…………。」
偶然ではない。
全案件を共有してから。
明らかに。
情報調査部全体の動きが変わった。
ノア自身が現場へ出ているわけではない。
だが。
現場へ出る前に。
必要な情報が、以前より揃っている。
案件によっては。
調査対象すら、かなり絞られている。
さらに。
適性のある人間へ仕事が回ることが増えた。
結果。
一つの案件にかかる時間が減る。
空いた人間が、別の仕事へ回る。
それによって。
さらに多くの案件を処理できる。
情報調査部だけではない。
手に入れた情報が早く各部署へ渡ることで。
商談。
取引。
競合への対策。
ビヨンド商会そのものの動きまで、僅かずつ早くなっていた。
「…………。」
ゲルムは資料を置く。
最初。
ノアには。
特別な案件だけを任せるつもりだった。
必要な時だけ。
こちらから依頼する。
受けられないなら、断ってもらって構わない。
それだけでよかった。
隊長補佐という役職も。
ノアほどの人間に相応の立場を用意するためのものだった。
日々。
こうして情報調査部の仕事をさせるためではない。
それなのに。
今では。
頼んでもいないところまで。
自ら動いている。
「…………。」
月三百万ベル。
ゲルムたちが考えるノアの価値からすれば。
安い。
あまりにも。
「ゲルム隊長?」
「いや。」
ゲルムは首を振る。
「何でもない。」
だが。
思い当たることは。
一つだけあった。
最初に接触した時。
自分は。
ノアへ情報を渡した。
あの女性の夫が。
二人の関係を疑い始めている、と。
結果として。
ノアは危険を避けることができた。
(……私への恩、か。)
それ以外に。
ここまでしてくれる理由を。
ゲルムには思いつかなかった。
だとすれば。
なおさら。
その好意に甘え続けるわけにはいかない。
「…………。」
ゲルムは、もう一度。
ノアが整理した案件を見る。
そして。
静かに息を吐いた。
⸻
一方。
ノアも。
ようやく、自分の立場に納得していた。
潜入はできない。
戦闘もできない。
それでも。
自分にできる仕事はあった。
それどころか。
今の自分は、それなりに上手くやれていると思う。
「…………。」
ノアは、目の前に並んだ案件を見る。
考えてみれば。
最初から、そうだったのかもしれない。
ビヨンド商会に誘われ。
隊長補佐として働き始めてから。
最初に任されたのは、現場での仕事だった。
潜入。
情報収集。
自分自身が動いて、情報を持ち帰る仕事。
できないものもあった。
断った依頼もある。
失敗した依頼もある。
だが。
一つ。
自分の力で、依頼を達成した。
そして、その後。
月収は二百万ベルから、三百万ベルへ上がった。
(…………あ。)
ノアの手が止まる。
(もしかして。)
あれは。
研修期間だったのか。
現場の人間を動かすなら。
まず、自分が現場を知らなければならない。
どんな仕事をしているのか。
何が難しいのか。
何が危険なのか。
それを知らなければ。
誰に、何を任せるべきなのかも分からない。
(……確かに。)
現場を知ることは大事だ。
そして。
一つの依頼を、自分の力で達成した。
その後に。
給料が上がった。
(やっぱり、そういうことか。)
あそこで。
最低限、現場の仕事を経験した。
そう判断されたのだろう。
だから。
二百万ベルから、三百万ベルへ。
給料が上がった。
そして、その後。
ゲルムから渡されたのが。
情報調査部が抱えている、全ての案件だった。
「…………。」
ノアは改めて、その資料を見る。
今までは。
一つの依頼を渡され。
自分が動いていた。
だが、今は違う。
全ての案件を見て。
どれを優先するのか。
誰に任せるのか。
どんな情報が必要なのか。
それを考える。
自分で現場へ出る必要はない。
潜入が得意な人間には、潜入を任せればいい。
尾行が得意な人間には、尾行を任せればいい。
自分がするべきなのは。
その人たちが、少しでも動きやすくなるように。
必要な情報を集め。
整理し。
適切な人間へ渡すこと。
そして。
実際に。
それで上手くいっている。
案件の処理は早くなった。
以前なら時間がかかっていた調査も。
最初からある程度、対象を絞れるようになった。
空いた人間を、別の案件へ回せる。
そこから得られた情報が。
ビヨンド商会の取引や商談に使われることもある。
少なくとも。
今の自分は。
隊長補佐として。
ちゃんと、役に立てている。
(…………やっぱり。)
ノアは、小さく頷く。
(最初から、管理する側として採用されたんだな。)
ようやく。
全部が繋がった。
最初に現場の仕事を任されたのは。
現場を知るため。
一つの依頼を達成した後。
給料が上がったのは。
そこで、研修期間を終えたから。
そして。
全案件を渡されたのは。
正式に。
隊長補佐としての仕事を任されたから。
今まで。
詳しい情報をほとんど与えられなかったことにも。
理由があったのだろう。
情報調査部。
表には出ない仕事だ。
最初から。
全てを教えてもらえるとは限らない。
少ない情報から。
必要なものを拾い。
それらを繋ぎ合わせ。
何が重要なのかを判断する。
そういう能力が必要になる。
だから。
知っていて当然。
知らなければ、自分で調べる。
それくらいのものを。
最初から求められていたのだ。
「…………。」
今まで。
ずっと不安だった。
なぜ、自分なのか。
どうして。
自分なんかが、隊長補佐なのか。
潜入もまともにできない。
戦闘能力だってない。
そんな自分の。
何を評価されたのか。
分からなかった。
だが。
もう。
その必要はない。
(こっちだったんだ。)
自分にも。
ちゃんと。
評価されたものがあった。
現場で戦うことでも。
誰にも気づかれず潜入することでもない。
情報を集め。
繋ぎ。
人を動かす。
そのための能力。
それを。
ゲルムは最初から見ていたのだ。
「…………よし。」
ノアは。
次の案件を手に取った。
なら。
あとは。
期待された仕事を、真面目にやればいい。
ようやく。
自分がここにいる理由を理解して。
ノアは。
本当の意味で。
情報調査部、調査隊隊長補佐として働き始めた。
⸻
こうして、ビヨンド商会は。
正体不明の大会優勝者との独占契約を手に入れた――と、今も信じたまま。
優秀な管理職を、一人手に入れた。




