密会
俺は決勝で、おそらく全世界の十代で一番有名な奴。
ヒナ・ヴィルガルムを撃破した。
優勝賞品の《魔女の口づけ》は、予定通りトーリア公爵へ。
その後、娘の友人に使用された。
俺の仕事はそれで終わり。
翌日からは、何事もなかったように見習いへ戻った。
「アノン! そっち終わったか!」
「もう少しです!」
「終わったらこっち手伝え!」
「はい!」
いつも通り。
先輩に指示され、言われた仕事をこなす。
分からないことは聞く。
注意されれば直す。
訓練では適当に負ける。
大会で優勝したからといって、俺の仕事が変わるわけじゃない。
そんなある日。
屋敷を出て、いつものように寮へ向かう。
(…………。)
いるな。
俺を追っている奴がいる。
距離は十分に取っている。
視線もほとんど感じない。
人の流れも使っている。
(結構うまいな。)
大会関係か。
それとも、本来の任務に関係する人間か。
まだ分からない。
こちらから確認する必要もない。
しばらく泳がせればいい。
俺はそのまま寮へ戻った。
◇
翌日。
「遅い!」
「すみません!」
「昨日も言っただろ!」
「はい!」
「分かってるなら動け!」
「すみません!」
怒られながら走る。
少し離れたところに、昨日と同じ魔力。
(今日もいる。)
なるほど。
狙いは俺か。
だったら、なおさら何もしなくていい。
見習いとして働く。
先輩について回る。
昼になれば飯を食う。
午後も仕事。
訓練では負ける。
それだけ。
そして仕事が終わった。
屋敷を出る。
今日もいる。
(さて。)
今日は寮へ戻らない。
元々、約束がある。
尾行されているからといって予定を変えれば、逆に不自然だ。
いつも通り歩き、大通りを抜ける。
少し人通りの減った道へ入り、一軒の宿屋へ。
そのまま中へ入った。
◇
「遅かったわね。」
「仕事ですから。」
「見習いって大変なのね。」
「結構こき使われてますよ。」
「ふふっ。あなたが?」
「俺が、ですよ。」
「想像できないわ。」
「真面目に働いてるんですけどね。」
向かいに座る女性が笑う。
二十代後半。
既婚者。
俺がここで定期的に会っている相手だ。
「それで? 今日は何してたの?」
「荷物運んで、掃除して、訓練して。」
「普通ね。」
「見習いですから。」
「もっと面白い話ないの?」
「じゃあ、そっちは?」
「私?」
「この前の続き。旦那さん、結局どうなったんです?」
「ああ、それがね――。」
話を聞く。
別に、特別なことはしない。
旦那への愚痴。
近所であったこと。
最近会った人。
仕事の話。
誰がどこへ行った。
誰と誰が会っていた。
何が最近増えた。
そんな話が、たわいない会話の中に混ざっている。
必要なものだけ覚えておけばいい。
「それで主人が、最近また帰りが遅くて。」
「仕事ですか?」
「そうみたい。最近、よく同じ人と会ってるのよ。」
「へえ。」
「前にも話したでしょう?」
「ああ、あの人ですか。」
「そう。その人。」
覚えておく。
それ以上は聞かない。
聞きすぎれば、不自然になる。
「でも、本当に仕事なのかしら。」
「どうでしょうね。」
「あなたはどう思う?」
「俺に聞きます?」
「だって男でしょう?」
「男なら旦那さんの考えてることが全部分かるわけじゃないですよ。」
「役に立たないわね。」
「ひどいな。」
笑う。
また別の話になる。
それでいい。
しばらく話していると。
「アノン。」
「はい?」
顔が近づいた。
俺は軽く身体を引く。
「ダメですよ。まだ。」
「……どうして?」
「本気だからですよ。」
「…………。」
「ちゃんと全部終わってからです。」
「……そういうところ、ずるいわね。」
「何がです?」
「何でもない。」
少し照れたように離れていく。
(これでいい。)
若いのに遊びじゃない。
ちゃんと自分に本気なんだと思ってもらえる。
それに、身体の関係を持てば、どうしても距離感が変わる。
本人たちには分からない程度の些細な変化でも、周りから見れば違和感になることがある。
情報を取るための関係で、余計な痕跡を増やす必要はない。
それに。
(俺、キスなんてしたことないしな……。)
さすがに変な違和感を持たれるかもしれない。
そのまま二時間ほど過ごし。
俺は先に宿屋を出た。
(まだいるな。)
尾行していた奴は、外で待っている。
宿屋へ入ってからも動いていない。
(中までは見てないか。)
当然か。
そのまま何も気づいていないふりをして歩く。
少し時間を空けて、彼女も出るだろう。
別々に帰る。
いつも通りだ。
◇
ジャルムは、宿屋を見ていた。
アノンが出てから、しばらく。
一人の女性が出てくる。
二十代後半。
少し調べれば、身元はすぐに分かった。
既婚者。
「…………。」
十代。
トーリア公爵家の見習い。
仕事が終わったあと、宿屋へ入り。
二時間。
時間を空けて出てきた既婚女性。
「不倫……?」
ジャルムは考える。
いや。
あれだけ顔がいいなら、人妻じゃなくていいだろう!
若い女なら、いくらでもいる。
それに。
「私の方が大人の魅力がある。」
なら。
あれは不倫なんかじゃない。
別の目的がある。
「……情報収集か?」
既婚女性との密会。
人目を避けられる宿屋。
定期的な接触。
相手から情報を引き出すために、恋仲を演じている。
そう考えれば。
説明はつく。
「…………。」
ジャルムは宿屋を見上げた。
まだ確証はない。
だが。
ただの見習い。
その可能性だけは。
もう、かなり低いように思えた。
それからしばらく。
俺は今まで通り、トーリア家の見習いとして働いていた。
俺を尾けている男も、相変わらずいる。
大会の後から俺を調べている。
なら、俺が優勝者だと疑っている可能性は高い。
だが。
あの男が、俺と彼女の関係をどう見ているのか。
普通に不倫だと思っているのか。
それとも。
情報収集のための接触だと気づいているのか。
そこまでは、まだ分からない。
どちらにしても、今のところ向こうから接触してくる様子はない。
なら、こっちから動く必要もない。
見習いのふりを続けながら、何をしてくるのかを見る。
そんなある日。
仕事を終え、人気の少ない道へ入ったところで。
「アノンさん。」
「……?」
足を止める。
振り返ると、少し離れた場所に男が立っていた。
(ようやく来たか。)
「誰だ?」
「あなたのことを、少し調べさせてもらいました。」
「……は?」
「ある女性と。」
男は淡々と続ける。
「宿屋で定期的に密会していますよね。」
「…………!」
表情を変える。
「その女性の夫が、あなたとの関係を疑っています。」
「……っ。」
それも知っている。
夫がこちらを疑い始めていることには、既に気づいていた。
だが。
今の俺は、そんなことを知らない見習いだ。
「あなたなら、既にご存知かとは思いましたが。」
男は俺の反応を見ながら続ける。
「念のため、伝えておこうと思いまして。」
「…………。」
「私は伝えましたからね。」
それだけ言うと、男は背を向けた。
「では。」
「待て!」
後ろから声をかける。
「お前、誰なんだ!」
男は足を止めた。
少しだけ振り返る。
「私のことは。」
一拍。
「Jとお呼びください。」
そして、そのまま歩き去った。
「…………。」
(J……。)
まあいい。
俺が優勝者だと疑い、接触するきっかけを作った。
そう考えるのが自然だろう。
俺に情報を渡したのも。
おそらく、恩を売るため。
ただ。
どこまで分かっている。
大会優勝者だと疑っているだけなのか。
彼女との密会も、ただの不倫だと思っているのか。
それとも。
俺が何をしているのか、その一部まで見えているのか。
(まだ分からないな。)
なら。
見習いのままでいい。
向こうが次にどう動くのか。
もう少し見てみよう。
◇
翌日。
仕事を終えたあと、彼女に会った。
「すみません。少し話があるんですけど。」
「どうしたの?」
「昨日、変な男に声をかけられまして。」
「変な男?」
「俺たちが宿屋で会ってることを知ってました。」
「…………。」
彼女の表情が変わる。
「旦那さんが、俺たちの関係を疑ってるらしいです。」
「……あの人が?」
「多分、旦那さんが頼んだ人だと思います。」
「…………。」
「なので、しばらく二人きりでは会わない方がいいと思います。」
「……そうね。」
少し寂しそうに俯く。
「仕方ないね。分かった。」
「すみません。」
「アノンが謝ることじゃないでしょ。」
「それでも。」
「…………。」
彼女が小さく笑う。
「本当に真面目ね。」
「本気ですから。」
「……またそれ言う。」
これでいい。
夫が疑っていることは、当然知っていた。
そして。
当然、あの男は夫に雇われた人間ではない。
もし夫が人を雇ってこちらを調べているなら、とっくに把握している。
だが。
アノンは、そんなことを知らない。
トーリア家で働く、ただの見習い。
知らない男から突然声をかけられ、密会を把握されていると知った。
なら。
夫が雇った人間だと考える。
そして、彼女との密会をしばらくやめる。
その方が自然だ。
情報収集そのものをやめるわけでもない。
二人きりで会わなければいい。
それに。
夫がこちらを疑っているなら、それはそれで使える。
向こうから俺へ接触してくる可能性もある。
そうなれば。
今度は夫本人と自然に繋がれる。
(まあ、その時はその時か。)
◇
翌日。
仕事を終え、屋敷を出る。
(いるな。)
昨日までと同じ位置。
あの男は、今日も俺を見ている。
角を曲がる前に、後ろを見る。
人の多い場所へ入れば、何気なく周囲を確認する。
店の窓に映る後方へ視線を向ける。
もちろん。
全部、必要ない。
《センス》を使えば、振り返る必要なんてない。
どこにいるのかも。
誰がこちらを見ているのかも。
最初から分かっている。
でも。
昨日まで尾行に気づいていなかった見習いが。
知らない男から突然、密会まで把握されていると知らされた。
なら。
多少、周囲を警戒するようになる。
その方が自然だ。
(さて。)
俺が優勝者だと疑っている可能性は高い。
恩を売ろうとしているのも、おそらくそうだろう。
ただ。
どこまで見えているのか。
何のために俺と繋がろうとしているのか。
そこは、まだ分からない。
なら。
今は何も変える必要はない。
見習いのまま。
向こうが次に何をしてくるのか。
もう少しだけ、見ていよう。




