表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第五章:歪みが零した異形
31/36

第五章:歪みが零した異形(10)

四本の腕を持つ異形を前にして、俺はしばらく動くことができなかった。


目の前の存在が、何なのか理解できなかったからだ。


いや――違う。


理解できないのは、それだけじゃない。


胸の奥で、もっと別の違和感がざわついていた。


この時代の人は知らない。


魔王も。


勇者も。


魔族も。


千年前にあったはずの戦争も。


この世界では、それらは最初から存在しなかったことになっている。


書物にも残っていない。


伝承にも残っていない。


神話にさえ残っていない。


千年前より前の時代は、この世界では完全な空白だ。


だが――


俺は知っている。


俺だけは知っている。


覚えている。


千年前。


魔王が存在した時代を。


魔族と人類が種の存続をかけて争っていた時代を。


それなのに、この世界にはその痕跡が何一つ残っていない。


最初にそれに気づいたとき、背筋が凍るほどの違和感を覚えた。


だからこそ俺は、この迷宮を調べている。


千年前には存在しなかったはずの、迷宮というものを。


この世界の空白を埋める手掛かりが、ここにあるかもしれないと思ったからだ。


そして――


俺は今、その手掛かりになり得るものを目の前にしているのかもしれない。


目の前の存在。


四本の腕。


歪な身体。


複数の種族の特徴を無理やり混ぜ込んだような異形。


そして何より。


あの瞳。


血のように赤い瞳。


俺の知る限り、あんな目の色をしているものなど、一つしか存在しない。


――そう、魔族。


だが。


完全に同じではない。


どこか歪で。


どこか壊れている。


まるで、魔族という種を無理やり繋ぎ合わせて作ったような存在。


そんな印象だった。


存在するはずのないもの。


だが、確かにそこにいる。


こいつは……


なんだ?


俺はただ、その異形を見上げて立ち尽くしていた。


その時だった。


「アベル君! 危ない!!」


ニナの悲鳴に近い叫び声。


その瞬間、身体が勝手に動いた。


後方へ跳ぶ。


空気が裂ける音。


直後。


俺がさっきまで立っていた場所を、四本の剣が同時に切り裂いた。


石床が砕ける。


粉塵が舞い上がる。


……速い……!


さっきの獣形態とは比べ物にならない。


速度も。


重さも。


そして攻撃の密度も。


完全に別の存在だった。


俺は剣を構え直す。


左目がまだ焼けるように痛む。


だが。


そんなものに構っている余裕はない。


……今は考えるな。


そう自分に言い聞かせる。


疑問も。


違和感も。


全部、後回しだ。


今やることは一つ。


生き残ること。


そして――


こいつを止めることだ。


次の瞬間。


四本の剣が同時に動く。


剣が交差する。


振り下ろし。


突き。


薙ぎ払い。


間断なく襲いかかってくる。


まるで四人の剣士と同時に戦わされているようだ。


俺は踏み込む。


一撃目を受け流す。


二撃目を弾く。


三撃目を身体を沈めて回避。


だが。


四撃目が来る。


「……ちっ!」


剣で受ける。


――やはり、重い!


腕に衝撃が走る。


だがその瞬間、俺の身体はすでに次の動きに入っていた。


滑るように踏み込む。


一閃。


黒い腕の一本を切り落とす。


だが。


次の瞬間には、霧が集まり修復を始める。


姿が変わっても修復は同じ。


だが。


体を修復するたび、確実に小さくなっている。


少なくとも、修復に使われている黒い霧は最初に比べて明らかに減っていた。


完全な無限修復ではない。


代償がある。


俺がやるべきことはさっきと変わらない。


それ以上修復できなくなるまで、削る――!


思考を遮るように、四本の剣が再び振るわれた。


今度は速度が違う。


連撃。


波のように。


間断なく。


斬撃が押し寄せてくる。


まるで暴風だ。


俺は呼吸を整える。


視界の端で、仲間たちが息を呑んで見ているのが分かる。


だが今は。


俺と、この異形だけの世界だった。


「……来い」


俺は剣を構える。


そして。


四腕の異形が、地面を踏み砕いた。


同時に。


四本の剣が、嵐のように襲いかかってきた。


空気が裂ける。


四方向から同時に振るわれた刃。


普通なら、見えた時にはもう斬られている。


だが――


俺の身体がわずかに揺れた。


無影一刀流――




【第一式・陽炎(かげろう)




輪郭が揺らぐ。


四本の剣が交差する。


だが、その場所に俺はいない。


一歩。


距離が消える。


踏み込んだ感覚すらない。


無影一刀流―― 第二式・無踏(むとう)


意識して“使う”類の技ではない。


基本中の基本として叩き込まれ、呼吸のように身体へ染みついた結果、気づけばそこにいる。


無踏とは、本来そういう歩法だった。


巨人の背後へ回り込んでもう一度腕を切り落とす。


瞬間、残りの三本の腕が振り向く。


二本が横薙ぎ。


一本が突き。


連撃。


だが俺は半歩だけ身体を滑らせる。


刃が髪先をかすめて通り過ぎる。


無影一刀流――




【第三式・朧返(おぼろがえ)し】




弾いた剣の力を利用する。


相手の力を、そのまま返す。


銀の軌跡。


巨人の腕が、もう一本斬り裂かれた。


黒霧が弾ける。


だが修復が始まる。


霧が肉を補う。


そして気づいた。


――明らかに、修復の速度が落ちている。


剣ごと修復された四本の腕がまた振り回される。


呼吸を整え、再び魔素を全身に巡らせた。


無影一刀流――




【第四式・間縫(まぬい)




四本の剣の間を縫う。


本来なら入れないはずの間合い。


だが俺の身体は、そこへ滑り込みながら。


――切る。


四本の腕が同時に切られる。


だが、修復する腕は痛みを感じないというように勢いは弱まらなかった。


ならば。


巨人の懐で全身に魔素を巡らせる。全身を道のりとする、力の循環。


無影一刀流――




【第五式・断影(だんえい)




剣は動かない。


振りかぶらない。


なのに、切る。


極限まで圧縮された動作の流れ。


それは認知できるものではなく。


ただ、結果だけが現実に残るだけ。


巨人の胴体に裂傷が走った。


一瞬遅れて黒霧が噴き出す。


あと少し――


無影一刀流――


【第六……】


「……くっ……?!」


一瞬呼吸が乱れる。型の連続使用、そして魔素による身体強化が負担となっている。


体はまだ動く。だが、万全とは言えなくなっている。


俺は歯を食いしばった。


疲れていたとしても、まだ動ける。


――だけど。


圧倒できていない。()()()()()()に少々優位くらいにとどまっている。


昔の俺なら――


千年前、勇者だった頃の俺なら。


とっくに終わっていたはずだ。


今更ながら、自分が弱くなったことを実感した。


――女神の加護。


その超常的な恩恵によって、勇者は魔族を打倒し、魔王にすら対敵出来た。


人の限界を越えた身体能力。


反射神経。


尽きないほど膨大な魔素。


その加護あったからこそ、人間は魔族と渡り合えた。


……だが、今の俺にはその加護がない。


残っているのは純粋な技量だけ。


だが、それすらも弱くなった。


肉体が幼くなった分、体力も、筋力も、明らかに落ちている。


鍛錬を疎かにしていたつもりはなかった。


だけど。


自分でも知らないうちに女神の恩恵に頼りすぎていたのかも知らない。


だが、それがどうした。


女神の加護が無いからという理由で剣を止める訳にはいかない。


ないものはない。


今の自分でやれることを全部やるしかない!


巨人が咆哮する。


四本の剣が嵐のように振るわれた。


斬撃。


斬撃。


斬撃。


四方向からの猛攻。


だが俺の身体は止まらない。


一歩。


半歩。


滑るように動く。


すべて紙一重で外す。


そして。


また距離が消える。


銀の軌跡。


巨人の肩口が斬り裂かれた。


――まだ終わらない。


四本の剣が再び振り上がる。


俺は構えを崩さない。


左目が、焼けるように痛む。


だが、もはやそんなものを気にする暇もなかった。


あと少し。


あと、少し――!




・ ・ ・




飢えていた。


渇いていた。


それを満たすことだけが、存在理由だった。


目の前の生き物を喰らう。


壊す。


取り込む。


それだけでよかった。


だが。


戦いが続くにつれて、内部で何かが変わり始めていた。


身体を満たしていた何かが、少しずつ抜け落ちていく。


それと同時に。


飢えと渇きが、さらに強くなる。


原因は――目の前の存在。


あれだ。


あれが、奪っている。


あれが、邪魔をしている。


理解ではない。


知識でもない。


ただの、本能。


敵意。


憎悪。


それだけが、確かにそこにあった。


身体が変わる。


本能が知っている。


どうすればいいか。


どうすれば、もっと効率よく動けるか。


どうすれば、もっと強くなれるか。


巨体を削る。


形を変える。


より効率的な形へ。


それは思考ではない。


ただ、生き残るための反応。


最初はそれで十分だった。


だが。


目の前の存在は違った。


これまで喰らってきたどの獲物とも違う。


斬る。


避ける。


踏み込む。


壊すはずの存在が、壊れない。


削っても。


潰しても。


まだ、立っている。


――足りない。


力が。


圧倒的に足りない。


身体をさらに削る。


無駄な部分を削ぎ落とす。


削れば削るほど、渇望は強くなる。


だが、それだけではない。


飢えよりも。


渇きよりも。


別の衝動が膨れ上がる。


目の前の存在を消す。


それだけが。


それだけが必要だ。


それでも。


まだ足りない。


もっと。


もっと強い力を。


目の前の存在を消し去る力を。


それが。


それこそが。


存在の根源。


奥底に刻まれた原理。


――ああ。


そうだ。



ワレハ




()()()()





――()()()






――()()()()()()()()




・ ・ ・




魔族紛いの巨人がの身体が、再び変形を始めた。


四本の腕を持つ身体が、大きく身を縮める。


グシャリ、と肉が軋む音。


その周囲を黒い霧が覆い始める。


霧が凝縮する。


巻き付く。


まるで殻を作るように。


いや。


違う。


――繭だ。


黒い霧が完全に包み込み、巨大な繭のような形になる。


内部から鼓動が響く。


ドクン。


ドクン。


ドクン。


……あれは、まずい。


本能が告げる。


形を変えるたびに、あの怪物は強くなっている。


これ以上変化させれば、何が出てくるか分からない。


これ以上、変化させるわけにはいかない。


終わらせる。


――今、ここで!


俺は深く息を吸った。


魔素を全身に巡らせる。


筋肉が軋む。


神経が焼けるように熱を持つ。


骨の奥まで力が満ちていく。


さらに。


刃へ。


刀身を覆うように魔素を纏わせる。


青白い光が刃の輪郭を震わせた。


洗練された技でもない。


ただ、全ての力を叩き込むための一撃。


踏み込む。


床が砕ける。


間合いが消える。


届く。


この一撃で――終わらせる!



――極閃一光――!



斬撃が繭へ届く。












――ように見えた、その瞬間。


繭の表面が内側から裂けた。


黒い腕が飛び出す。


それが。


俺の剣を――掴んだ。


「な――」


理解が追いつかない。


次の瞬間。


ミシッ。


嫌な音がした。


俺の剣が――折れた。


衝撃。


今、何で攻撃されたのか。


分からない。


気付いた時には、身体が宙を舞っていた。


壁が迫る。


激突。


「カハッ――!」


肺の空気が一瞬で吐き出された。


視界が白く弾ける。


意識が遠のく。


最後に見えたのは――


裂けた繭の奥。


そこから、何かが生まれようとしている光景だった。

面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。



4/26に第一部完予定しています。

よって、1部完結までは金・土・日で更新する予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ