終章(第一部完):異変の余波
ヴェルディア王国各地に速報が走った。
王都近郊に位置する名門、グロリス学院。
その学院が管理する第二等級迷宮――白の地下聖堂。
そこで未確認の魔獣が確認された。
新しい迷宮の出現や、迷宮の溢流のニュースなら、決して珍しい出来事ではなかった。
しかし――
既に存在している迷宮で、未知の魔獣が確認されたという報告は、これまで前例がなかった。
それも、知らせによれば迷宮の等級を遥かに越える魔獣だという。
特に今回事件が発生した白の地下聖堂は、学院生徒が実習に用いる比較的安全な迷宮として知られていた。
そんな迷宮で起きた異変。
それは――
「他の迷宮でも同じことが起きるのではないか」
そんな不安を人々の心に生んだ。
迷宮は今や、人類の生活を支える重要な資源でもある。
魔鉱石、薬草、素材、エネルギーに至るまで。
その殆どを迷宮に依存している以上、迷宮の安全が揺らぐという事実は決して小さな問題ではなかった。
故に。
この知らせは瞬く間に王国全域へ広がった。
『白の地下聖堂にて新種魔獣確認』
『学院生徒複数名負傷 学院による救出作戦実施』
『王国調査団、現地へ派遣』
ヴェルディア時報をはじめとする各紙が、この異例の事件を大きく報じた。
そしてグロリス学園は正式に発表した。
第二等級迷宮白の地下聖堂は、 安全確保および原因調査のため――
『生徒の立ち入りを無期限停止とする』
・ ・ ・
グロリス学院、治療棟。
静かな部屋の中で、一人の少女がゆっくりと目を開いた。
アネタ・マガリス。
迷宮から救出された生徒の一人だった。
目覚めた直後、彼女は天井をぼんやりと見つめていた。
『……生きてる……』
それを理解した瞬間、胸の奥が小さく震えた。
記憶がゆっくりと戻ってくる。
迷宮。
黒い怪物。
逃げる仲間。
置き去りにされた自分。
――怖い。
その感覚が蘇った瞬間。
アネタの体は反射的に小さく震えた。
――その後、彼女は看護師や教師から事情を聞かされた。
迷宮で倒れていた彼女たち。
そのまま放置される可能性もあったけど、そうならなかった理由があったと。
とある生徒達が異変を教師へ知らせたことで、比較的早く発見され、学院へ運び込まれたのだという。
それを、アネタは一人で頭で整理していた。
――気が付けば、窓の外は夕方になっていた。
授業も終わる時間。
治療棟も、どこか静かだった。
コンコン。
部屋の扉が遠慮ガチに叩かれる。
やがて、ゆっくりと扉が開いた。
そこに立っていたのは――
三人の生徒だった。
その顔を見た瞬間。
胸がぎゅっと縮こまった。
彼女たちだった。
迷宮で――
自分を残して逃げた三人。
迷宮で、自分だけが取り残されたあの瞬間が頭の奥で蘇る。
アネタの体が無意識に縮こまる。
視線を落とし、布団を握りしめた。
しかし。
次の瞬間。
三人は同時に、深く頭を下げた。
「……」
誰も顔を上げない。
ただ、黙って頭を下げたままだった。
謝罪の言葉すら、うまく口に出来ないように。
その沈黙が、逆に痛いほど伝わってくる。
やがて。
アネタは小さく息を吐いた。
「……もう、いいよ。顔を上げて。あなた達を責めないから」
三人の肩がびくりと揺れた。
ゆっくりと顔が上がる。
「どうして……?」
最初に声を出したのは、アンナだった。
信じられないという顔だった。
「なんで……そんなこと言えるの……?」
どこか、納得できない顔だった。
「私たち……あなたを置いて逃げたのに……」
責められることが当然だというように。
「怖くて……あんなことして……」
自分達はそれ相応のことをやってしまった。
「それなのに……」
アンナは唇を噛んだ。
まるで、自分の罪を認めた上で、罰を欲しがるように。
「本当に……それでいいの?」
その言葉に。
アネタは少しだけ困ったように笑った。
「先生から聞いたよ。助けてもらえたの……あなたたちが知らせてくれたからだって」
アンナの目が大きく揺れた。
しばらく黙っていたあと。
「……そんなの」
アンナは顔を歪める。
「そんなの当然だよ! そうじゃなくて私は――」
言葉が続かない。
代わりに、強く拳を握った。
「……何でもする」
突然の言葉にアネタの顔が困惑になる。
「本当に、何でもする! だから……」
アンナの声は震えていた。
「どうすればいいか……言って」
その言葉を聞いて、アネタは少し戸惑った。
そして。
小さく深呼吸をした。
――勇気を出す。
「じゃあ……」
声が少し震える。
「友達に……なってくれる?」
それでも、最後まで言えた。
その言葉に。
アンナは呆然とした。
「……え?」
一瞬の沈黙。
「本気で……言ってるの?」
アンナは信じられないものを見るような目で言った。
「私……あなたを置いて逃げたんだよ! そんな私と……本当に友達になりたいの?」
その問いに。
アネタは少しだけ俯いた。
そして。
震える声で言った。
「……私ね」
それは、今まで誰にも言えなかったこと。
「ずっと……友達に憧れてたの。友達との学園生活とかね、町にも一緒に遊びに行ったりして……」
アネタの、本音。
「私には、一度も出来なかった」
でも。
「でもね……」
遠くから、ただ羨ましそうに見ているだけだった。
「ただ憧れてるだけで……何もしなかった」
アネタは拳をぎゅっと握った。
「迷宮で一人になったとき……思ったの」
今でもあのときの記憶は胸が辛くなる。
それは、死への恐怖よりも――
「このまま……一人で死ぬのは……嫌だって」
一人のまま、誰の記憶に残れないまま消えることが。
とても怖かった。
声は相変わらず震えている。
それでも。
「だから……」
アネタは顔を上げた。
「憧れてるだけなのは、やめることにしたの」
しばらく沈黙が流れた。
やがて。
アンナの目から涙が溢れた。
アンナはゆっくり歩み寄り。
震えるアネタの手を、両手で包み込んだ。
「……ごめん……」
涙がぽろぽろと落ちる。
「一人にして……本当にごめんね……」
アンナは強く言った。
「もう二度と、そんなことしないから」
涙でぐしゃぐしゃの顔で。
「今度は絶対に、友達を置いて逃げないから」
それでも笑おうとしていた。
「……これから、よろしく」
アネタは小さく頷いた。
その日。
アネタ・マガリスには――
初めての友達が出来た。
ずっと憧れていた。
――本当の意味での友達が。
・ ・ ・
目を開いた。
頭がぼんやりしている。
ここがどこなのか、すぐには分からなかった。
鼻の奥に残る、妙な匂い。
薬草とも違う。
金属とも違う。
鼻の奥がつんとする、清潔すぎる匂いだった。
――嗅いだことのない匂いだ。
……どこだ……ここ……
体が重い。
指一本動かすのも億劫だ。
まるで体の中の力が全部抜け落ちたみたいだった。
しばらくして。
意識がゆっくりと戻ってくる。
迷宮。
怪物。
戦い。
ニナ。
仲間達――
「――みんなは……?!」
俺は体を起こそうとした。
次の瞬間。
ドン!
盛大な音を立てて床に転げ落ちた。
「っ……!」
体に力が入らない。
立てない。
それどころか、視界が妙にぼやけていた。
特に――左目。
左目だけが、妙にぼやけていた。
まるで薄い霧がかかったみたいに、景色が曖昧だった。
なんとかベッドの柵を掴む。
その時だった。
バン!
扉が慌ただしく開いた。
「な、何!? 今の音……アベル君!?」
「おお、アベル! やっと目覚めたのか!」
「お前たち……ここが病人の休む場所だという自覚はないのか。……ん? 我がライバルよ、何故床に転がっている」
「やっと目を覚ましたわね。私は別に心配なんてしてないわよ。私はね」
一瞬で騒がしくなる部屋。
俺は呆然とその光景を見ていた。
ニナ。
イチ。
ラミアール。
ソニア。
全員が――そこにいた。
誰一人、欠けることなく。
胸の奥から、何かが込み上げる。
「……お前ら……」
声がうまく出ない。
喉が震える。
「……無事……だったのか……」
その言葉に、イチは元気よく腕を振り回した。
「おう! 無事も超無事だぜ! なんか、早く保護されてからとかで怪我の治療も早く済んだと聞いたけど」
「まあ、我らが結果的に無事だったのも女神の導きということだろう。今では見ての通り、傷一つない」
「私たちのことより、あんたは大丈夫なの?体の傷は全部治ったのに起きないからニナさんがどれだけ心配したことやら。……そうそう、アベルくんこのまま起きなかったらどうしようとかで泣いたこともあったわね」
「ちょ、ちょっと! ソニアちゃん! それは内緒だって約束だったのに!!」
顔が赤くなってソニアに抗議するニナの姿を改めてよく観察した。
本当に、傷一つない。あんな形で飛ばされたのに……
俺の視線の意味を察したのか、ニナが少し困ったように笑った。
「……あの腕輪ね」
彼女は自分の腕を見ながら言った。
「着用者を守る力があったみたい」
イチが腕を組んで頷く。
「レア種倒したとき宝箱からでたあれ覚えているだろ?」
勿論覚えている。
――初めての迷宮探索を終えて迷宮を抜け出した時のことだ。
「ニナがいなかったら俺たち危なかったしさ」
と、イチが言い出し。
続いてソニアも一言を足した。
「危うくニナさんが大怪我したかも知れない」
最後にラミアールが。
「そのお詫びというわけではないが、その腕輪は是非ともニナ嬢に持ってほしい」
勿論俺も特に異論はなかったため、そのまま全員の意向でニナが持つことになったのだ。
――そんなことがあったのを思い出した。
ラミアールも続ける。
「結構強い守護魔法だったのだろ。まあ、今では跡形もなく消えてしまったが」
ソニアが小さく肩をすくめた。
「結果的に正解だったわね。あれがなかったら……」
……想像しただけでゾッとした。
でも、そうか。
みんな、無事だったんだな。
胸の奥が、じんわりと暖かくなった気がした。
ああ。
――今度は失わなかったんだな。
心から、そう安堵した。
・ ・ ・
白の地下聖堂。
迷宮第六階層の一角。
そこには巨大なクレーターが広がっていた。
そこに立つ一人の男。
ヴィクターラス・エルド・ヴァイスマン。
王国調査団に協力する形で調査に加わった、研究者にして魔素工学の権威者。
「……やはり、そうか」
彼は静かに呟いた。
回収された装置の分析。
迷宮内部の魔素測定。
その全てを照らし合わせた結果。
一つの結論に辿り着く。
迷宮の根源魔素は、彼が仕掛ける以前からすでに大きく減少していた。
「予定より、ずいぶん早く終わってしまったな」
本来なら、数十週。あるいは数年。
長期間にわたる実験になるはずだった。
迷宮の魔素を徐々に減らした時、迷宮はどのような反応を示すのか。
それを観測する実験。
だが。
予想外の形で、迷宮は反応した。
そしてそれは。
「――実に興味深い」
彼の装置が吸収した魔素に対して、迷宮が干渉した。
まるで、奪われた物をを取り戻そうとする生き物のように。
奪われた魔素を取り戻した。
そう。
迷宮そのものに意思があるかのような。
「迷宮は生きているのか?」
もしそう問われたなら。
彼はこう答えるだろう。
「私も、それを知りたい」
そして、興味深いのはそれだけではない。
報告されている未知の魔獣も、実に興味深い。
迷宮の魔素不足によって生まれた新種なのか。
それとも、別の場所から現れた存在なのか。
分からない。
できることなら――
この目で直接見てみたかった。
しかし、二週間の調査で既にこの迷宮には存在しないことが確認されている。
……実に、惜しい。
視線を下げる。
『そして、これも同じく』
石床を抉り取るように――
巨大なクレーターが広がっていた。
本来石床だった場所は完全に抉れ。
まるで対龍種を想定した魔素兵器でも使用されたかのような痕跡。
しかし。
そんな兵器は、基本その出力ゆえに大型なものばかり。
狭き通廊が多い迷宮では使えるはずがない。
ならば。
――同等の何かが、ここで起きたということだ。
では、そのなにかとはなんだ?
痕跡だけでは確認できない。
保護された生徒達は、こんなクレーターなど、覚えていないと証言していた。
『いや……まだ、一人目を覚ましてない者がいたな』
「アベルマス・ウィドバーグ……だったか」
保護された生徒の一人。
かの黒剣の重騎士ハウゼン・ウィドバーグの被後見人。
そして唯一、まだ目を覚ましていない生徒。
「彼なら、何かを知っているのかね」
その時。
「ヴァイスマン博士!」
調査員の声が響いた。
「報告書の整理が終わりました。お聞きになりますか?」
「ああ。今、参ります」
ヴィクターラスは最後にもう一度、クレーターを見下ろした。
そして。
小さく笑った。
やはり、迷宮とは――
「実に、興味深い。」
第一部はこれにて終わりです。
最後まで読んでいただいた方々ありがとうございます。
第二部開始日時は未定ですが、またよろしくお願いいたします。




