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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:潮風の街、蒼海の銀翼
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第二章:潮風の街、蒼海の銀翼(6)

ハウゼンたち一行がギルドを後にしたあとも、蒼海の銀翼アズール・シルフィードの熱気はまだ冷めきっていなかった。


裏手の訓練場で行われた模擬戦は、それほどまでに強い印象を残していたのだ。


「いやあ、しかし驚いたな」


「イチ坊も前よりだいぶマシになってたが……あの黒髪の坊主、ありゃ反則だろ」


「最後の方なんて、動きがほとんど見えなかったぞ」


「ベルドガルさん相手にあそこまでやり合う生徒なんざ、そうそうお目にかかれねえ」


興奮混じりの声が、あちこちから飛び交う。


そんな喧騒から少し離れた酒場スペースのカウンター席で、ベルドガル・オルカは氷を浮かべた水の入ったグラスを静かに口へ運んでいた。


昼間から酒を飲んでいる探索者も珍しくない。


だが、そういうところに関して言えば、ベルドガルは存外に頭の固い男だった。


「……アベルマス、か」


ぽつりと呟き、わずかに眉を寄せる。


つい先ほど、自分と刃を交えた少年の姿が脳裏へ蘇る。


若さに見合わぬ実力者であったことは間違いない。


だが、強いだけならまだ理解はできた。


幼い頃から天才と呼ばれる者なら、ベルドガルはこれまで何人も見てきている。


現役の高位探索者の中にも、十代の時点で常人離れした才を示していた怪物は少なくない。


問題は、強さそのものではない。


――あの少年が使っていた、剣術だ。


一度見ただけ。


それも、ほんの短い打ち合いに過ぎない。


それでも分かる。


あれは、ただ斬るためだけの技ではなかった。


足運び。


呼吸。


間合いへの入り方と外し方。


相手の認識をずらすような、独特の身の捌き。


すべてが一本の筋で繋がっているように感じられた。


あれほどまでに整った剣術でありながら、ベルドガルは知らない。


もしも世に出回っている流派なら、良くも悪くも何らかの形で耳に入っているはずだった。


もちろん、自分は剣を専門とする人間ではない。


他国の流派事情まで知り尽くしているわけでもない。


聞き漏らしがあったとしても不思議ではない。


それでもなお、妙だった。


あの剣は、あまりにも洗練されすぎている。


もし剣の頂に片足をかけたような連中が見れば、自分以上に奇妙さを覚えるのではないか。


「……まあ、考えたところで仕方あるまい」


独り言のように吐き捨てる。


気にはなる。


だが、今ここで思案してみたところで、答えが転がっているわけでもない。


ベルドガルは思考をいったん切り上げると、なお興奮冷めやらぬ様子で語り合うギルド員たちへ視線をやった。


そういえば、イチの小僧も少し成長していた。


とりわけ、足運びが以前より洗練されていた。


おそらくはアベルマスから何かを学んだか、あるいは見よう見まねで取り入れたのだろう。


まさかイチまで手伝いに回るとは思わなかったが。


どのみち、こちらとしては歓迎すべき話でもある。


民間ギルドというものは、いつだって人手不足だ。


とりわけ夏のマルヴェルは観光客が増える。


珍しい魔獣素材を使った装飾品や土産物を求める者も多く、それに伴って依頼の数も跳ね上がる。


マルヴェル近郊に存在する二つの迷宮。


第二等級迷宮(レベル2)第四等級迷宮(レベル4)


その双方に関する依頼を回すには、どう考えても探索者の数が足りていない。


特に第二等級迷宮は厄介だった。


一般人にとっては十分に危険。


だが探索者からすれば難度は低めで、実入りもそこまで良くない。


危険と報酬の釣り合いが中途半端で、どうしても人手が回りにくい。


第四等級側へ余裕があれば無理にでも回せる。


だが現実には、その第四等級の依頼だけでも手一杯なのだ。


そんな状況で、アベルマスとイチがしばらくの間でもギルドの仕事を手伝ってくれるというのは、ありがたいことこの上ない。


そう考えていた、その時だった。


「ただいま戻りました」


「ただいま」


入口の方から、二つの声が響いた。


ベルドガルがそちらへ目を向ける。


入ってきたのは二人。


一人は、髪をきっちりと後ろでまとめた痩身の男だった。


中性的とすら言える整った顔立ちに、片眼鏡をかけている。


学者めいた空気を纏ったその男は、副ギルド長ハノイル・ランベルクだ。


もう一人は、銀色の長髪を左肩に流すように、低い位置でひとつにまとめた少女。


色付きの眼鏡をかけていても、なお損なわれない華やかな美貌。


ベルドガル・オルカにとって、何よりも大切な存在。


マルヴェルの宝。いや、ヴェルディア王国の宝石と呼んでも過言ではない、愛娘――ルネル・オルカだった。


「おお、ルネル! よく戻った!」


さっきまでの渋面が嘘のように崩れる。


「道中、妙な輩に絡まれたりはしなかったか!? この父は心配で心配で――」


「……お父様、うるさい」


抱きつこうと両腕を広げたベルドガルだったが、ルネルはひらりと半歩だけ身を引いた。


結果、ベルドガルの腕は虚しく空を抱く形になる。


ルネルはそんな父親を見上げるでもなく、完全に受け流した。


ギルドの探索者たちも、その光景にはすっかり慣れている。


「おっ、ルネル嬢ちゃん、おかえり! ついでに副ギルド長もお疲れさん!」


「私はついで扱いですか……」


ハノイルが小さく溜め息をつく。


だが次の瞬間、彼はギルド内の空気が普段以上にざわついていることに気づいた。


「……おや。随分と賑やかですね。何かありましたか?」


その問いに、酒を飲んでいた探索者の一人がすぐさま声を張り上げた。


「ああ、面白いことがあってな!」


「いや聞いてくれよ、副ギルド長!」


「今日な――」


だが、複数人が一斉に喋り始めたせいで話はまるでまとまらない。


ハノイルとルネルが揃って微妙に聞き取れていない気配を漂わせると、娘に回避された衝撃からようやく立ち直ったベルドガルが、わざとらしく咳払いをした。


「……俺が説明しよう」


そうして彼は、何でもないことのような顔で話し始める。


ハウゼンがギルドを訪ねてきたこと。


その同行者の少年がイチの友人だったこと。


実力を確かめるため、自分がイチとその少年を相手に軽く模擬戦を行ったこと。


一通り聞き終えたハノイルは、なるほどと頷いた。


「そういえば、ハウゼンさんが学園の生徒を一人、三週間ほど実習に出したいと仰っていましたね。今日がその日でしたか」


そこで彼は、片眼鏡の奥の目をわずかに細める。


「しかし、ギルド長が年端もいかぬ少年相手に“やや大人げなく”本腰を入れるほどとは。なかなか興味深いですね」


「“大人げなく”をわざわざ強調する必要はあるのか?」


ベルドガルが渋面を作る。


ハノイルは肩をすくめるだけだった。


「……その人」


静かな声が落ちた。


今まで黙って話を聞いていたルネルだった。


表情そのものはほとんど変わらない。


だが、その短い一言には確かに色があった。


「……お父様と、やり合ったの?」


「む」


娘の声音に含まれた微かな興味を、ベルドガルは聞き逃さなかった。


たちまち警戒するような顔になる。


「ルネル。十代の男というものは総じて危険だ。興味を持つ必要はないぞ!」


「……お父様、さっきから本当にうるさい」


一刀両断だった。


ルネルは父親を見もしない。


「その人、今は?」


「ああ。今ごろはハウゼンさんと一緒に、イチ坊の家に顔を出しているはずだ」


「……そう」


ルネルは小さく頷いた。


相変わらず無表情に近い。


けれど、彼女をよく知る者たちは理解していた。


今のこれは、明らかに彼女が興味を持っている時の反応だ。


「ルネル! だから気にしなくてよいのだ! それより、この父との時間をもっと大切に――」


「はいはい、ベルドガルさん。その辺りでやめておきましょうか」


ハノイルが流れるように割って入る。


「報告もありますし、そろそろギルド長としての仕事へ戻ってください」


「おいハノイル! 何だその態度は! いくらお前でも、俺とルネルの触れ合いを邪魔するのは――」


「このままですと、後で奥方かライチェン翁へ報告することになりますが」


「……ぐっ。卑怯な真似を……」


「褒め言葉として受け取っておきます。では、行きますよ」


ベルドガルは苦々しい顔をしつつも、さすがに逆らえなかった。


二階へ向かうその背中を、ルネルはしばし黙って見送る。


やがて父とハノイルの姿が階段の向こうへ消えると、彼女はくるりと探索者たちの方へ向き直った。


「……ねえ」


その一言だけで、周囲の数人が「おっ」と顔を上げる。


「その人、どんな人だったの」


そこから先は質問が続いた。


「どんな戦い方をした?」


「……本当に強かった?」


「お父様は、どこまで本気だったの」


「外見は?」


ルネルの問いは途切れることなく続いた。


次々と投げられるルネルの問いに、探索者たちは面白がりながら口々に答えていく。


「見た目は細いが、妙に研ぎ澄まされてた」


「普通の学生の動きじゃねえよ。あれは相当だ」


「最後の方なんざ、何やったのかよく見えなかったしな」


「ベルドガルさんも途中からちゃんと構えたぜ」


「黒髪で、左目の色が変わってたな。真っ赤で」


話が進むにつれ、ルネルは一言も余計な相槌を打たなかった。


ただ静かに聞いている。


だが、色付き眼鏡の奥にある双眸は、いつの間にか僅かに熱を帯びていた。


興味。


探究心。


あるいは、もっと別の何か。


その光は、ほんの一瞬だけ――


比喩ではなく、淡く発光したようにも見えた。


だが次の瞬間には、色付きのレンズの奥へ隠れ、誰の目にもはっきりとは捉えられなかった。

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