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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:潮風の街、蒼海の銀翼
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第三章:砂の迷宮と銀の影(3)

角を回収し終えたあと、俺たちは再び黄砂の遺廊(サンド・レムナント)の奥へ進んだ。


依頼内容は複数ある。


第三層と第四層での未確認地域の地図作成。


第四層にある指定罠の解除、もしくは無力化。


指定魔獣素材の回収や薬草採集。


一つ一つだけ見れば大したことのない依頼に思えるが、まとめてこなすとなれば話は別だった。


途中で現れた魔獣を倒し、その場で必要な素材だけを切り取り、保存剤で固定する。


薬草の依頼に関しては、壁際や亀裂の隙間に生えているものを見つけるたび、ルネルが立ち止まって採集していた。


そんなふうに進んでいた時、不意に一つの疑問が浮かんだ。


「……少し気になったことがある」


「ん? どうした?」


前を歩くイチが振り向く。


「魔獣から素材が取れるのは分かった。 なら、倒した魔獣から取れるものは全部回収しておけばいいんじゃないのか?」


「うーうん?」


イチが目を丸くした。


「また変なところ気にしているな、アベルは」


そう言いながら、イチは腰につけている鞄を軽く叩いた。


「まず、全部の魔獣が素材としてうまいわけじゃないんだよ。 角とか牙とか、毛皮とか、使い道がはっきりしてるものはいいけどさ。 中にはわざわざ持って帰るほどでもないのも多いし」


そこで、ふと俺は思い出す。


白の地下聖堂(ホワイト・カテドラル)での探索中、誰も素材の回収なんて気にしていなかった。


「……そういえば、白の地下聖堂ではそんな話は出なかったな」


「だろ? 学園の実習だと、討伐と魔素核回収が中心だったし」


そこへ、前を向いたままルネルが短く言った。


「全部は持てない」


「だよなあ」


イチがすぐに頷く。


「素材ってかさばるし、重いんだよ。 迷宮の中で荷物が増えるって、動きが鈍るってことだからな。 動きが鈍るってことは、そのまま死にやすくなるってことだし」


なるほど。


言われてみれば、その通りだ。


確かに、足が鈍くなればそれだけで危険だ。


魔獣によっては隠れて襲いかかるものもいるから、なおさらだろう。


「それに、保存剤だって無限じゃない」


ルネルが続ける。


「魔光石や薬草のほうが、換金効率がいい時もある」


「……なるほど」


素直に頷く。


魔素核はこの時代の文明そのものを支える核だ。


ならば、曖昧な素材を抱え込むより、一つでも多く魔素核を回収する方が優先されるのも分かる。


必要な素材が足りなければ、その都度依頼で補うのだろう。


……こいつ、ちゃんとした説明もできるんだな。


そんな話をしているうちに、俺たちは第二層へ入っていた。


たいして変わらない風景の中を歩いていた、その時だった。


視界の端に、何かが引っかかった。


「……?」


足を止める。


黄砂色の床と壁。その景色そのものにおかしな点があるようには見えない。


だが、左目の視野では――少し先の床の上にだけ、黒く濁った塊のようなものが滲むように集まって見えた。


ここ最近見えるようになっている、あの黒い塊と同じ。


しかし、今まで見えていたものより、明らかに濃い。


まるで、そこにだけ何かが沈殿しているみたいだった。


……何だ。


気にはなった。


気にはなったが、それだけだ。


そもそも、これは俺にしか見えていない。


今までだって、見えるだけで、特に害をなしたこともなかった。


そう思って無視しかけた瞬間。


「イチ。そこ、罠」


「うおっ!?」


ルネルの短い警告が飛んだ。


イチが反射的に飛び退く。


ほとんど同時に、ルネルは右前腕の共鳴式導糸機(リニア・ペンデュラム)へ触れ、先端導子を射出した。


細い導糸が空気を裂き、俺の目に映っていた黒い塊の少し先――床石の継ぎ目を狙って突き刺さる。


直後。


乾いた音とともに、通路の左右から無数の細い針が撃ち出された。


空気を裂く鋭い音が一斉に響き、ついさっきまでイチが立っていた場所を覆い尽くす。


「……っ」


思わず息が止まる。


あのまま踏み込んでいたら、ただでは済まなかった。


「加圧式」


ルネルはそれだけ言って、何事もなかったように危険域を避けて歩いた。


イチは引きつった顔で額を拭う。


「あっぶねえ……そういや、この迷宮、普通に罠とかあるって言ってたな……」


俺も二人の後を追いながら、さりげなく先ほどの場所へ視線を戻す。


黒い塊は、もうなかった。


まるで最初から何もなかったかのように、黄砂色の床だけがそこにある。


……偶然か?


胸の奥に、小さな引っかかりだけが残った。




・ ・ ・




第四層。


第三層までと比べて、明らかに空気が違った。


階層構造が複雑になり、分岐も増え、通路の幅も場所によってまちまちだ。


現れる魔獣も種類こそ変わらなくとも、鉢合わせする頻度や数が増えている。


壁面には人工物めいた意匠の痕跡が増え、ただの地下通路というより、何かの遺構をそのまま迷宮が取り込んだような印象が強くなる。


「この辺りから、未踏の枝道が増える」


ルネルが言う。


「今日はそこも確認する」


「了解!」


イチが元気よく返事をする。


その少し先だった。


また、見えた。


床の一角。壁際に寄った、ごく普通の石床。


だが、その上に黒い塊が濃く澱んでいる。


さっきの加圧式罠の時に見えたものと、よく似ていた。


「……」


今度は黙って見ている。


するとルネルは立ち止まり、導糸機の先端を丸い錘型の導子へと交換した。


導糸が伸びる。


円を描くように振られた錘が、俺に黒く見えている一点の少し手前を打ち据えた。


瞬間、石床ががくりと落ち込んだ。


同時に天井の裂け目から大量の砂が一気に噴き落ちる。


黄砂の濁流はしばらく通路を埋め、やがて機構が止まると、落ち込んだ床はゆっくり元の位置へ戻った。


何事もなかったように。


「落砂式」


ルネルは淡々と呟く。


イチが嫌そうな顔をした。


「うわ、これまともに食らったら埋まるやつじゃん……」


「埋まるだけならまだマシ」


「怖いこと言うなよ!?」


だが俺の意識は、そのやり取りではなく別のところに向いていた。


――また、黒い塊があった場所に、何かが隠れていた。


そのあとも似たようなことが何度か続いた。


壁際に黒い濁りが見えた場所をルネルが探ると、そこには魔獣の群が隠れていた細い隠し通路があった。


何気なく生えている草の中で、一株だけ不自然に黒みを帯びて見えたものをルネルが確認すると、薬草に酷似した毒草だった。


逆に、通路の継ぎ目に違和感があっても、俺の左目には何も映らない場所もあった。


何もない場所もあれば、逆に黒く見えなくても罠が仕掛けられている場所もあった。


そもそもあの黒い塊は何もないところにも普通に存在している。


未だに、判別がつかない。


「……ルネル」


歩きながら、俺はルネルへ声をかける。


「ルネルは、どうやって罠の位置が分かるんだ」


ルネルは少しだけこちらへ顔を向けた。


色付き眼鏡の奥はよく見えなかった。


「なんとなく」


短い。


「……そうか」


しばらく、彼女の後ろ姿を見つめて、視線を逸らした。


それ以上追及する気にはなれなかった。


人には言えないものを抱えているのは、別に彼女だけじゃない。


俺自身、口にできないことをいくつも抱えている。


左目に映るものも。


……千年前のことも。




・ ・ ・




枝道の確認と簡易な地図の補正を進めていくなかで、回廊の先に、ひとつだけ異質なものが現れた。


石造りの壁の中に、ぽつんと設けられた扉だ。


「お!」


イチが目を輝かせる。


「これ、宝箱部屋じゃないか?」


言うなり扉へ駆け寄り、勢いよく押し開ける。


「おい、イチ――」


止める間もなく、扉の向こうが開けた。


……白の地下聖堂でもこんなことかあった気がするな。


中は小部屋だった。


黄褐色の石で囲まれた、さほど広くない空間。


そして、その中央にぽつんと置かれているものがある。


木製の箱。


金具で補強された、いかにも“宝箱”という見た目をした箱だ。


「おおっ、やっぱり! 当たりじゃん!」


イチが嬉しそうに声を上げる。


だが、その瞬間。


俺の左目には、はっきりと見えていた。


部屋の中央に置かれたその箱に、黒い塊がまとわりついている。


さっきまでの罠の時より濃い。


もっと直接的で、もっと生々しい何か。


ぞわり、と肌が粟立った。


「待て、イチ!」


思わず声が出た。


イチの手が、箱へ触れる寸前で止まった、その次の瞬間。


「え?」


ガタン、と箱の蓋が勝手に跳ね上がった。


箱の中に収まっているはずの空間から覗いたのは、暗い口腔めいたもの。


ぎっしりと並んだ歯。


ぬらりと揺れる舌。


「うおっ!? 擬態箱(ミミック)かよ!」


イチが悲鳴混じりに飛び退く。


同時に、素早く大剣を抜き放った。


振り下ろされた斬撃が、箱の外殻ごと中身を真っ二つに断つ。


耳障りな断末魔めいた音が響き、擬態箱の全身が青い粒子へ崩れていった。


「……」


思わず無言になる。


……迷宮には、こんなものまで紛れているのか。


完全に崩壊したあと、その場にはいくつかの品だけが残された。


魔素核。小さな魔光石。薬草。簡易な回復薬らしき瓶。


「危ねえ……マジで危なかった……」


イチは大剣を背へ戻しながら、大きく息を吐いた。


「助かった、アベル。 あと一瞬遅かったら噛まれてたかもしれねえ」


「……いや」


答えかけて、言葉が止まる。


何と言えばいいのか、自分でも分からない。


ただ黒いものが見えたから止めた、などと言っても、まともに伝わるとは思えなかった。


その時だった。


視線を感じて顔を上げる。


ルネルが、じっとこちらを見ていた。


色付き眼鏡の奥の表情は読めない。


それでも、見られていると分かった。


「……なんで分かった?」


静かな声だった。


一瞬だけ、言葉に詰まる。


正直に話すべきか。


だが、話したところで説明できる気がしない。


そもそも、俺にだってまだ分かっていないのだ。


結局、口をついて出たのは、あまりにも曖昧な一言だった。


「……勘だ」


ルネルは少しだけ黙った。


やがて、ほんのわずかに首を傾ける。


「……そう」


それだけだった。


納得したようにも、していないようにも聞こえる返事だった。


妙な沈黙が、小部屋の中へ落ちる。


イチだけが、何も気にしていない様子で床に残った戦利品を拾い集めていた。


「お、回復薬まであるじゃん。 擬態箱も宝箱ってのかな?」


その呑気な声が、かえって場の空気を薄めてくれる。


俺は小さく息を吐いた。


胸の内に残ったのは安堵よりも、別の感情だった。


やはり、あの黒い塊には何か意味がある。


何もかもを教えてくれるわけではない。


目に映るものすべてが危険というわけでもない。


それでも――何かが歪められ、隠され、悪意を帯びた場所では、あの黒い塊が現れやすい。


そんな気がした。


そしてもう一つ。


ルネルもまた、何かを見ている。


俺とは違う仕方で。


違う場所を。


違う意味を。


――なんとなく、そう感じられた。

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