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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:潮風の街、蒼海の銀翼
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第二章:潮風の街、蒼海の銀翼(2)

振り返ると、そこにいたのは見慣れた顔だった。


「イチ……? お前、なんでここに」


思わずそう口にすると、イチは目を丸くしたあと、すぐに不満そうに眉を寄せる。


「いや、それ先に言ったの俺なんだけど?」


「……それもそうか」


自分で言っておいて、少しだけ間の抜けた返しだった気がする。


だが、そう返すより先に、どこから説明すればいいのか一瞬迷ってしまった。


そんな俺たちのところへ、背後から大きな影が差す。


「おっ、師匠! 何してるんすか!」


あの巨体を前にしても、イチはまるで動じない。


軽く手を振る様子すらいつも通りだった。


……師匠?


「だから師匠と呼ぶなと言っているだろうが、この小僧」


ベルドガルさんは露骨に顔をしかめた。


「何度言えば分かる。俺はただ、魔素を使った身体強化のコツを少し教えただけだ。師匠と呼ばれるほど大層なことはしていない」


ベルドガルさんはそう言って、どこか諦めたように息をついた。


「またまたあ―師匠も素直じゃないっすねえ!」


完全に呆れている顔をされている。


だが、イチはどこ吹く風だった。


「で? アベルと学園長がなんでここに? あ、もしかしてわざわざ俺に会いに来てくれたとか?」


「そんなわけあるか」


反射的にそう返してから、俺は妙な感覚に気づいた。


この場所は初めて来たはずなのに、イチがいるだけで空気が少しだけ馴染んだものになる。


喧しい。落ち着きはない。だが、その騒がしさが、どこかグロリスの寮にいた時の空気を思い出させた。


ハウゼンさんも、そんなイチの様子を見て穏やかに笑っている。


「イチ君はいつ見ても元気があってよいな。イベク殿も息災かね」


その名前を聞いた瞬間、イチの顔があからさまにしかめられた。


「クッソ親父なら、無駄に元気すぎて困るくらいっすよ。帰ってきた途端、あれやれこれやれって、うるさくて仕方ないんですから」


そのやりとりを聞いて、ようやくはっきりした。


どうやらマルヴェルは、イチの故郷らしい。


「さて」


ハウゼンさんが一度咳払いをして、話を元に戻した。


「どうしてワシとアベルマス君がここに来たのかについてだが――」


ハウゼンさんの説明が終わるなり、イチは声を張り上げた。


「アベル、ずるい!」


……何がだ。


「俺なんか他の奴より課題が三倍だぞ!? なのに、なんでアベルだけそんな面白そうなことで試験の代わりになってんだよ! ずるいだろ!」


本気で悔しそうだった。


ベルドガルさんは呆れたように眉を寄せ、周囲にいた探索者たちは面白そうに笑っている。


「学園長! お願いがあります!」


イチは急に姿勢を正し、真っ直ぐハウゼンさんを見た。


「俺も課題の代わりに実習にしてください!」


そう言って、勢いよく頭を下げる。


……こいつは、何を言い出しているんだ。


周囲を見回すと、探索者たちは完全に慣れた表情で呑気に眺めていた。


ベルドガルさんに至っては完全に疲れた表情を浮かべていた。


……なるほど。普段からこうなのか。


ハウゼンさんはそんなイチをしばらく眺めていたが、やがて柔らかく微笑んだ。


「構わんよ。学園にはワシの方から話を通しておこう」


「本当っすか!?」


あまりにもあっさりしていて、逆に少し意外だった。


だがハウゼンさんのことだ。何か考えがあるのだろう。


「ただし」


その一言で、イチの表情がぴたりと固まる。


「今回の実習の評価が芳しくなかった場合、二学期は放課後補習を追加するとしよう」


「問題ないっす! そんなの余裕っすよ!」


何も考えていないような笑顔で、イチは力強く頷いた。


周囲からくすくすと笑いが漏れる。


「イチ坊、相変わらずだな」


「見てる分には飽きねえよな、あいつ」


「子供の頃から全然変わってねえ」


そんな声があちこちから聞こえた。


「アベルと一緒なら絶対大丈夫だって! な、そうだろ?」


すでに、俺とイチが一緒に行動することは決まった後らしい。


俺の意見など、最初から数に入っていない気がする。


だが、まあ。


こいつと一緒にいれば騒がしいことこの上ないだろうが、見知らぬ土地で完全に一人でいるよりは、たしかにましかもしれない。


そう考える自分がいた。


「すまんな、ベルドガル君。少し勝手に話を進めてしまった」


ハウゼンさんがそう言うと、ベルドガルさんは首を横に振った。


「いえ。こいつの性格はさておき、腕の方はそこまで悪くありません。何より、この時期は忙しい。ああいうのでも、いないよりは助かります」


「えっ!? 師匠、それちょっとひどくないっすか!?」


「事実を言っただけだ」


そんなやりとりの最中、不意にベルドガルさんがこちらとイチを見比べた。


「……よし」


低く、しかしよく通る声だった。


「本格的に実習へ入る前に、お前たち二人の実力を見ておくとしよう」


イチの目がぱっと輝いた。


「いいっすね! 見てくださいよ、師匠! 今の俺、前とは違いますから!」


俺はと言えば、厄介なことになりそうだと思いながらも、ベルドガルさんの後を追うしかなかった。


気づけば、ギルドの中にいた探索者たちまでぞろぞろとついてくる。


「お、面白そうだな」


「暇つぶしには丁度いいか」


そんな声が聞こえた。


案内された裏手の空間は、思っていた以上に広かった。


土の地面はしっかりと踏み固められており、周囲には何度も打ち合いが行われたらしい痕跡が残っている。


端には木剣、木槍、模擬用の魔素銃らしきものまで整然と並べられていた。


学園の訓練場に似ている。


だが、こちらの方が明らかに使い込まれていた。


その周囲を、探索者たちは実に慣れた様子で囲んでいく。


壁にもたれる者。木箱に腰を下ろす者。腕を組んで立ったまま眺める者。


ベルドガルさんは武器の並ぶ一角へ歩いていき、まずイチを見た。


「最初はお前だ、小僧」


「よっしゃ!」


イチが勢いよく前に出た、その時だった。


ベルドガルさんは傍らにあった木製の大剣を片手で持ち上げると、そのまま軽く放るようにイチへ投げた。


「うおっ!?」


イチは反射的に両手で受け止めたが、その瞬間、ぐらりと体勢が崩れた。


前へつんのめりかける。


だが、どうにか片足を踏ん張り、転倒だけは避ける。


……見た目以上に重いようだ。


いや、それ以上に、あの大剣をベルドガルさんがあまりにも軽々と扱うほど、ベルドガルさんの腕力が強いというわけか。


「では、学園に入ってからどれほどましになったのか、見せてもらおうか」


ベルドガルさんはイチの前へ立ち、何も持たぬまま腕を組んだ。


あからさまな余裕。


同時に、わざと隙を見せているようにも見える。


「へへっ。今回こそ、師匠に一発入れてみせますって!」


イチは木の大剣を握り直し、口元を吊り上げた。


開始の合図はなかった。


だが次の瞬間には、イチが一気に踏み込んでいた。


速い。


大剣を持っているとは思えない踏み込みだった。


おそらく魔素による身体強化を使っている。


だが、それだけではない。


――前より、少し動きがいい。


初めてこいつと模擬戦をした時は、もっと単純だった。


力に任せて前へ出る。


見えたところへそのまま振り下ろす。


そんな、分かりやすくて、だからこそ組みやすい剣だった。


今のイチは違う。


真正面から飛び込んだかと思えば、打ち下ろす直前でほんのわずかに重心を引いた。


そして、ベルドガルさんの拳が大剣を迎え撃つより先に、半歩だけ後ろへ引く。


次の瞬間には、大剣を引き戻して横へ振るうための間合いを作り、今度は拳ではなく腰を狙って薙いだ。


「ほう」


ベルドガルさんの目が、わずかに細くなる。


俺もその動きに、少しだけ目を見張っていた。


あの足運びは……


――そういえば以前、午後の訓練でイチが俺の足運びを真似しようとして、見事に転んでいたことがあった。


見かねて、呼吸と体重移動の基礎だけを少し教えたことがある。


だが、それ以来イチがそれを真似ることはなかった。


すっかり忘れていたが、まさかこっそり練習していたのか、イチのやつ。


もちろん、まだ粗い。


ぎこちないし、繋がりも甘い。


とても歩法と呼べるほどのものではない。


それでも。


少なくとも、ただ力任せに振り回していた時よりは明らかにましだった。


ベルドガルさんは振り下ろしかけていた右腕を止め、その肘を落とすようにしてイチの大剣を叩く。


――ドスン!


鈍い衝撃音が響く。


木剣と人体がぶつかったとは思えない音だった。


イチの大剣は一瞬で下へ沈み込み、足元の土がわずかに跳ねる。


普通なら、そこで終わっていた。


だがイチは、そのまま崩れなかった。


片足を深く踏み込み、無理やり軸を立て直す。


そして沈んだ剣筋をそのまま斜めに引き上げるように修正した。


「……なるほど」


ベルドガルさんが今度こそ、はっきりと興味を示すような声を漏らした。


だが、それでも差は大きい。


ベルドガルさんは反対の拳でその木剣を軽く弾き、イチの軌道をまたずらしてしまう。


イチは舌打ちしながら、一歩後ろへ退いた。


「くっ……! 今の、惜しかっただろ!?」


イチ本人は本気で惜しいと思っているらしかった。


だが正直に言えば、惜しくはない。


今の一連の動きは、前よりずっと良かった。


それは間違いない。


だが、ベルドガルさんを本気にさせるには程遠い。


何よりあの男は、一歩たりとも動いていない。


受け、逸らし、押し返し、それだけでイチを圧している。


立っている土俵が違う。


そんな印象すらあった。


その後も、イチは何度か踏み込んだ。


だが、そのどれもがベルドガルさんにあっさり受け流される。


周囲の探索者たちの声が耳に届いた。


「お、イチ坊。思ったより粘るじゃねえか」


「ベルドガルさんが手加減してるからだろ。前とそんな変わらねえんじゃねえの?」


「いや、さすがに前よりは良くなってる。昔ほど力任せじゃなくなった」


「まあ、まだまだガキだけどな」


その直後だった。


焦ったのか、イチが大剣の間合いを捨てて無理に内側へ飛び込む。


悪い選択だ。


そう思った瞬間、ベルドガルさんの手が動いていた。


片手でイチの肩を掴み、そのまま持ち上げる。


「うわっ!?」


短い悲鳴。


次の瞬間には、イチの身体がくるりと宙を回り、背中から地面へ落ちた。


土煙が上がる。


「ぐぇっ……!」


「少しはましになったが、まだまだだな、小僧。」


ベルドガルさんはとうとう、一歩も動かなかった。


イチは仰向けのまま空を睨み、それから悔しそうに身を起こす。


「くっそ〜〜っ!」


本気で悔しそうだった。


だが、その顔にはどこか納得も混じっているように見えた。


やがてイチは木の大剣を元の場所へ戻すと、そのまま俺の方へ駆け寄ってくる。


「アベル! 俺の仇は親友のお前に託した!」


……別に仇を討つつもりはないが。


そう思ったのも束の間、ベルドガルさんの視線がこちらへ向いた。


鋭い。


だが嫌な感じではない。


むしろ、あからさまに腕を見ようとする、武人の目だった。


その視線を受けた瞬間、自分でも不思議なくらい身体の奥が熱を帯びるのを感じた。


緊張と、わずかな高揚。


――この時代の強者に、自分の技がどこまで通じるのか。


それを量るには、これ以上ない機会だった。


俺は武器棚から、手に馴染みそうな長さの木剣を一本選び取る。


学園の模擬戦で使っていたものに近い重さだ。


軽く振って感触を確かめる。


悪くない。


ゆっくりと、ベルドガルさんの正面へ立つ。


向こうはイチの時と同じく、腕を組んだまま俺を見ていた。


一歩も動く気はないらしい。


その余裕が、逆にこちらの内側を静かに熱くした。


全身が、これから始まる一太刀を待っている。


柄を握る手へ自然と力がこもる。


構えを取ると、ほんのわずかに胸が高鳴った。


ああ、俺はやっぱり武人で生きることが性に合うらしい。


軽く、息を吐く。


「ふう……」


さて。


いざ――


「――参ります」


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