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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:潮風の街、蒼海の銀翼
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第三章:砂の迷宮と銀の影(4)

第四層へ入ってしばらく経った頃だった。


頭上で、かすかな擦過音がした。


反射的に身を沈める。


次の瞬間、天井から白っぽい糸が垂れ、何かが一気に降ってきた。


「――上!」


イチの声とほぼ同時に、俺は剣を振り抜いた。


降下してきた糸が断たれる。

 

人の顔ほどもある砂甲蜘蛛カラペース・スパイダーが、数体まとめて床へ落ちた。


ひっくり返った個体は脚をばたつかせ、起き上がろうともがいている。


だが、全部がそうではない。


着地した一体がすぐさま床を這い、低い姿勢のままこちらへ突っ込んできた。


横へ半歩ずれる。


擦れ違いざま、その甲殻と腹板の境目へ刃を滑り込ませた。


「――っ」


自分でも驚くほど、あっさりと入った。


刃はほとんど抵抗なく走り、そのまま甲殻だけをきれいに剥がす。


余計な肉片もついていない。


切り離した甲殻へ、ルネルから渡されていた素材保存剤を素早く塗る。


断面が白く固まり始めたのを確認し、甲殻を失ってもがく個体へ止めの一撃を入れた。


青い粒子が散り、魔素核だけが残る。


横目でルネルを見る。


彼女はすでに別の個体へ導糸を撃ち込んでいた。


共鳴式導糸機(リニア・ペンデュラム)から伸びた細い糸が蜘蛛を絡め取る。


それだけでは終わらない。


導糸はそのまま腹板と甲殻の隙間へ潜り込むように巻き付き、次の瞬間、滑らかに甲殻だけを分離していた。


その手際には一切の無駄がない。


拘束だけではない。


あの装備は、十分に攻撃にも転用できるらしい。


感心している暇もなく、別の一体が迫る。


そちらも同じようにいなし、甲殻だけを回収する。

 

一方でイチは、蜘蛛に紛れて現れた他の魔獣を相手取っていた。

 

あの大剣では、こういう小型魔獣から傷をつけずに素材を剥ぐのには向いていないためだ。

 

だが、そのぶんまとめて片づける速さはさすがだった。

 

やがて、現れた魔獣はすべて片付いた。

 

俺が回収した甲殻は四枚。

 

ルネルが二枚。

 

依頼に必要な数は、ちょうど今ので満たしている。


「終わり」


ルネルが短く言う。


「よしっ! これで素材依頼は片付いたな!」


イチが明るく笑う。


俺も頷きかけたところで、視線に気づいた。


ルネルがこちらを見ている。


何か言いたげにも見えたが、結局彼女は何も口にしなかった。


ほんのわずかに視線を逸らし、再び導板へ目を落とす。


「残り、一つ」


依頼はほとんど片付いていた。


残るのは、指定された罠の解除、もしくは無力化だけだ。


場所は、今いる位置からそう遠くない。


しばらく進むと、その“罠”はすぐに見つかった。


「……これは」


思わず言葉が漏れる。


罠というより、もはや通行拒否のための障害物だった。


足下は鉄の棘で埋め尽くされ、その上に一本だけ細い道が伸びている。


人が一人通れるかどうかという幅しかないうえ、その道自体が左右へ不規則に揺れていた。


両側の壁には、鳥の頭と犬の頭を持つ異形の像が並んでいる。


ただの装飾にしては、不自然な感じだった。


天井には、大きな岩塊がいかにも危うい形で引っかかっていた。


素人目に見ても、危険ですと言わんばかりだった。


「……こんなのも罠なのか」


俺が呆れていると、ルネルは近くに落ちていた石を一つ拾った。


それを道の向こうへ向けて放る。


直後、右の鳥頭像と左の犬頭像の口が同時に開き、炎を吐いた。


石は空中で焼かれ、さらに向こう側へ落ちかけた瞬間。


――バチリ、と青白い火花が走った。


弾かれた石が棘の上へ転がり落ちた。


……これは、何というか。


「……まるで嫌がらせの塊だな」


「だなぁ……」


イチも乾いた声を出す。


だが、ルネルだけはいつも通りだった。


色付き眼鏡の奥の視線が、罠全体を静かに辿っていく。


一瞬、道の向こう側にある通路の奥に埋め込まれていた青い宝石めいたものに視線が止まった。


やがて彼女は導子を交換した。


楔導子(けつどうし)


小さく呟き、射出する。


導糸の先端は天井近くの装飾へ突き刺さった。


そのまま糸を張り、ルネルは懐から短剣を抜いて床へ突き立てる。


糸をそこへ固定すると、一度切り離す。


残った側へ新しい楔導子をつけ直した。


続けてもう一度、楔導子を射出。


今度は右壁の鳥頭像、その胸部へ。


さらに左壁の犬頭像へも同じように打ち込む。


天井。右壁。左壁。


そこから床の短剣へ導糸が繋がり、罠の中へ一本の線が描かれていく。


「なぁ、ルネル。 何してるんだ?」


イチが興味津々と言った様子でルネルに訪ねた。


ルネルは答えない。


代わりに、床へ刺した短剣へそっと手を添えただけだった。


その瞬間、微かな魔素の流れが走ったのが分かった。


張られた導糸を伝い、罠の各所へ流れ込んでいく。


直後、低い振動が足下から響いた。


ググ、と地面が唸るように震える。


「魔素の流れを遮断した」


ルネルが短く言う。


それだけで十分だった。


彼女はさらに導子を刃導子(じんどうし)へ換装し、そのまま道の向こうへ撃ち出す。


さっき石が弾かれたのとは違い、導子はまっすぐ飛んだ。


通路の奥にある青い核を、鋭く断つ。


その瞬間だった。


振動が止まる。


左右へ揺れていた細道が、すっと静止した。


像の口も閉じる。


天井の岩も動かない。


罠全体から、力が抜けたようだった。


ルネルは射出した導糸を回収し、そのまま細道へ足を乗せる。


「お、おい! ルネル!」


イチが慌てて声を上げる。


だがルネルの足取りに迷いはない。


真っ直ぐ歩き、そのまま向こう側へ渡り切る。


振り返り、いつも通りの無表情で告げた。


「罠、無力化確認。依頼達成」


「……すげえな」


イチがぽつりと漏らす。


それには俺も同感だった。


罠を解除した、というより。


あれはまるで、仕組みを理解したうえで迷宮そのものの息の根を一時的に止めたように見えた。


俺とイチは顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑する。


――そうして、実習初日の依頼はすべて完了した。




・ ・ ・




ギルドへ戻ると、俺たちはそのままギルド長室へ向かった。


依頼達成の報告を聞いたベルドガルさんは、まずルネルに怪我がないかを必要以上の勢いで確認し始めた。


「ルネル! 本当に無事か!? 変な罠に巻き込まれていないな!? 傷は!? 擦り傷一つでもあれば今すぐ――」


「……お父様、近い。汗臭い」


「近いではない! 汗くさくもない! これは父親として当然の確認だ!」


「はいはい。 当然の範囲を超えていますよ、ベルドガルさん」


ハノイルさんが慣れた様子で割って入る。


その一連の流れを見ても、もう朝ほど驚かなかった。


むしろ、少し慣れてしまった自分がいる。


だが、そのあと。


「初日、お疲れだったな」

 

やっと落ち着いた様子になったベルドガルさんが放ったその一言だけは、妙に耳に残った。


報告を終えたあとは、シャワーを浴び、酒場で夕食を取った。


探索者たちからあれこれ声をかけられたが、イチがほとんど勝手に応じていたので、俺は適当に相槌だけ打って済ませた。


賑やかだったけど、それが嫌いではなかった。




・ ・ ・




部屋へ戻り、ベッドへ腰を下ろす。


今日一日を思い返した。


新しい迷宮。


新しい依頼。


そして、左目に映る黒い違和感。


疲れはあった。


だが、それだけではない。


探索者が実際にどう依頼をこなし、何を見て、何を優先しているのか。


学べたことは多かったと思う。


失われた時代の痕跡や、この世界がどうして今の形になったのか。


その答えに繋がるものは、今日のところ何も見つからなかった。


だが、焦る必要もない。


そもそも、本当に手掛かりがあるかどうかすら分からないのだ。


そう考えながら横になる。


瞼が重くなっていく。


――そのまま、意識はゆっくりと沈んだ。


……


……


……


――ふと、目が覚めた。


窓から見える景色は、すっかり暗くなっていた。


「……」


どうやら、そのまま眠っていたらしい。


……喉が渇いていたな。


水でも飲むか、と身体を起こし、一階へ降りる。


夜更けのギルドは静かだった。


酒場の喧騒もすでにない。


木の床を踏む自分の足音だけが、やけに大きく聞こえる。


その時だった。


入口の扉が、静かに開く音がした。


反射的に視線を向ける。


暗がりの向こう、外へ出ていく小柄な影。


月明かりに触れた髪が、一瞬だけ銀色に光った。


すぐに扉は閉められたけど、あの髪の色は見間違えることはなかった。


「……ルネル?」


思わず小さく呟く。


こんな時間に、どこへ行くつもりなのだろうか。


気になった。


かなり、気にはなった。


だが同時に、昼間のことが頭をよぎる。


人には、触れられたくないものがある。


俺自身がそうだ。


千年前のことも、この左目のことも、軽々しく話せるようなものではない。


「……あまり踏み込まない方がいい、か」


そう呟き、俺は視線を外した。


水を汲み、部屋へ戻る。


今のは、見なかったことにしよう。




・ ・ ・




皆が寝静まった刻。


夜のマルヴェルには、波の音だけが静かに響いていた。


青い月は高く、青白い光が大地を薄く照らしている。


街路には魔素灯が並んでいるが、細かい道にまでは光は届かない。


そんな街路を、一人の少女が歩いていた。


それを照らす魔素灯で、長い影を落としながら。


銀の髪を夜風に揺らしながら。


だが、その足取りはどこかおかしい。


ふらついているようにも見える。


だが、その歩みには迷いがなかった。


表情は虚ろで、視線も定まっていない。


それなのに、進む方向だけは一切ぶれない。


迷いもなく。


躊躇もなく。


ただ、何かに招かれるように、夜の街を歩いていく。


まるで、どこか遠くから引かれる糸に従って動かされているように。


そして――


珍しい、という一言に片付けるにはあまりにも異質な銀灰色の瞳。


その瞳は、闇の中で淡く、しかし確かに()()()()()


彼女の足は止まらない。


やがて。


魔素灯も月明かりも届かぬ闇の奥へと、彼女は静かに溶け込んでいった――

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