初めての依頼と頭のおかしい人
それから数日が経った。
ノアはいつも通り、トーリア公爵家で見習いとして働いていた。
そして仕事を終えたあと、ビヨンド商会へ向かう。
情報調査部。
調査隊隊長補佐。
それが今のノアに、新しく加わった肩書きだった。
「…………。」
未だに慣れない。
というより、どうして自分がそんな役職に就いているのか、よく分かっていない。
月収。
二百万。
思い出すたびに、何かの間違いではないかと少し不安になる。
だが、契約書にもそう書いてあった。
そして、そんな待遇を受けておきながら。
最初に持ってこられた仕事を、ノアは断った。
『十七歳の令嬢の恋人役として――。』
『無理です……。』
「…………。」
仕方ない。
あれは無理だ。
貴族のパーティー。
令嬢の恋人役。
その上、知らない人間から情報まで聞き出す。
何一つ、できる気がしなかった。
ゲルムはあっさり引いてくれた。
怒られもしなかった。
だが、だからといって、いつまでも何もしないわけにはいかない。
(月二百万だぞ……。)
さすがに、次くらいはちゃんと働こう。
できる仕事なら。
多少難しくても、やってみる。
ノアはそう決めていた。
⸻
「ノアさん。」
「はい。」
情報調査部へ入ってしばらくした頃、ゲルムから声をかけられた。
「少しいいですか?」
「はい。」
「一つ、お願いしたい仕事がありまして。」
「やります。」
「…………。」
「…………。」
ゲルムが止まった。
「……はい?」
「やります。」
「…………。」
聞き間違いではない。
ゲルムは少しだけノアを見る。
「まだ、内容をお伝えしていませんが。」
「大丈夫です。」
「…………。」
ノアは普通に答えた。
今回はやる。
そう決めていた。
内容を聞いてから、また断るのもなんとなく格好が悪い。
何より。
(月二百万も貰ってるんだ。)
一回くらい。
ちゃんと仕事をしないと。
「……分かりました。」
ゲルムは、それ以上何も言わなかった。
ただ、僅かな違和感だけが残った。
前回は依頼内容を聞き、即座に断った。
今回は依頼内容すら聞いていない。
それなのに、即答した。
(……なぜだ?)
だが、今考えても仕方がない。
「では、説明します。」
「はい。」
ゲルムは一枚の資料を机へ置いた。
「ある人物について、調べていただきたい。」
「この人ですか?」
「はい。」
ノアが資料を見る。
「現在、我々が追っている人物です。」
名前。
年齢。
職業。
普段出入りしている場所。
現在分かっていることが、簡潔にまとめられている。
「知りたいのは?」
「現在の居場所です。」
「居場所……。」
「正確には。」
ゲルムが資料の一部を指す。
「今日、この人物が誰と接触する予定なのか。それを知りたい。」
「今日?」
「はい。」
ノアが顔を上げる。
「急ぎなんですか?」
「できれば。」
ゲルムが頷く。
「今日中に。」
「分かりました。」
「必要なら隊員を――。」
「あ。」
ノアの目が、資料の一箇所で止まった。
「…………。」
「どうしました?」
「いや……。」
この名前。
どこかで聞いたことがある。
「…………。」
少し考える。
そして、思い出した。
「あ。」
あの奥様だ。
以前話していた時、この名前が出てきたことがある。
詳しくは覚えていない。
ただ、奥様自身ではなく、知り合いがこの人物について何か話していた。
そんな内容だったはずだ。
「知っているんですか?」
「いや、俺は知らないです。」
「…………。」
「でも。」
ノアが資料を持ち上げる。
「知ってそうな人はいます。」
「…………。」
ゲルムの目が僅かに細くなった。
「そうですか。」
「はい。」
「では、必要な人員は?」
「とりあえず大丈夫です。」
「一人で?」
「はい。まず聞いてみます。」
「…………。」
「何か分かったら戻ってきます。」
「分かりました。」
ノアが部屋を出ていく。
扉が閉まる。
「…………。」
ゲルムは、しばらくその扉を見ていた。
内容を聞く前に依頼を受けた。
そして内容を聞けば、既に情報へ繋がりそうな人間を知っている。
「…………。」
偶然。
それだけなら、何もおかしくない。
王都で暮らしていれば、人との繋がりくらいできる。
だが。
(……早いな。)
まだ依頼を説明しただけ。
それなのに、もう最初の一手が決まった。
「…………。」
ゲルムは机の資料へ目を落とした。
この時点では、まだそれだけだった。
ノア自身も何も考えていない。
前回、仕事を断った。
月二百万も貰っている。
だから今度は、ちゃんと働こう。
ただ、それだけの理由で内容も聞かずに依頼を受けた。
そして、たまたま最初の糸口に心当たりがあった。
それだけだった。
⸻
ノアはビヨンド商会を出ると、すぐにあの女性のもとへ向かった。
以前、宿屋で何度か会っていた女性。
最近は会っていない。
あの正体不明の男。
G。
その男から、夫に疑われていると聞いた。
さすがにしばらく会わない方がいいと、二人で決めたからだ。
だが、今日は別だった。
「ノア君?」
「お久しぶりです。」
「どうしたの?」
「ちょっと聞きたいことがあって。」
「私に?」
「はい。」
ノアは、資料にあった人物について聞いてみた。
「あぁ。」
女性がすぐに反応する。
「その人なら、私より友達の方が詳しいわよ。」
やはり、覚えていた通りだった。
女性自身が詳しいわけではない。
「会えます?」
「ええ。私に聞いたって言えば大丈夫よ。」
「ありがとうございます。」
「これだけ?」
「はい。」
「…………。」
「?」
「久しぶりに来たと思ったのに。」
「あ……。」
ノアが少し困る。
「すみません。」
「ふふ。冗談よ。」
「また、そのうち。」
「……そのうちね。」
ノアは頭を下げ、すぐに次の場所へ向かった。
⸻
紹介された女性から話を聞く。
そこから、さらに一つ情報が繋がる。
「あぁ、その人なら昨日――。」
「どこで?」
「確か……。」
聞く。
移動する。
確認する。
また、聞く。
ノアは別に、特別なことをしているつもりはなかった。
相手の話を聞き、気になったところをもう少し聞く。
分からなければ、別の人に聞く。
それだけ。
だが、人当たりがよく、警戒されにくい。
年上から妙に可愛がられやすい。
そして、一度糸口さえ掴めれば、話の中から次に聞くべきことを見つけるのも、決して下手ではなかった。
結果。
「…………。」
ノアが時計を見る。
「二時間くらいか。」
思ったより早かった。
⸻
「戻りました。」
「…………。」
ゲルムが顔を上げる。
「ノアさん?」
「はい。」
「どうしました?」
「分かりました。」
「…………。」
「今日会う予定の相手と、場所です。」
「…………。」
ゲルムが立ち上がった。
「もう?」
「はい。」
「…………。」
ノアから話を聞く。
すぐに隊員を動かし、確認する。
そして間もなく、報告が戻った。
「隊長。」
「どうだ?」
「間違いありません。」
「…………。」
本当に合っている。
「それと。」
「なんだ?」
「対象ですが、今夜にも王都を離れる可能性がありました。」
「……何?」
「明日では、恐らく間に合いませんでした。」
「…………。」
間に合わない。
ゲルムが黙る。
今日、依頼した。
そしてノアは、内容すら聞かずに受けた。
その直後には、既に最初の情報源へ心当たりがあった。
そして二時間。
必要な情報を全て持ち帰った。
もし一日遅ければ、対象は王都から消えていた可能性がある。
「…………。」
(まさか。)
ゲルムの中で、あの時の違和感が再び浮かぶ。
『一つ、お願いしたい仕事がありまして。』
『やります。』
内容すら聞いていなかった。
(偶然か?)
もちろん、その可能性はある。
だが、これまでノアについて分かっていることを考えれば。
(こちらが何を追っているのか……。)
自分たちが思っている以上に、把握されているのではないか。
だから前回は、聞いた上で断った。
そして今回は、聞く必要すらなかった。
「…………。」
まだ、推測にすぎない。
だが。
「隊長?」
「部長へ報告する。」
「はい。」
⸻
そして報告は、部長から社長へ。
「二時間!?」
「はい。」
「依頼してからか!?」
「はい。」
「それで間に合ったのか!?」
「対象は今夜にも王都を離れる可能性がありました。」
「…………。」
社長が黙る。
「一日遅ければ?」
「恐らく。」
部長が答える。
「間に合わなかったかと。」
「…………。」
「なお、ゲルムからは――。」
「三百万。」
「はい?」
「月三百万にしろ!」
「…………。」
「社長。」
「急げ!」
「まだ契約して間もないですが。」
「だからなんだ!」
社長が机を叩く。
「他に取られてからでは遅い!」
「…………。」
「三百万だ! すぐに上げろ!」
「……分かりました。」
こうしてノアは、入社してまともに一件仕事を終えただけで。
月収がさらに、百万ベル上がった。
⸻
そして数日後。
「ノアさん。」
「はい。」
「次の依頼です。」
「はい。」
今度は、ちゃんと内容を聞く。
前回は上手くいった。
自分は、もしかするとこういう仕事に多少は向いているのかもしれない。
月三百万。
未だに意味は分からない。
だが、期待されている。
それなら応えたい。
「今回は。」
「はい。」
「王城へ入っていただきたい。」
「…………。」
ノアが止まる。
「王城?」
「はい。」
「普通に?」
「いえ。」
「…………。」
「正規の手段では、入れない場所です。」
「…………。」
ノアがゲルムを見る。
「つまり。」
「はい。」
「侵入?」
「そうなります。」
「…………。」
しばらく沈黙。
「無理です。」
「分かりました。」
「…………。」
「…………。」
「え?」
「では、別の方法を探します。」
「あ、はい。」
ゲルムが資料を閉じる。
「お時間を取らせました。」
「いえ……。」
ノアは部屋を出た。
そして、廊下を歩きながら。
「…………。」
(この会社。)
(頭大丈夫か?)
王城。
国王がいる場所だ。
そこへ、不法侵入しろ。
月三百万だからとか、そういう話ではない。
捕まったら終わる。
(無理に決まってるだろ……。)




