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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:潮風の街、蒼海の銀翼
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第三章:砂の迷宮と銀の影(2)

「着いた」


先頭を行くルネルが、短くそう告げた。


マリンシャを止め、俺たちは視線を上げる。


そこにあったのは、地表へ口を開けた石造りの大きな入口だった。


周囲には簡易の管理小屋と、探索者たちが荷を降ろしたり休憩したりするための空間が設けられている。


外から見た印象だけなら、グロリスにあった白の地下聖堂(ホワイト・カテドラル)とそこまで大きな差はない。


違うのは、その立地だった。


グロリスの迷宮が学園の敷地内に存在していたのに対し、こちらは港町マルヴェルの外れ。潮風の届く街道の先に、唐突に巨大な口を開けている。


海に近い土地のはずなのに、その入口だけが周囲の景色とどこか噛み合っていない。


まるで、そこだけ別の土地を無理やり縫い付けたような違和感があった。


ルネルは俺たちより一足先にマリンシャを降りると、貸出所から受け取ってきた細い鎖のような固定具で三台をまとめて留めた。


手慣れた動きだ。


イチはといえば、大きく息を吸ってから入口を見上げ、いかにも胸を躍らせたような顔になる。


「おお……! ここが黄砂の遺廊(サンド・レムナント)か! 話はよく聞いてたけど、入るのは初めてなんだよな!」


「地元なのに、今まで入ったことがなかったのか」


「年齢的に探索者(シーカー)の仕事はできなかったんだよな。 親父もベルドガル師匠も、俺にはまだ早いってうるさくてさ」


なるほど、と小さく頷く。


確かに、ギルドの仕事として迷宮へ入る以上、学園の実習よりも事故の重みは大きいのだろう。


ルネルはそんな俺たちの会話を気にした様子もなく、魔素導板マナ・プレートを片手に入口へ歩き出した。


「行く」


短い一言に、俺とイチも後へ続く。


石造りの入口を潜った、その瞬間だった。


ずきり――と、左目の奥に鈍い痛みが走る。


「……っ」


思わず足が止まりかける。


この感覚には覚えがあった。


白の地下聖堂へ初めて足を踏み入れた時にも、まったく同じような痛みを覚えた。


長く続くものではない。だが、見過ごせるほど軽くもない。


左目を押さえるほどではないにせよ、確かにそこに何かがあると分かる類の違和感。


それを押し殺しながら、さらに数歩進む。


次に気づいたのは、空気の違いだった。


外では確かに感じていた潮の匂いが、ここには一切ない。


代わりに流れているのは、乾いていて、微かに喉へ引っかかるような、砂混じりの息苦しい空気だ。


穏やかに聞こえていた波の音も消え、何かがこすれるような、小さく低い音だけが聞こえる。


そして――


見える。


左目にだけ映る、黒い塊。


明らかに、迷宮の外よりその量も濃さも比べものにならないくらい多い。


通路全体を覆い尽くすほどではないにせよ、壁際や床の継ぎ目、装飾の隙間にまで、淀みのように黒いものが滲んでいる。


視線を正面へ戻す。


そこには黄褐色の石で作られた回廊が、奥まで真っ直ぐ伸びていた。床や壁際には細かな砂がところどころ堆積し、一定間隔で並ぶ柱や壁面装飾には、見慣れない意匠が刻まれている。


人を模したようでいて、どこか人ではない。


鳥とも獣ともつかない頭部を持つ像や、横顔を強調した浮彫が、壁のくぼみごとに静かに並んでいた。


見慣れないものだった。


少なくとも、俺は千年前の時代、各地を巡っていたがこういう様式は見たことがない。


明確な光源が見当たらないのに、空間そのものが淡い黄の光を帯びているようでもある。


白の地下聖堂と同じく、迷宮内部というだけで外界とは異なる法則が働いているのだと、嫌でも思い知らされた。


少し戻れば海の街がある。


だがこの内側は、あまりにも違いすぎる。


本当に、別の世界に入っているかのようだった。


その異常さを改めて噛み締めていると、前を歩いていたルネルが足を止めた。


振り返りはしない。


ただ魔素導板へ視線を落としたまま、淡々と口を開いた。


「今日の依頼、確認する」


「おう、頼む!」


イチが元気よく返事をし、俺も意識を現実へ戻す。


ルネルの手元を横目で覗くと、導板の上にはこの迷宮の地図が表示されていた。


学園の自由探索では、自分たちで歩きながら地図を埋めていった。


だがここでは違う。


複数の探索者が持ち帰った情報が、最初から共有されている。


これが学園と、実際のギルドとの差か。


そんなことを考えているうちに、ルネルは抑揚の薄い声で内容を読み上げていく。


「まず、第三層から第四層にかけての未踏破区画の確認。これはギルドからの依頼」


導板の一部を指先でなぞる。


「次。四階にあるとある罠の除去、または無力化」


もう一か所を示す。


「それから、迷宮内で採れる砂霊草(されいそう)の採集」


さらに別の箇所へ。


「最後に、素材回収。砂角獣(サンドホーン)の角と、砂甲蜘蛛カラペース・スパイダーの甲殻」


短く、無駄がない。


だが必要な情報はきっちり入っている。


俺は頭の中で今の話を並べ替える。


未踏破区画の確認。罠の処理。薬草採集。魔獣素材の回収。


迷宮へ一度入るついでに、同一動線上で処理可能な依頼をまとめて片づける。確かに理にかなったやり方だ。


そこでふと、一つ疑問が湧いた。


「……素材回収について、少し聞いてもいいか」


ルネルが顔だけこちらへ向ける。


千年前の魔獣なら、実体を持つ生き物だった。倒して切り取れば、それで素材は手に入った。


だが今の時代の魔獣は違う。


迷宮の魔獣は、迷宮内に存在する魔素核を起点にした魔素有機体に近い。


視線を回廊の奥へ向ける。


「魔獣は致命傷を受ければ、魔素核を残して肉体そのものは還元される。そんな相手から、どうやって素材を取るんだ?」


「ん?」


イチが首を傾げる。


「アベルはまた変なところ気にするなあ。えーと、だから、こう……素材にしたい部分をパァッて切って、そのあとすぐグシャッと――」


イチは身振りまで交えて必死に説明していたが、正直、一つも頭に入ってこなかった。


だから、分かったか?という視線を送られても困る。


静かに視線をルネルへ向けると、彼女は一瞬だけ沈黙し、それから右の前腕へ何かを装着し始めた。


細身の機構が腕へ沿うように収まり、先端部には小さな導子らしき部品が取り付けられている。


「見たほうが早い」


ルネルはそのまま歩き出した。


「おい、待てって!」


イチが慌てたように追いかける。


俺も二人の後へ続き、黄砂の回廊を進んだ。


しばらく歩くと、通路はやや開けた空間へ出た。


回廊そのものと同じ黄褐色の石で造られた部屋だが、中央には人を模したような異様な装飾物がいくつも立ち並んでいる。祭祀か墓所か、用途の見当もつかない。


その空間の中心に、一体の魔獣がいた。


四足歩行の獣。


体格は狼よりやや大きい程度。だが頭部には一本、硬質な角が斜め前方へ伸びている。砂をまとったような黄褐色の体毛は周囲の景色に溶け込む色をしており、静止していれば少し目を離しただけで見失いそうだった。


「……あれが砂角獣(サンドホーン)


ルネルが、ごく小さく呟く。


次の瞬間、彼女は迷いなく右腕の装置へ指をかけた。


カチッ、と控えめな音。


先端についていた菱形の導子が、まるで弾かれたように飛び出した。


その後ろには細い糸――いや、導糸が繋がっている。


ルネルは左手で装置を支え、右手の指先へ通していた輪へ僅かに力を込めた。


すると導子は空中で生き物のように軌道を変え、部屋の中央を駆ける砂角獣の周囲を一気に回り込む。


「……っ」


思わず息を呑む。


ただ放っただけではない。


あの導子は、ルネルの指先の動きに応じて進路を変えているように見える。


俺にはそれが、まるで意志を持って飛んでいるようにすら見えた。


砂角獣が異変に気づき身を翻した時には、すでに遅い。


導糸は前脚、胴、後肢へと一息に絡みつき、魔獣の身体を縛り上げた。


瞬間、拘束された魔獣が激しく暴れる。


だが、細く見えた導糸は意外なほど強靭だった。力任せに振りほどこうとするほど、逆に締め上げるように食い込んでいく。


「イチ」


ルネルが短く呼ぶ。


「おう!」


それだけで十分だったらしい。


イチは背の大剣を抜き放つと、床を蹴って一気に間合いを詰めた。振り下ろすのではなく、低い軌道で横薙ぎに振るう。


ごっ――という鈍い感触。


砂角獣の角が、根元に近い位置から切り落とされた。


角は床へ転がり、断面から青い粒子を散らせ始める。


見慣れた光景。魔素の還元。


このままでは消える。


そう思った瞬間、イチは切り落とした角を拾い上げ、ルネルへ投げた。


ルネルは片手でそれを受け止めると、腰の小袋から小瓶を取り出した。蓋を外し、中の液体を断面へ素早く塗り広げる。


すると、青くほどけかけていた断面が淡く白濁し、薄く膜を張るように固まっていく。


「……消えない……」


そんな俺の反応は気にせず、ルネルが顔を上げる。


「始末して」


「了解!」


イチの二撃目は早かった。


今度は首筋――というより、頭部と胴を繋ぐあたりの深い位置を狙う。


刃が食い込み、そこで魔獣の動きがぶつりと止まった。


一拍遅れて、全身が青い粒子へと崩れていく。


毛並みも、胴も、四肢も、青い光の粒へと崩れ、散っていく。


最後に床へ残ったのは魔素核だけだった。


ルネルは右腕の装置へ短く二度、指を触れる。


すると、さっきまで砂角獣を拘束していた導糸が音を立てて巻き戻され、導子ごと装置へ吸い込まれていった。


やはり妙な装備だ。


だが、それ以上に目を引いたのは、ルネルの手に残っている角のほうだった。


魔獣本体が完全に消滅しても、切り取られた角はそのまま残っている。


俺がそれを見つめていると、ルネルは当然のような口調で言った。


「こうやって回収する」


それだけ言って、角を腰の袋へ収める。


あまりにも簡潔だ。


「その瓶は?」


「素材保存剤。薬草の搾りかすと、魔光石の滓を混ぜて作る」


淡白なルネルの言葉に俺は頷いた。


「……なるほど」


思わず納得の声が漏れる。


つまり、完全崩壊の前に必要部位を分離し、青い粒子に崩れる前に保全剤で固定する。


そうすれば素材として残る、ということか。


確かに、これは理屈で聞くより実際に見たほうが早いか。


……しかし、魔獣の素材を得るための保存剤も迷宮から得られるものから作れる、という事には引っ掛かりを感じる。


迷宮は危険だが、同時に人類にとって都合がいい所も多い。


魔獣は魔素として還元される。


だが、必要な部位だけを残す方法まである。


薬草の残りも、魔光石の滓も、保全剤の材料になる。


最初からそう活用されることを前提として作られたような――


――ズキリ。


再び、左目の奥が痛んだ。


「……」


今度の痛みは先ほどよりわずかに強い。


「ん? アベル、どうかしたか?」


イチの声が飛ぶ。


「……いや、何でもない」


そう答えたものの、自分でも誤魔化しきれていないのは分かっていた。


ルネルだけが、色付き眼鏡の奥から無言でこちらを見ている。


しかし彼女は何も口にしなかった。


ただ、導糸機を軽く確かめるように指先で触れ、それから回廊の先へ視線を向ける。


「行く」


短い一言。


それに頷き、俺たちは再び黄砂の遺廊(サンド・レムナント)の奥へ歩き出した。


――歩くたびに砂が小さく鳴った。その音さえ、この迷宮ではどこか不気味だった。



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