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【完結】『恋心を凍らせる薬を飲みました』。婚約者様、残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください。  作者: 恋せよ恋


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北の魔女の警告と、崩れ行く体調

 ジュリアの心を何度揺さぶっても手応えがない焦燥に耐えかね、ロマリオは藁にもすがる思いで、マリアンヌ侯爵令嬢から耳にした『北の魔女』を訪ねる決意を固めた。


 侯爵家の嫡男である以上、ただ感情の赴くままに屋敷を飛び出すことは許されない。彼は、失われた妻の愛情を取り戻すという一心で、鬼気迫る形相で執務室に籠もった。領地経営や商会の書類、数々の契約書―― 北へ向かう間、屋敷を空けても支障が出ないよう、溜まった案件を片付ける必要があった。


(ジュリア……。僕が戻る頃には、君も少しは僕を気にかけてくれるようになるはずだ)


 愛する妻の笑顔を取り戻すためという自己満足だけを支えに、ロマリオはすべての滞りを取り除き、ようやく北の辺境へと馬を走らせた。


 かつて、自分がどんなに冷遇しても、ジュリアはいつも温かく自分を包み込んでくれていた。それを取り戻すためなら、どんな手段にでも縋りたかったのだ。


 厳しい寒さと雪に閉ざされたその地は、足を踏み入れるだけでも体力を奪われる死の世界だった。

 しかし、ロマリオをそこまで駆り立てたものは、純粋な愛などではなかった。胸を焼くほどの執念――それは、自ら踏みにじって壊したはずのぬくもりを、都合よく求め直す身勝手な執着に過ぎなかった。



『魔女が認めた者だけが辿り着く』と噂される氷に覆われた黒い館が、猛吹雪の向こうにその威容を現した。


 凍てつく寒さと終わりなき雪原を、ただジュリアの心を取り戻すためだけにひたすら歩き続けた果てに、ロマリオはその場所にたどり着いていた。雪と氷の静寂の中に佇む館は、彼を拒むように、同時に誘うように、異様な威圧感を放っていた。


 震える手で重厚な扉をガンガンと叩くと、扉は難なく開いた。さらに押し開くと、館の主である「北の魔女」らしき黒いフードを被った人物は、冷たい空気を纏って現れた。フードの隙間から覗くのは、鮮烈な真紅の瞳と、雪のように白い髪。実年齢がいくつなのか見当もつかないその女性は、凍てつくような冷たさを湛えながら、悴む手足を引きずり、必死の形相でたどり着いたロマリオを冷ややかに出迎えた。


「……ほう。この吹雪と寒気を自力で越えてくるとはね。お前のその『腐った執着』だけは、魔女の館に相応しい執念のようだ」


 魔女は氷のように冷たい声で、皮肉を込めて鼻で笑った。



 しかし、辿り着いた北の辺境で、ロマリオを待っていたのは冷酷な現実だった。


「無駄だよ、若造」


 フードを被った北の魔女は、ロマリオの焦りを一瞥すると、鼻で小さく笑った。


「あの子はね、泣いていたよ。何度も、何度もね。それでも、お前を信じようとしていた」


 魔女の真紅の瞳が、冷たくロマリオを射抜く。


「その想いを踏みにじり続けたのは誰だい? あの子の心を壊したのは、他でもないお前自身だよ」


「……違う! 僕は……」


「一度凍りついた泉に、どれほど温かな水を注いだところで、失われたものは簡単には戻らない。あの子の心は、もうお前を求めてはいないのさ」


「そんなはずはない……! 僕は今、彼女を愛している! 償っているんだ!」


「『愛』、ねえ。失ってからそれに気づくなんて、滑稽だね。あの子はもう、お前を求めていないし、お前の望むものなんて何も残しちゃいないよ。……とっとと帰りな、ここにお前が望むものはないよ」


 ◇


 北の魔女から冷たく突き放されたロマリオは、それでも諦めきれない想いを抱えたまま、凍てつく雪原をひたすら歩き続け――ようやく満身創痍の状態で自邸へと戻ってきた。


 永久凍土の冷気を纏い、突然帰還した彼を待っていたのは、以前と変わらぬ冷え切った夫婦の寝室だった。


 往復十日間という強行軍と、魔女の言葉による精神的疲労が、一気に彼の限界を越えさせる。高熱にうなされ、意識が混濁する中でも、ロマリオは掠れる声でジュリアの名前を呼び続けた。


「ジュリア……僕を、見て……」


 傍らで薬を運んできたジュリアは、苦しむ夫を見ても眉ひとつ動かさない。かつて彼女がロマリオのために注いだ慈愛に満ちた献身の記憶など、今の彼女の瞳には微塵も存在しなかった。



 ジュリアは淡々と、朝夕の二回だけ、ロマリオの見舞いに訪れる。けれど、その表情も声もあまりに無機質だった。


「……ゆっくりお休みください、ロマリオ様。執務は滞りなく代行できております。どうぞご心配なさいませんように」


 病床の夫を気遣い、自分が同じ寝台にいては落ち着いて休めないだろうと――ジュリアは自ら主寝室を出て、客間へ身を移していた。


 彼女にとっての見舞いは、愛しい夫の苦痛に寄り添うものではない。あくまで『家という契約』を果たし、患者の世話という作業を淡々とこなしているだけのように、ロマリオには思えた。



 その時だった。意識の淵で震えるロマリオの手が、無意識にジュリアのドレスの袖口を掴んだ。熱に浮かされた彼の表情は、かつての屈託のない少年そのものだった。


「……愛している……ジュリア、ずっと……君だけを……」


 その言葉が、ジュリアの胸の奥深く、深い氷の下に封じ込めたはずの『何か』を激しく揺らした。



 今まで、どれほどロマリオと向き合っても、心が揺れることはなかった。

 それなのに、今のその縋るような声と、熱い吐息に触れた瞬間――ジュリアの心臓が、まるで異物を取り除こうとするかのように、激しく疼いた。



(……痛い!)


 彼女は小さく息を呑み、思わず自分の左胸に手を当てた。

 凍りついたはずの心が、脈打つたびに軋みを上げる。それは、とうに消したはずの熱の名残りか、あるいはかつて彼を盲目的に愛していた『自分』の残骸か。


 ジュリアは戸惑った。冷たい氷の仮面が、一瞬だけひび割れ、制御しきれない感情の波が胸を突き破りそうになる。


(なんなの、この痛みは。……私は、もうロマリオ様に何も感じていないはずなのに)


 彼女は自分の動揺を隠すように、掴まれた袖口をそっと、しかし冷たく引き抜いた。けれど、残された微かな熱の名残りが、凍らせたはずの心をざわつかせる。



 ジュリアは無表情のまま、感情を押し殺して部屋を出る。廊下を執務室へ向かいながら、乱れた呼吸をゆっくりと整えた。


 彼女は気づいていなかった。冷徹なはずの瞳の奥で、わずかな痛みがまだ消えずに残っていることに。


 それは、愛ではない。けれど、完全に消え去ったと思っていた傷が、今もなお自分の中に刻まれていることを――ジュリアは初めて知った。


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