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第四章:螢火の向こう側(2)

蒼月第六巡四日、木曜日。


港町マルヴェルにあるギルド、蒼海の銀翼アジュール・シルフィードで現地実習を始めてから、もう一週間が経っていた。


この一週間、俺たちは日曜日を除いて、ほとんど毎日黄砂の遺廊(サンド・レムナント)へ潜っていた。


依頼の中でも最も多かったのは魔獣素材の回収だった。


観光客が増えることで、素材を用いた土産物の需要も増しているから――というのが、その理由らしい。


ほかにも、未踏区域の確認や地図作成の依頼を継続的にこなし、今では全十一階層のうち第八層までの探索と地図の補完が済んでいた。


そして、イチの実家であるベルガ工房から、新型武具の試験を頼まれたこともあった。


なお、その依頼書には小さく『馬鹿息子は対象外』と書かれていた。


当然のようにそれを見たイチは「クソ親父がーっ!」と叫びながら、対象外であるにもかかわらず勝手に試験へ参加し、見事なまでに試作品を破壊した。


その後、イベクさんにこっぴどく叱られていたらしい。


もっとも、自業自得なので同情はしない。


今となっては、まあ、いい思い出だ。


そんなふうに、ギルドでの仕事にも生活にもそれなりに慣れてきた頃だった。


「――海辺の警備依頼?」


思わず聞き返すと、向かいに座るハノイルさんが穏やかに頷いた。


「ええ。そうでなくとも、この時期のマルヴェルは観光客で人手が足りなくなりがちなのですが……なかでも海水浴場周辺は、外から来た人々が最も多く集まる場所ですからね」


片眼鏡の位置を指で直しながら、ハノイルさんは続ける。


「本来であれば、都市の治安維持部隊が巡回を担当しています。ですが、間近に迫った蒼月潮星灯祭そうげつちょうせいさいの影響で、ここ数日は観光客が一気に増えていまして。治安維持部隊だけでは手が回らず、こちらにも協力要請が来た、というわけです」


蒼月潮星灯祭。


たしか、海辺で開かれる夏の祭りだったか。


詳しい話までは知らないが、この街ではかなり大きな催しらしい。


隣では、イチがいかにも不服そうに眉を寄せていた。


「ええ……そんな依頼より、迷宮に入ってた方がよっぽどいいんですけど」


「イチ君の気持ちも分からなくはありませんが」


ハノイルさんは苦笑する。


「最近の皆さんの活躍で、黄砂の遺廊に関する依頼はかなり落ち着いてきています。ギルドとしても、マルヴェルで活動している以上、街からの正式な支援要請を無下にはできません」


なるほど。


民間のギルドといっても、完全に好き勝手が許されるわけではないらしい。


「ちなみに、今回お願いしたいのはアベルマス君とイチ君のお二人です。ルネル嬢については……」


そこでハノイルさんは、ちらりとギルド長の席へ視線を向けた。


今日はベルドガルさんの姿がない。


だが、ハノイルさんのその視線でなんとなく事情は察した。


あの人の娘への過保護ぶりを思えば、炎天下の海水浴場など積極的に行かせたくないに決まっている。


「まあ、ルネル嬢本人も今回の依頼にはあまり興味を示していませんでしたし、あの子は強い日差しの下に長くいると目に良くありませんから」


その言葉で、ふとルネルの色付き眼鏡を思い出す。


あれはたしか、日差しを避けるためのものだと言っていたな。


そういえば、今日はルネルの姿も見えなかった。少し不思議に思っていたが、なるほど、そういうことか。


「はぁ……仕方ないか」


イチが大きく肩を落として渋々と頷いた。


「アベル、面倒な任務だけど頑張るしかないな」


俺としても、正直あまり気は進まなかった。


こっちの生活に多少慣れてきたとはいえ、海辺特有の薄着にはまるで慣れない。


水着という服装そのものにも慣れないし、それを当然のように着こなしている人々を見るのにも、未だに妙な落ち着かなさがあった。


だが、俺たちはあくまでギルド業務を学ぶためにここへ来ている身だ。


自分の好き嫌いだけで依頼を選べる立場ではない。


俺も頷いた。


「分かりました」


「依頼受諾、感謝します」


ハノイルさんは一度書類に目を落としてから、改めて説明を続けた。


「期間は、蒼月潮星灯祭が終わる第六巡八日の日曜日まで。もっとも、祭り当日の夜は治安維持部隊が総出で対応しますから、実質的には八日の日中までの協力です。皆さんには本日から四日間、朝から昼過ぎまでを目安に巡回していただきます」


「今日からなんですか?」


「ええ。今日は昼からで結構です」


ハノイルさんは淡々と続ける。


「海辺での警備ですから、武器の携行は許可されています。ただし、真夏の日差しの下で長時間立つことになりますので、できるだけ涼しい格好を推奨します。こちらから、水着は貸し出します」


水着、か。


……あれを着ないといけないのか。


俺は思わず眉間にしわを寄せた。




・ ・ ・




その日の昼頃。


俺はギルドから借りた膝丈の短いズボンを穿き、その上から半袖でフード付きの薄い上着を羽織っていた。


左肩には『海辺警備』と書かれた腕章が巻かれている。


一応、武器の携行は可ということだったので、俺は腰に剣を提げている。


一方イチは、さすがにあの大剣を海辺に持ち込むわけにもいかなかったらしく、代わりに籠手だけを装備していた。


すぐ近くで波の音がする。


海では多くの人間が笑い、騒ぎ、遊んでいた。


そんな光景を眺めていると、この時代は本当に平和なのだと、妙に実感させられる。


イチは退屈そうに欠伸をし、両手を頭の後ろで組んだまま周囲をキョロキョロと見回していた。


「平和だな……」


「それは結構なことだろう」


「そりゃそうなんだけど、平和すぎると逆に暇なんだよなぁ」


俺はといえば、相変わらずこの場の空気に慣れず、できるだけ自分の足下へ視線を落としていた。


視線を上げれば、どうしても薄着の人々が目に入る。


それに慣れない以上、できるだけ見ないのが一番だった。


……警備としてそれはどうなのか?と聞かれたら答えにくいが。


そんな時だった。


「ん?」


急にイチの声色が変わった。


「どうした」


「向こう、なんか揉めてるっぽい」


そう言われて顔を上げる。


少し離れた場所で、四人の男が二人の少女を囲んでいた。


どう見ても楽しげな連中同士には見えない。


片方の少女は、男たちに囲まれて明らかに身体を強張らせていた。


「よしっ! マルヴェルで騒ぎを起こす馬鹿どもを放っておくわけにはいかないな!」


「おい、イチ。勝手に――」


制止する間もなかった。


イチはもう走り出している。


そのまま砂を蹴り上げ、一気に男たちの輪へ飛び込んだ。


「こらあっ!! 海水浴場で迷惑行為は禁止だぞおおおっ!!」


叫びながら跳び上がり、そのまま男の一人を蹴り飛ばす。


「――ぐぇっ!?」


見事なくらい迷いのない飛び蹴りだった。


豪快、の一言に尽きる。


いや、本当にあいつは後先を考えない。


俺は思わず額を押さえたが、それでも放ってはおけず、その後を追った。


「な、なんだてめえ!」


吹き飛ばされた男の仲間がすぐに殴りかかる。


だが、イチはあっさりその拳を躱し、逆に懐へ潜り込んで腹へ拳を叩き込んだ。


「ぐ、はっ……!」


建前程度の良心なのか、籠手は外していたようだ。


それでも十分すぎる威力だったらしく、男はその場に崩れ落ちる。


残る二人も、顎への一撃と鮮やかな投げで、ほとんど抵抗らしい抵抗もできないまま砂の上へ沈んだ。


俺が追いついた頃には、すでに四人とも地面に転がっていた。


「おおっ……!」


「すげえ……!」


遠巻きに見ていた人達が、感嘆の声を漏らす。


迷宮では突っ走るところが多いせいで忘れがちだが、こいつもグロリスに籍を置く、有能な探索者の卵だ。


まあ、少々柄の悪い一般人ごときに後れを取ることはないだろう。


その後は、騒ぎを聞きつけた治安維持部隊が駆けつけてきたので、事情を説明し、男たちの身柄を引き渡した。


イチは何事もなかったかのように、男たちに絡まれていた二人の少女へ向き直る。


「あんたら、二人とも大丈夫か? 災難だったな! もう心配しなくていいぞ!」


「え、ええ。助けてくれてありがとう」


「いいってものよ!わはは!」


いつもの調子で明るく笑いかけたその直後だった。


イチの表情が、ぴたりと止まる。


助けられた側の少女のうち一人が、呆然としたままこちらを見つめていた。


いや、正確には。


イチのことを見て、固まっていた。


「……ん……?」


イチが首を傾げる。


「あんた、どっかで見たことあるような……」


「ひぇ?!」


彼女はイチの視線を受けて顔を真っ赤に染めると、隠れるように連れの少女の後ろへ移動した。


それでもチラチラとイチを見ている。


よく見れば、隠れるようにしている少女の隣――青い髪の少女の方には見覚えがあった。


たしか以前、黒い霧の魔獣の一件で白の地下聖堂で遭遇した、あの一団の一人だったはずだ。


そんなことを思い出していると、イチも何かを思い出したらしい。


「ああ!」


イチはぱっと顔を明るくすると、その少女を指さした。


「アネタ先輩じゃないですか! 元気そうですね!」


その言葉に、少女の肩がびくりと震えた。


アネタ、という名前には覚えがあった。


だが、俺の記憶にある彼女と、目の前の少女はあまりにも雰囲気が違いすぎて、すぐには結びつかなかった。


けれど、その怯えたような反応には見覚えがある。


――見た目は変わっていても、あれはたしかにアネタ先輩だった。

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