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第四章:螢火の向こう側(1)

――アンナ・ファルメンは、十六年の人生でも指折りの難題に直面していた。


「ね、ねえ……アンナちゃん?」


グロリス学園の定期試験など比べものにならず、下手な迷宮実習よりもずっと深刻な問題である。


「ア、アンナちゃん……」


「ごめん、今すっごく集中してるから、ちょっと静かにして」


目の前にあるのは、二着の水着。


右は、落ち着いた色合いのビキニだった。


派手すぎないのに、肩から背中にかけてを大胆に見せるホルターネック型で、上品さと背伸びしたような可愛らしさが同居している。


左は、淡い桃色を基調としたワンピース型。


胸元や裾にあしらわれたフリルは愛らしいが、腹部は意外なほど大胆に開いていて、甘さ一辺倒では終わらない。


どちらも良い。


いや、良すぎる。


候補をこの二つまで絞るところまでは成功した。


けれど、ここから先が決めきれない。


どちらを選んでも絶対に似合う。


だからこそ困っているのだ。


「……どっちが正解なの……?」


アンナは真剣な目つきで水着と、その隣で顔を真っ赤にして縮こまっている少女を交互に見比べた。


アネタ・マガリス。


長く垂れていた前髪は目元が見える程度に整えられ、ブラウンゴールドの髪もきちんと手を入れられたことで、柔らかく光を弾いている。


もともと整っていた顔立ちは思った以上に可憐で、伏せがちだった視線の奥にある大きな瞳も、今は隠れずにちゃんと見えた。


いつもは猫背気味に身体を縮こめているせいで目立たなかったけれど、こうして姿勢を整えてみると、年頃の少女らしい華やかさが隠しようもない。


本人は落ち着かなさそうにしているが、同じ女の子のアンナから見ても、思わず見惚れるくらいには可愛かった。


こんなの……


『どっちも似合うに決まっているじゃない……!』


だから、余計に選べない。


「……こうなったら」


アンナは決断した。


「アネタ。両方、試着して」


「えっ」


アネタの肩がびくりと跳ねる。


「りょ、両方……?」


「うん」


アネタはオロオロと視線をさまよわせ、アンナの手にある二着の水着を見比べながら、ぶんぶんと首を振った。


「む、無理だよぉ……こんなの、わたし……着たことないし……」


その仕草さえ、アネタがやると妙に絵になってしまう。


その仕草を見た瞬間、アンナの中の何かが完全に火を噴いた。


「大丈夫! まずは着るだけ! 見るだけだから!」


「アンナちゃん……目が怖いよ……うう……」


ウルウルと、涙目になるアネタ。


アンナは一瞬弱くなりかけたけど、ぐっと拳を握ってこらえた。


ここで引くわけにはいかない。


なぜならこれは、ただの水着選びではないのだから。


友達改造計画……もとい、アネタ・マガリス自信回復大作戦の一環なのだから。


――事の発端は、少し前に遡る。




・ ・ ・




白の地下聖堂での一件のあと、アンナとアネタは友達になった。


けれど、最初から何もかもが上手くいったわけではなかった。


アネタはそもそも人との距離の詰め方が分からなかった。


そしてアンナの方もまた、自分が一度アネタを置いて逃げたことへの後ろめたさを引きずっていた。


だから最初のうちは、友達になったはずなのに妙によそよそしい、ちぐはぐな空気が続いていた。


その空気が少しずつ変わったのは、夏休みの帰省の話をした時だった。


偶然にも二人の実家は同じ都市にあり、そこから一気に会話が増えた。


学園では知らなかった地元の話。


子どもの頃によく見た景色。


おすすめの店。


祭りのこと。


そんなふうに話すうちに、二人は少しずつ打ち解けていった。


アネタの前髪に隠れていた素顔も見る機会が増えるようになっていた。


それを見るたび、アンナは思ったのだ。


せっかくこんなに可愛いのに、ずっと隠したままなんてもったいない、と。


アネタは本当に可愛い。


なのに本人はまったく自覚がない。


前髪で顔を隠し、目立たないように縮こまって、自分からその魅力を見えなくしてしまっている。


それはもう、磨けば輝く宝石を箱にも入れず、埃まみれのまま放っておくようなものだった。


面倒見のいいアンナとしては、そんな状態を見過ごせなかった。


せっかくの夏休みだ。


この機会に、アネタの魅力を少しでも表に引っぱり出したい――そう思った。


だから夏休みに入ってすぐに、二人でさっさと課題を片付けた。


そして課題を終えたその足で、アンナは半ば強引にアネタを引っ張って、馴染みの美容室へ連れて行った。


「あら、アンナちゃん。 いらっしゃい。 ん? その子はお友達?」


店主の挨拶もそこそこに、アンナは勢いよく言い放った。


「この子を大陸で一番可愛くしてください!」


「ちょっ、アンナちゃん!?」


そう言い放ったアンナに、美容室の店主は一瞬キョトンとしたが、すぐに目を輝かせてアネタを椅子へ座らせた。


「うふふ。 まかせなさい。 あら、この子……かなりの原石じゃない! 久しぶりに腕が鳴るわー」


その後の展開は、もはや圧巻の一言だった。


慌てながらも流れに逆らえず、されるがままのアネタはみるみるうちに変わり始めた。


長く垂れていた前髪は軽く整えられ、隠れていた目元が自然に見えるようになった。


三つ編みにしていた後ろ髪も柔らかなハーフアップにまとめられ、それだけで印象が見違える。


「……これ、私……?」


鏡を見ているアネタが自分の姿を確認して固まっていた。


『そう。これがアネタなの』


アンナはそれを、アネタ本人がまず理解してほしかった。


髪を整えるだけでも、まるで別人のような変化だった。


けれど、アンナはそこで満足しなかった。


変わった自分の姿を確認して呆然としていたアネタを引き連れて次は服を選ぶことにした。


体のラインを隠すような濃い色の服ばかり着ていたアネタに、今度は彼女の魅力を引き立てる服を次々と合わせていった。


爽やかな半袖のブラウスに、白いスカート。


アネタはまるで別人に変わったように見えた。


いや、別人ではない。


ずっとそこにいたのに、本人が隠していただけなのだ。


最後に鏡を見せられた時の、アネタの呆然とした顔はなかなか見ものだった。


そして服を見て回っている途中、アンナは運命の売り場を見つけてしまったのだった。


――そう。水着コーナー。


そして、今に至る。


「無駄な抵抗はおやめ! まずは両方着てみて! これで決まりだよ!」


「決まってないよぉ……」


「ほら、早く行って!」


半泣きのアネタへ、アンナは二つの水着を押しつけた。


アネタはそれを抱きしめるように受け取ると、今にも消え入りそうな声で言った。


「……ねえ、アンナちゃん。どうして急に水着なの……?」


アンナは満面の笑みで答えた。


「もちろん――マルヴェルに遊びに行くために決まっているわ!」


「…………え?」


アネタはその場で固まった。




・ ・ ・




そうして、時は流れ。


気がつけば二人は、港町マルヴェルの海水浴場へ来ていた。


青く広がる海。


陽光を跳ね返す白い波。


砂浜には色とりどりのパラソルが並び、子どもたちのはしゃぐ声や、観光客たちの賑やかな笑い声があちこちから聞こえてくる。


屋台からは焼き物の香ばしい匂いが漂い、潮風がそれを運んでいた。


夏真っ盛りの海辺は、どこを見ても明るく、開放的で、少しばかり騒がしい。


そして今のアネタには、その全部が刺激的すぎた。


「うぅ……」


更衣室から出てきてからずっと、アネタはアンナの背中に隠れるようにして歩いている。


選ばれたのは、淡い桃色のワンピース型の水着だった。


フリルの柔らかさがアネタの雰囲気によく合っていて、本人の可憐さをまっすぐ引き立てている。


けれど腹部の露出はやはり慣れないらしく、アネタは片手で胸元、もう片方の手でお腹を気にしながら、今にも小さくなって砂に埋まりそうな勢いで身を縮めていた。


「アネタ、大丈夫だって。すっごく似合ってるよ!」


「そ、そういう問題じゃないよぉ……」


情けない声でそう返す。


通りすがりの視線が向くたびに、アネタの肩はぴくりと震え、そのたびにアンナの後ろへぴったり張りついてくる。


もちろん、アネタより背の低いアンナの後ろに隠れたところで、隠しきれるはずもない。


「可愛い……」だの「すごい子がいる……」だの、そんな囁きも何度か耳に入った。


『……まあ、アネタはそんなもの気にする余裕もなさそうだけど。』


正直に言えば、アンナも少しやりすぎたかもしれないとは思った。


でも、それでも。


この夏をきっかけに、アネタがほんの少しでも自分に自信を持てるようになってほしい。


アンナは本気でそう思っていた。


「ほら、顔上げて。せっかく海なんだから楽し――」


そこまで言いかけた時だった。


「ねえねえ、君たち」


前へ、男たちが回り込んでくる。


四人。


揃いも揃って軽薄そうな笑みを浮かべ、視線には遠慮がない。


露骨に値踏みするような目つきで、アンナたちを上から下まで眺め回している。


「二人だけで来てるの? 俺たちも観光で来てるんだけどさ、男だけだとつまんなくて」


「よかったら一緒に遊ばない? いい店も知ってるし」


典型的だった。


アンナは即座にうんざりした顔になる。


「いいです。行こう、アネタ」


短くそう言って、アネタの手を引いて通り過ぎようとする。


だが、男たちはまたすぐ前へ回り込んだ。


「つれないなあ」


「そんな怖がらなくてもいいじゃん。夏なんだしさ」


にやついたまま、今度は後ろにいるアネタへ視線を向ける。


その瞬間、アネタの身体が強張るのが手の感触で分かった。


アンナは反射的に一歩前へ出る。


「……どいて」


声が低くなる。


「えー、怖い怖い」


「でも、後ろの子はそんなに嫌がってないかもよ?」


嫌がっているに決まっている。


それが分からないはずがない。


分かったうえで、面白がって煽っているのだ。


しかも周囲の視線が集まり始めても、男たちは一向に気にした様子を見せなかった。


むしろ、睨み返して周囲を黙らせるような空気すらある。


厄介だ、とアンナは舌打ちしそうになる。


自分一人なら、なんとか逃げることもできるかもしれない。


でも、今のアネタを置いてはいけない。


――絶対に。


「あなたたち、いい加減に――」


アンナが言い切る前に、男の一人がアネタの腕へ手を伸ばした。


「ちょっと、そっちのカワイ子ちゃん、ちゃんと水着見せてほしいなー」


「ひゃっ……!」


「っ、アネタ!」


アンナが咄嗟にその手を払おうとした、その瞬間だった。


「こらあっ!! 海水浴場で迷惑行為は禁止だぞおおおっ!!」


底抜けに明るくて、こんな場面には場違いなくらい聞き覚えのある声だった。


「……あぁ?」


男たちが揃ってそちらを振り向く。


次の瞬間。


――ドォンッ!


「――ぐぇっ!?」


アネタの腕を掴もうとしていた男の身体が、横からの衝撃で吹き飛んだ――

面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。

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