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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:潮風の街、蒼海の銀翼
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第二章:潮風の街、蒼海の銀翼(5)

「――この、バカ兄貴――!」


――小さな影が、一直線に飛び込んできた。


「ぐえっ!?」


イチが腹を押さえ、その場でくの字に折れ曲がった。


……何だ?


あまりに勢いよく突っ込んできたせいで、一瞬理解が追いつかなかった。


だが、当のイチは思ったほど深刻なダメージではなさそうだった。顔をしかめて腹を押さえたまま、目の前の小柄な少女を睨み上げる。


「おい、ルニ! 何すんだよ! いきなり体当たりとか危ないだろ!」


「うるさい、バカ兄貴! またやることもやらずに勝手にフラフラして! バカのくせに!」


腰に手を当ててイチを睨み上げる少女。


年の頃は十二歳ほどか。


イチと同じく、赤と黒が混ざった髪色。肩のあたりで切りそろえられた短い髪が揺れている。


勝ち気な目つきと、きびきびした口調。


……イチの妹、か。


そう思って見ていると、少女はようやくイチの背後に立つ俺とハウゼンさんに気づいたらしい。


途端に顔を真っ赤にして、ぴんと背筋を伸ばし、そのまま深々と頭を下げた。


「し、失礼しました! お客様がいらっしゃるとは知らず、とんだ無作法を……!」


一連の動作に妙な淀みがない。


ただ勝ち気なだけではなく、かなりしっかりした性格らしかった。


その時、少女の後ろから今度は小さな男の子が二人、ひょこりと顔を出す。


「兄ちゃん、おかえり!」


「兄ちゃん、それ何ぃ?」


目をきらきらさせながらこちらを覗き込んでくるその様子に、思わず口元が緩んだ。


その直後だった。


「この馬鹿息子がっ! どこをほっつき歩いて今さら帰ってきやがった!」


腹の底へ響くような怒声が、工房の奥から飛んできた。


現れたのは、片手に大きな槌を持った巨漢だった。


ベルドガルさんとはまた違う意味で大きい。


顔の半分以上を覆うような濃い髭。頭には布を巻き、その上には丸みを帯びた独特な眼鏡が引っかけられている。目つきは鋭く、腕は太い。だが鍛錬のために作り上げた肉体というより、長年火と鉄を相手にしてきた生活そのものが形になったような筋肉だった。腹は少し出ているが、それがかえって全体の威圧感を増している。


男は荒っぽい目つきのままイチを睨みつけ――その視線が俺たちの方へ流れ、ハウゼンさんを認めた瞬間、ぴたりと動きを止めた。


「……ハウゼンさん?」


次いで慌てたように槌を下ろし、深く頭を下げる。


「これは失礼しました。まさかこのようなところへ直々に来ていただけるとは。みっともないところをお見せしてしまって……」


どうやらこの人が、イチの父親――イベク・ベルガらしい。


ハウゼンさんは、さきほどまでの騒ぎも含めてどこか楽しげに眺めていたらしく、いつもの穏やかな笑みで軽く手を振った。


「ほっほっほ。何、変わらず賑やかで結構なことです。お元気そうで何よりですよ、イベク殿」


「ええ、おかげさまで……。いや、こんなところで立ち話も何です。どうぞ上へ。茶でもお出しします。おい、セルナ!」


「はーい」


今度は二階の方から、柔らかくのんびりした声が降ってきた。


姿を現したのは、赤い髪をきちんと束ねた美しい女性だった。


落ち着いた笑みを浮かべ、階段を降りながらこちらを見る。


「まあ、ハウゼンさん。お久しぶりです。あら、イチちゃんのお友達?」


雰囲気だけなら、先ほどの怒鳴り声が飛んでいた家と同じ場所とは思えないほど穏やかだった。


きちんと名乗るべきだと思い、俺は一歩進み出て頭を下げる。


「アベルマス・ウィドバーグと申します。……一応、イチの友人をしています」


「ははは! またまたそんな遠慮して! アベルは意外と照れ屋なんだよな!」


イチが横から豪快に笑う。


……友人だとは思っている。


思ってはいるのだが、こうして改めて言葉にされると、なぜか素直に頷きたくない自分がいる。


そんなことを考えていると、その女性は少し目を細めて俺を見た。


「まあ! あなたが、イチちゃんの言っていたアベルちゃんね?」


そう言って、柔らかく目を細める。


「いつも、うちの子がお世話になっています。私はこの子たちの母の、セルナ・ベルガです」


「……母?」


思わず口から漏れる。


セルナさんはきょとんとしたあと、ふわりと微笑む。


「ええ。この子たちの母ですけど……あら、どうしたの?」


慌てて頭を下げる。


「あ、いえ……あまりにお若く見えたので、てっきり、イチのお姉さんかと。失礼しました」


「あらあら―まあまあ―」


セルナさんは嬉しそうに両手を合わせた。


「お上手なのね、アベルちゃん。若くてお綺麗で素敵なお姉さんだなんて。うふふ」


……今、俺はそこまで言っただろうか。


何となく、ああ、イチの母親だな、と思った。


その後、妹のルニが小さく咳払いをして、改めて一礼した。


「ルニ・ベルガです。 うちのバカ兄がいつもご迷惑をおかけしています。 足りないところだらけの愚兄ですが、どうかよろしくお願いします。 この子たちはビンスとアッシュです」


「ビンス・ベルガです!」


「アッシュ・ベルガ! よろしく、アベル兄ちゃん!」


「……よろしく」


元気よく頭を下げる二人を見て、俺は思わずまた小さく笑っていた。


それにしても。


イチとはずいぶん違ってしっかりした妹だ。


一通りの挨拶が終わると、セルナさんはハウゼンさんたちを二階へ案内しようとする。


イベクさんも、その後ろについていく。


ルニと弟たちまで当然のように続こうとしたので、俺もこのままついていくべきか、一瞬だけ迷った。


その時だった。


「ああ、そうそう」


ハウゼンさんが思い出したように振り返った。


「アベルマス君。 以前使っていた剣は折れてしまったのだったね。 ちょうどいい機会だ。 ここで、代わりになる一本を見繕ってみるといい。 イベク殿の腕は王国でも折り紙付きだから、きっと気に入るものがあるだろう」


そう言われて、ようやく店内の品々が目へ入ってきた。


壁一面に整然と並ぶ剣、槍、短剣。


奥には防具や、用途の分からない金具まで見える。


俺の視線を追ったイベクさんは、小さく鼻を鳴らした。


「過分なお言葉ですよ。……イチ、お前が案内しろ」


「へーい。 アベル、こっちこっち」


イチは来る途中で挨拶していたお婆さんから預かっていたらしい封筒をルニへ渡し、そのまま俺を武器棚の並ぶ一角へ引っ張っていく。


「あら、イチ君、平気なの?」


店番らしい女性が、カウンター越しに呆れ半分で声をかける。


「おやっさん、相当怒ってたみたいだけど」


「ははは! いつものこといつものこと!」


……本当に、揺るがない男だ。


その言葉に、店番の女性は小さくため息をついたのが見えた。


――並べられた武具を改めて見回す。


どれも、見るからに質がいい。


防具も、剣以外の武器も、ただ飾りとして置かれているのではなく、実際に使うための品として仕上げられているのが分かる。


素人目にも、わかる。


明らかに上等だった。


「……すごいな」


思わず漏れた言葉に、イチが誇らしげに笑う。


「だろ? うちの工房、すごいんだって!」


急に剣を選べと言われて戸惑いはあった。だが、これほどの品々を前にすると、武人の端くれとして胸が高鳴るのを止められない。


「……これ、持ってみてもいいのか?」


「問題ないよ。抜けないように鎖はついてるけどな。展示用の鞘だから、重さもそこまでじゃないらしい。詳しいことは俺も分かんないけど」


イチの言葉に、壁へ掛けられていた一本を慎重に手に取る。


確かに鎖で鞘と繋がれていて、完全には抜けない。だが、わずかに覗く刀身だけでも十分に研ぎ澄まされているのが伝わってきた。


鞘ごと固定したまま、軽く二、三度振ってみる。


これは、かなりの出来だ。


重さも重心も、よく整っている。


これが王国でも指折りの職人という意味かと、改めて納得した。


一本を戻し、また別の一本を手に取る。


どれも素晴らしい一品ばかりだった。


剣だけでなく、他の武器や防具も確認する。


やはり、すごい出来だった。


どれくらい時間が経っているのかもわからないくらい、夢中に見て回っていた。


――そんな時。


「……?」


視界の端に、妙なものが引っかかった。


店の隅。


壁へ飾られているわけでもなく、どこか半端な扱いでまとめて置かれている剣の束がある。


「……あれは?」


そう尋ねると、イチは大したことでもないように答えた。


「ああ。なんか、親父とか弟子さんたちが作った中で、出来に納得いかないけど売れなくはないやつ、って感じらしい。」


「納得いかない、か……」


その言い方に、少しだけ引っかかるものを覚えた。


近づいて一本手に取る。


たしかに、壁に掛けられていた一級品に比べれば、わずかに粗い。だが、それでも一般に出回る剣よりよほど上等に見えた。


これで“出来が悪い”扱いなのか。


改めて、この工房の基準の高さに呆れる。


一本を戻そうとした時、その中にひどく気になる一本を見つけた。


何の変哲もないようでいて、妙に目を引く。


手に取る。


その瞬間、妙な感覚があった。


重さ。


握り。


重心。


壁の一級品と比べても、見劣りしないどころか、むしろ手の中へ吸い付くような収まり方をする。


いや、むしろ俺にはこの上ないほどしっくりくる感触だった。


鞘からわずかに抜く。


覗いた刀身は黒かった。


真っ黒というより、光を呑むような鈍い黒。黒曜石が薄く光を返すような、あの質感に近い。


「……」


なぜだろう。


この剣が、妙に気にかかる。


ただ見た目が珍しいからではない。


手に取った瞬間から、妙に“馴染み”のだ。


「……その剣は……」


いつの間に戻ってきていたのか、低い声がすぐ後ろから聞こえた。


振り返ると、イベクさんがこちらを見ている。


そして、ほんの一瞬だけ目を見開いた。


だがそれはあまりに短く、次の瞬間にはいつもの険しい顔へ戻っていた。


「気に入ったのか?」


問われて、少し迷う。


気に入ったか、と言われると、自分でもまだよく分からない。


だが。


「……一番、気になります。理由は、自分でも分かりませんが」


その答えに、イベクさんは短く「そうか」とだけ言って頷いた。


その時だった。


「では、イベク殿。その剣を頂くとしよう。代金はいかほどかな」


イベクさんの後ろにいたハウゼンさんがそんなことを申し出た。


思わず俺は目を丸くする。


イベクさんは、すぐに顔をしかめるようにして首を振った。


「とんでもない。先代の頃から、うちはハウゼンさんに世話になりぱなしです。今じゃ愚息まで世話になってる。そんな相手から金なんざ取れるわけがないでしょう」


まっすぐな物言いだった。


そして、それは俺にも他人事ではなかった。


俺もまた、日頃からハウゼンさんには世話になっている。そんな人にさらに何かを買ってもらうのは、どうにも落ち着かない。


「……ハウゼンさん。そこまでしていただくわけには」


そう言いかけたところで、ハウゼンさんが穏やかに笑った。


「遠慮は無用だよ、アベルマス君」


その声音は柔らかかったが、妙に逆らいづらい落ち着きがあった。


「良い職人の仕事には、相応の対価を払わねばならん。それは作品に対する礼でもある。それがイベク殿のものであれば、なおさらだ」


それから今度は、イベクさんへ向き直る。


「そしてイベク殿。これは施しではなく、こちらの都合でもあるのだよ。アベルマス君には、これから先も良い剣を使ってもらわねばならん。そうでなければ、せっかくの腕が惜しい」


少しだけ間を置き、いつものように笑う。


「どうか、ワシの我儘と思って受け取っていただけんかな」


そこまで言われてしまうと、俺の方もそれ以上は口を挟みにくい。


イベクさんも、しばらく黙ってハウゼンさんを見つめたあと、大きく息を吐いた。


「……そこまで言われちゃ、弱いな」


ぼそりと呟き、頭を掻く。


「分かりました。きっちり正価なんて取りませんからね。こっちにも筋ってもんがあります」


観念したように肩をすくめる。


「ほっほっほ。それで十分ですじゃ」


その様子に、ハウゼンさんは愉快そうに笑った。


結局、代金はハウゼンさんがきちんと支払われることになった。


その間、俺は何とも言えない気分でその黒い剣を見つめていた。


やがて展示用の鞘と鎖が外され、実際に持ち運ぶための鞘へ収め替えられたあと、剣は正式に俺の手へ渡される。


両手で受け取り、改めて重みを確かめた。


沈み込むような黒。


派手さはない。


それなのに、なぜか視線を離しがたい。


手に馴染む。


最初から、自分のためにそこへ置かれていたかのように。


「……」


言葉は出なかった。


ただ、その鞘を握る手へ、わずかに力が入る。


工房の熱気。


鉄の匂い。


家族の話し声。


遠くでまだ続いているイチの騒がしい声。


そのすべての中で、俺は新しく得た剣の重みだけを静かに確かめていた。


折れた剣の感触は、まだ手に残っている。


ベルドガルさんに敗れた悔しさも、まだ消えてはいない。


だが、それで終わりではない。


鞘へ手を添える。


黒い刀身は、今は鞘に隠れて見えない。


それでも、その内側に確かな鋭さが眠っていることだけは分かった。


――次は、もっと届かせる。


そんな思いだけが、静かに胸の奥へ沈んでいった。

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