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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:潮風の街、蒼海の銀翼
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第二章:潮風の街、蒼海の銀翼(7)

新しく剣を受け取ったあとも、俺たちはすぐにはベルガ工房を後にしなかった。


「なあなあ、兄ちゃん! 本当にイチ兄より強いのか?」


「目の色、ほんとに赤いな! 痛くねえのか?」


「うちのバカ兄貴は、ちゃんと役に立ってますか? 迷惑かけていたらすみません」


次々と飛んでくる質問に答えているうち、気づけば俺はイチの部屋まで連れてこられていた。


「おいお前ら! 勝手に人の部屋に入んなって! アベル、こっちだ!」


部屋は案の定と言うべきか、整っているとは言い難かった。


壁際には使い込まれた大剣型の木剣が無造作に立てかけられ、隅には手入れ途中らしい革手袋と汗を吸った布が積まれている。


机の上には開きかけの本と削りかけの木片、棚には貝殻や妙な置物が雑多に並んでいる。


落ち着きはない。だが、不思議と嫌な感じはしなかった。


いかにもイチらしい部屋だ。


「……正しく、お前の部屋だな」


「ん? だからそうだと言ってるだろ? あ、もしかして褒めていたのか?」


「いや、褒めているつもりはないんだが」


「褒めろよ!」


イチが騒ぎ、弟妹たちが笑う。


いつの間にか俺も、その輪の中にいる。


気づけば窓の外は赤く染まり始めていた。


工房の熱も、夕暮れの色へ少しずつ押し流されていく。


「さてと」


そんな騒がしさの中で、セルナさんが柔らかく微笑んだ。


「せっかくですし、お夕飯を召し上がっていきませんか?」


「そうだな」


イベクさんも腕を組んだまま頷く。


「ここまで来てもらって、剣だけ渡して帰すってのも味気ねえ。港町の飯ってやつを、ちゃんと食っていけ」


ハウゼンさんは、いかにも当然といった顔で頷いた。


「うむ。ご厚意はありがたく受けるとしよう。アベルマス君も、それでよいな」


断る理由はなかった。


「はい。ありがとうございます」


そう答えた時には、弟妹たちが「やったー!」と勝手に盛り上がっていた。


食卓へ並んだ料理は、どれも見慣れないものばかりだった。


香草と一緒に焼かれた白身魚。貝を煮込んだ汁物。海老に似た甲殻類の蒸し料理。


それに、魚肉を香辛料と一緒に焼き固めたようなものまである。


「……うまい」


初めて口にする味ばかりだったが、一口で思わず息を漏らす。


セルナさんが嬉しそうに笑った。


「よかった。海のものは口に合うか少し心配だったの」


「いえ、むしろ……思っていた以上です」


味が濃いわけではない。


だが素材の旨みが強く、噛むほどにじわりと広がってくる。


そして何より、食卓そのものが温かかった。


イチは喋りながら食べて叱られ、弟妹たちはそれを笑い、イベクさんは無言のまま皿が空けば次を勧めてくる。


騒がしい。


少し落ち着かない。


だが、嫌ではなかった。


むしろ――胸の奥のどこかが、静かにほどけていくような感覚があった。


こういう空気の中で育ったのなら、あの騒がしさも、あの真っ直ぐさも、少しは分かる気がした。


「ん? どうかしたのか、アベル」


イチが不思議そうにこちらを見る。


「いや」


首を横に振る。


「……少し、羨ましいと思っただけだ」


「は?」


「いや、何でもない」


言ったあとで、イチはますます分からないという顔をした。


だが、その意味を深く追及してくることはなかった。


――食事を終え、工房を出た頃には、空はすっかり夜の色へ沈んでいた。


「また来いよ、アベル!」


満面の笑みで手を振るイチに、こちらも手を振り返した。


いつの間にかすっかり懐かれていたらしい弟妹たちへ軽く手を振り返し、俺はイチの家をあとにする。


昼間の熱気を吸い込んだ石畳は、もうその大半を夜風へ返し終えていた。


潮の匂いを含んだ風が、頬を静かに撫でていく。


昼のマルヴェルは、音と光と人の熱で満ちていた。


だが夜のマルヴェルは違う。


波の音。遠くの金属音。店じまいを始めた露店のざわめき。


人の気配は残っているのに、どこか静かで、落ち着いている。


寂れているのではない。


賑わいのあとにだけ見える、街そのものの息遣いのようなものがあった。


隣を歩くハウゼンさんは、しばらく何も言わなかった。


ただ、こちらを急かすでもなく、ゆるやかな歩調で先を行く。


その横顔をちらりと見た時、口元にごく薄い笑みが浮かんでいることに気づいた。


何を思っているのかは分からない。


どこか、こちらの様子を静かに見守っているような、そんな穏やかさだけは分かった。




・ ・ ・




ギルドへ戻る頃には、一階の空気も昼間とは随分違っていた。


受付は閉めに入る時間らしく、依頼人の姿はかなり減っている。酒場スペースに残っているのも、何人かの常連らしき男たちだけだ。


「ああ、ハウゼンさん。お久しぶりです」


そう声をかけてきたのは、どこか学者を思わせる雰囲気の男だった。


線の細い顔立ち。きっちりと後ろでまとめられた髪。そして何より、片方の目にだけ載せられた奇妙な硝子の輪。


初めて見る形の眼鏡だった。


「おお、ハノイル君。昼は留守だったそうだが、用事は済んだのかね」


「ええ。依頼に関して少し、関係者と話を詰めておりました」


そこで、その男――ハノイルさんは俺へ視線を移す。


片眼鏡の奥の目が、わずかに細められた。


「……ほう。君が例の実習生ですか」


声音は柔らかい。


だが、なぜだろう。


ただ見られているだけなのに、値踏みされているような感覚があった。


「噂以上に、面白そうな方だ」


その言葉の意味はよく分からなかった。


少なくとも、普通の初対面で使う言い回しではない気がする。


だが、黙ったままでいるのも妙だ。


俺は軽く頭を下げた。


「アベルマス・ウィドバーグです。短い間ですが、お世話になります」


「ああ、これは失礼を」


ハノイルさんは片手を胸へ当て、芝居がかったほどではない自然さで一礼した。


「ハノイル・ランベルクと申します。一応、このギルドで副ギルド長などを務めております。どうぞよろしく、アベルマス君」


「こちらこそ」


短いやり取りの間にも、ハノイルさんの視線は妙に滑らかだった。


顔。姿勢。腰にある剣。そして――左目。


まるで順番に確かめているような見方だった。


気のせいかもしれない。


だが、少しだけ引っかかるものがあった。


その後もいくつか当たり障りのない会話を交わしたあと、ハウゼンさんは静かに立ち上がった。


「では、ワシはそろそろ戻るとしよう。アベルマス君、頑張りたまえ」


ハウゼンさんはそう言い残し、ギルドを後にした。


色々と世話になってばかりで、本当にハウゼンさんには頭が上がらない。


そんな気持ちも込めて、俺はその後ろ姿が見えなくなるまで頭を下げていた。


残された俺は、そのままハノイルさんに三階へ案内されることになった。


「二階はギルド長室と応接のための空間です。三階は休憩所と、一部のギルド員が使う居住区ですね」


階段を上りながら、ハノイルさんが説明する。


「といっても、大したものではありませんよ。寝泊まりが出来る、という程度です」


三階は一階や二階に比べてずっと静かだった。


共用の休憩所らしき空間には長椅子と簡素な机、壁際には水差しと木製の棚が置かれている。


夜も更ければ、話し声すら吸い込まれてしまいそうなほど静かだ。


廊下の奥にはいくつか扉が並び、そのどれもが必要以上の装飾を持たない。


「こちらです。」


案内されたのは、階段から最も近い部屋だった。


「今は使っている者がいませんので、滞在中はこちらを自由にどうぞ」


扉を開ける。


中にあったのは、寝台と小机、それに壁際の簡素な棚だけだった。


本当に、それだけだ。


だが不思議と狭苦しくはない。


むしろ、余計なものがないぶん落ち着く。


グロリスで与えられた部屋も、方向性としては似たようなものだった。


「質素な部屋で申し訳ないですが」


「いいえ、これで十分です」


「それはよかった。 では、ごゆっくり」


ハノイルさんは柔らかく笑い、「何かあれば一階か二階へ」と言い残して去っていった。


荷を下ろし、最低限だけ整える。


そして最後に、工房で受け取ったばかりの剣を持ち上げた。


鞘に収まっていても、その存在感は薄れない。


沈み込むような色をしたその剣は、今も手の中で妙なほど馴染んでいた。


まるで、最初からこうして握られることを知っていたみたいに。


「……」


静かに鞘へ手を添える。


すると、不意に昼間ベルドガルさんと打ち合った感触が蘇った。


届かなかった一太刀。


砕かれた木剣。


そして、まだ足りないという実感。


……裏手の訓練場、か。


休む前に、少しだけ体を動かしたい。


そう思い剣を持って部屋を後にした。


一階裏手の訓練場は、昼間とは別の場所のように静まり返っていた。


喧騒はない。


笑い声もない。


あるのは夜気と、空から落ちる青白い月光だけだ。


俺は鞘から静かに剣を抜いた。


月の光を受けた刀身は、黒いはずなのに、ただ闇へ沈むのではなく鈍く艶めいて見える。


宝石のようだ、と言えば過剰かもしれない。


だが、ただの武器というには、どこか整いすぎていた。


まるで実用品と工芸品の境目が曖昧になったような、不思議な美しさがあった。


柄を握り、呼吸を整える。


型をなぞる。


実戦のためではない。


速さも、鋭さも求めない。


型の練習とは、本来そういうものではない。


身体へ正しい形を刻み込み、呼吸と重心の流れをひとつずつ確かめ、式の奥にある意味を身で拾い直していくためのものだ。


剣を振るうための練習であると同時に、己を見つめ直すための修練でもある。


師匠はよく言っていた。


――型を雑に扱う者は、いずれ剣そのものに見放される。


第一式。


ゆっくりと踏み込み、輪郭のずれを意識する。


第二式。


気配を落とし、歩みそのものを薄くする。


第三式。


返しの理を、身体の反転とともに確かめる。


第四式。


間を縫う。


広くではない。狭く、深く。


第五式。


昼間のことが脳裏をよぎり、一瞬だけ身体が強張る。


――だが、それすら呑み込むように、刃は静かに軌跡をなぞっていった。


断つための流れだけを、過不足なくなぞる。


そして、この先の形。


第六式。


今の俺にとって、実戦の中でまともに扱うにはまだ危うい領域。


感覚としては、万全の状態で魔素による身体強化を極限まで引き出して、ようやく届く程度。


千年前と同じ理を知っていても、若返った身体はまだそこへ完全には追いついていない。


でも、型として、意味をなぞるだけなら今の俺でも出きる。


呼吸を深く落とし、無理に速さを求めず、ひとつひとつの動きを繋げていく。


骨が軋むような感覚はない。


だが、全身が緊張しているのは分かる。


踏み込みすぎるな。


速さへ逃げるな。


形の内側にある理だけを拾え。


そう自分へ言い聞かせながら、どうにか第六式の輪郭を最後まで崩さずに辿る。


「……ふう。」


わずかに息を吐く。


型としてゆっくり追っていく。


なぞる度にいやでも思い知る。


これをそのまま生死のやり取りへ持ち込めるほど甘くはない、と。


そして――第七式。


剣を構えたまま、ほんの一瞬だけ思考が止まる。


あれは、かつての俺でさえ、ただ努力だけで届いた領域ではなかった。


女神の加護という、超常の力を借りて、ようやく垣間見た場所だ。


今の俺では、到底届かないだろう。


できるのは型の輪郭を剣先でなぞるだけだけど――


そう思った、その時だった。


――ぱち、ぱち、ぱち。


妙に乾いた拍手が、静まり返った訓練場へ響いた。


反射的に振り向く。


そこに立っていたのは、見覚えのない少女だった。


月光の下、銀色の長髪を左肩へ流すように低い位置でひとつにまとめている。


派手ではない。だが、立っているだけで自然と視線を引いた。


そして何より目を引いたのは、その瞳ではなく、瞳を覆う色付きの眼鏡だった。


「……誰だ」


問いながら、俺は剣を静かに鞘へ戻す。


少女は一歩も近づかず、ただこちらを見ていた。


「ルネル・オルカ」


抑揚の薄い声だった。


「あなたが、アベルマス?」


オルカ。


その姓を聞いた瞬間、昼間の巨躯が思い浮かぶ。


……ベルドガルさんの娘さんか。


なるほど、と納得しかけたところで、それだけでは片付かない違和感が残った。


「……アベルマス・ウィドバーグだ」


短く答えると、ルネルはわずかに首を傾げた。


「綺麗だった」


意味が分からず、言葉を返せない。


すると彼女は、いつもそうするのが当たり前であるかのような顔で続けた。


「型」


そこで初めて、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。


見ていたのか。


そう思ったが、問い返す前にやめた。


扉の軋みすら意識の外へ追いやるほど、俺は集中していたらしい。


ルネルは何も言わず、ただこちらを見ていた。


その視線がどこに向いているのか、はっきりとは分からない。


けれど、なんとなく……俺の左目に留まっているような気がした。


色付き眼鏡の奥の双眸が、月光を受けてかすかに揺らぐ。


まるで何かを覗き込むように、彼女はじっと動かなかった。


やがて、わずかに首を傾げる。


「……変」


ごく小さな声だった。


「あなた、やっぱり変な人」


「……いきなりだな」


そう返しても、ルネルは答えない。


ただ、彼女は静かに俺を見つめ続けていた。




――それが、どこか不思議な雰囲気の少女、ルネル・オルカとの最初の出会いだった。

面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。

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