表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第五章:歪みが零した異形
30/36

第五章:歪みが零した異形(9)

黒霧の魔獣が、後方へ向かって突進する。


巨大な質量が床を抉りながら迫ってくる。


アベルマスは即座に判断した。


後ろにはニナとアネタ。


戦えない二人がいる。


迷う時間はなかった。


「――ちょっと我慢してくれ」


アベルマスは一歩踏み込み、二人の身体をまとめて抱え上げる。


「きゃっ――」


ニナの小さな声。


その直後。


床を蹴った。


巨体とは思えない鋭さで横へ飛ぶ。


次の瞬間。


轟音。


黒霧の魔獣が突っ込んできた場所の床が砕け、石片が跳ね上がる。


わずか一歩分。


本当に紙一重だった。


アベルマスは二人を抱えたまま着地する。


そのまま数歩後退した。


だが。


黒霧の魔獣は追撃してこなかった。


代わりに――


その巨大な身体が、通路の入口へと滑り込む。


ずるり、と。


黒い霧に包まれた巨体が通路へ押し込まれ――そのまま道を塞いだ。


まるで巨大な壁のように。


「……通路を塞いだ?」


ニナが息を呑む。


『……最初からこれが狙いだったのか?』


アベルマスは二人を降ろし、再び剣を握り直した。


知能があるようには到底見えない。


だが――


通路を塞ぐ動作には、明らかな目的性が感じられた。


その瞬間だった。


黒霧の魔獣の身体が、大きく痙攣した。


のたうち回るように激しく揺れる。


「何が……」


起きている?


そう言葉にするより早く。


びくり、と動きが止まった。


そして次の瞬間。


ぐちゃり、と内部から何かが崩れるような音が響いた。


巨大な黒霧の塊が激しく脈動する。


身体全体が、あり得ないほど大きく波打つ。


そして。


――裂けた。


黒霧の巨体が、二つに分かれる。


一つは、そのまま通路を塞ぐ巨大な塊。


そしてもう一つ。


残った黒霧が床へと落ちる。


ドロリ、と。


黒い塊が蠢く。


先ほどまで不定形だったそれが、ゆっくりと形を作り始めた。


まるで骨格を組み上げていくかのように。


あまりにも異様な光景に、誰もが言葉を失い、ただ見つめることしかできない。


黒い霧が集まり、凝縮していく。


黒い身体が形を得る。


次第に霧の量が減っていく。


黒い肉体が露わになっていく。


先ほどまで全身を覆っていた黒霧は、半分ほどまで減少していた。


やがて――それは完全に形を取る。


先ほどほどではないにしても、六、七アルトほどの巨体。


四肢で床を踏みしめる、獣のような姿。


だが、その全身は完全な肉体ではない。


黒い霧が、身体の半分ほどを覆っている。


まるで鎧のように。


あるいは、腐敗した影のように。


「……形を、変えた?」


ソニアが思わず呟く。


「なんだ、あれ……」


ラミアールも思わず声を漏らした。


先ほどまでの不定形の塊とは、まるで別の存在だった。


背後。


尾の位置には、通常の尾は存在しない。


そこにあるのは――触手の塊。


数十。


いや。


数百。


いや、それ以上。


細い触手のようなものが幾重にも絡み合い、一つの巨大な尾を形作っている。


それらは常に蠢いていた。


まるでそれぞれが独立した生き物であるかのように。


「……なんだよ、あれ……」


イチが呆然と呟いた。


次の瞬間。


それらが一斉に動いた。


「――! みんな、避けて!」


ニナの叫び。


触手が雨のように降り注ぐ。


石床が次々に抉れる。


アベルマスはニナとアネタを庇いながら、降り注ぐ触手を次々と斬り落としていく。


その数。


十。


二十。


数えきれない。


まるで暴風のような攻撃だった。


アベルマスの近くにいる二人以外は、武器で弾くか、必死に避けている。


「くっ……!」


さらに触手が迫る。


その瞬間。


淡い光が広がった。


守りの盾よ(マナ・シルド)!」


ニナの支援魔法。


防御の光がイチとラミアール、そしてソニアを包み込む。


直後。


触手が叩きつけられる。


衝撃。


圧倒的な物量の前では、魔法の盾も長くは保たない。


だが、そのわずかな時間のおかげで三人は体勢を立て直し、攻撃をなんとかしのぎ切った。


攻撃が止んだ――そう思った次の瞬間。


戦況はさらに悪化する。


触手の攻撃が通じないと判断したのか。


黒霧の魔獣は、今度はその巨体からは想像できない速度で突進してきた。


最初の標的はイチ。


イチは大剣を振るって迎え撃とうとする。


だが、黒霧の魔獣は速い。


先ほどまでの巨大な塊とは、まるで別物だった。


低い姿勢。


床を滑るような動き。


そして。


突進。


「なっ――!」


黒い巨体が弾ける。


振り下ろした大剣ごと、イチの身体が吹き飛ばされた。


「ぐあっ!」


壁へ叩きつけられる。


大剣が石床を転がった。


致命傷ではない。


だが、すぐに立ち上がれる衝撃ではなかった。


ラミアールが魔法を展開する。


「イチ! 貴様ぁぁ!! ――雷槍よ(ライトニング・ランス)!」


雷槍が一直線に走る。


だが。


黒霧の魔獣は真正面からそれを突き抜けた。


霧と黒い肉体が雷を散らす。


それでも動きを止めるには不十分だった。


巨体の前脚が振るわれる。


衝撃。


「っ……!」


ラミアールの身体が宙へ浮いた。


そのまま数アルト先へ叩きつけられる。


ラミアールもまた、すぐには起き上がれない。


残る前衛は一人。


ソニアだった。


肩で息をしている。


先ほどの攻撃を避け続けたことで、かなり消耗していた。


明らかに疲労が溜まっている。


それでも彼女は、闘志の宿った瞳で剣を構えた。


「まだ……やれる……!」


黒霧の獣がその姿を捉える。


そして。


地面を抉るように踏み込み――突進。


圧倒的な速度。


ソニアが剣を振るう。


だが。


その刹那。


銀の閃光が割り込んだ。


「――下がれ、ソニア」


アベルマスだった。


黒霧の獣の牙と、アベルマスの剣が激突する。


衝撃が空気を震わせた。


「あんた! 余計なこと……!」


「いいから、下がってくれ」


ソニアは一瞬、意地を張るような表情を浮かべた。


だがアベルマスの静かな圧力に、悔しそうに後ろへ下がる。


それを見届けると、アベルマスは衝撃を受け流し、黒霧の魔獣の顔を斬りつけた。


そして、先ほどと同じ。


黒い霧が集まり、傷を修復していく。


アベルマスは静かに構えを整える。


「――来い」


再び、両者が激突した。




・ ・ ・




――場面は少し離れた場所。


アネタは壁に背を預けたまま、ただ呆然とその光景を見つめていた。


視界の先では、黒霧の魔獣と一人の少年が激しく衝突している。


だがアネタの胸を締めつけていたのは、巨大な魔獣への恐怖だけではなかった。


むしろ――


目の前で戦っているあの少年の方が、恐ろしい存在のように感じられた。


六アルトを超える魔獣と真正面から渡り合いながら、一歩も退かない。


その動きはあまりにも静かで、あまりにも迷いがない。


まるで最初から勝敗など決まっているかのように。


それが、人間の戦い方には見えなかった。


視界の先では、黒霧の魔獣と一人の少年が激しく衝突している。


自分より一つ年下の後輩。


それなのに。


その少年――アベルマスは、巨大な魔獣と正面から対峙していた。


六アルトを超える巨体。


それだけでも圧倒的なのに、相手はその巨体では想像もできない速度で動き回る。


普通なら、近づくことさえ恐ろしい存在。


だが。


アベルマスは違った。


黒霧の獣の前脚が振り下ろされる。


次の瞬間。


――キィン。


甲高い金属音が響いた。


アベルマスの剣が、正面からそれを受け止めている。


巨大な爪。


人間の身体など簡単に引き裂けそうな一撃。


それを。


たった一本の剣で受け流している。


それだけではない。


次の瞬間。


アベルマスの身体が、わずかに沈んだ。


そして。


――閃。


何かが走った。


そうとしか見えない。


黒霧の獣の身体から、黒い霧が弾け飛んだ。


「……え?」


アネタは思わず声を漏らした。


今、何が起きたのか。


理解できない。


剣を振ったようには見えなかった。


それなのに。


魔獣の身体が確かに斬られている。


黒霧の獣が怒り狂ったように唸る。


尾の触手が一斉に蠢いた。


次の瞬間。


数えきれないほどの触手が、アベルマスへ向かって襲い掛かる。


だが。


アベルマスの姿が――消えた。


いや。


消えたように見えただけだった。


空間に、細い線が走る。


一瞬。


遅れて。


触手が、同時に切断された。


数十。


いや。


それ以上。


黒い触手が、まとめて宙へ舞い上がる。


「……なに、今の……」


アネタの声は震えていた。


人間の動きには見えない。


剣が振られた瞬間を、目が追えない。


ただ。


結果だけが残る。


まるで。


見えない刃が空間を走ったかのように。


黒霧の獣が再び前脚を振るう。


アベルマスはそれを紙一重で受け流し、身体を滑らせるように踏み込んだ。


そして。


また一閃。


魔獣の首元から、黒い霧が弾け飛ぶ。


「……あいつ、本当に人間かよ」


隣から声がした。


振り向くと。


イチが、ソニアに肩を貸されながらこちらへ歩いてきていた。


身体のあちこちが傷だらけだが、表情はどこか余裕がある。


アネタは、まだ力の戻らない身体をなんとか動かし、ソニアの代わりにイチを支えた。


そして壁へ座らせる。


ソニアはそれを最後まで確認もせずに、ラミアールの方へ向かった。


ニナはすぐに駆け寄り、治癒魔法の準備を始めた。


「ちょ、ちょっと待って! 今すぐ治すから!」


「おーおー、優しく頼むぞニナ。さすがに今のは骨にきたぜ」


「もう……でも、そんな軽口たたけるくらいは大丈夫そうだし、遠慮はいらないよね?」


「いやいや、そんなことは……いててて!! ちょ、ニナ! 悪かった! 謝るからもうちょい優しく!!」


冗談めかして言うイチにニナが安心したように表情を柔くして、それに反して手当てはきつめになる。


そんな二人のやり取りを見ていると、アネタはなぜか胸の辺りがじんわりと、少し重くなったことを感じた。


『なんだろ、これ……』


自分でもよくわからない感覚に戸惑っていると、イチがアネタの方を向いた。


確認するようにアネタを見て、無事を確認するように目を細めた。


「お、先輩。無事そうですね」


そう言って。


にやりと笑う。


それから、戦場の方へ視線を戻した。


「すげぇっすよね?」


自慢するような声だった。


「俺の親友なんですよ、あいつ」


誇らしげで。


どこか憧れるような眼差しで。


イチは戦っている少年を見つめている。


その横顔は、不思議なほど穏やかだった。


彼の顔を見たアネタは、今度は胸の奥で、心臓が強く跳ねた。


今のも、理由は分からない。


ただ。


胸の奥が、妙に熱い。


――その感情の名前を、彼女はまだ知らない。


アネタは慌てて視線を戦場へ戻した。


ちょうどその瞬間だった。


アベルマスの剣が、大きく振り抜かれる。


黒霧の魔獣の首が――斬り落とされた。


巨大な身体がぐらりと揺れる。


「……すごい……」


思わず声が漏れた。


さっきまでは、ただ恐ろしいだけだった少年。


だが今は違う。


純粋に、凄いと感じていた。


もしかしたら。


隣にいるイチの存在が、そう思わせているのかもしれない。


首が切れた黒霧の魔獣が大きく後方へ跳んだ。


距離を取るように。


そして。


再び、その身体が大きく脈動し始めた。


グチャリ、と。


嫌な音が響く。


四足の巨体が、内側へ沈み込んでいく。


まるで自分自身を吸い込むかのように。


肉と霧が、内側へ圧縮されていく。


巨大な身体が、急速に小さくなっていく。


無理矢理圧縮したような、歪んだ形。


次の瞬間、それは弾けるように変形する。


現れたのは――


四本の腕を持つ、巨人の姿だった。


身長はおよそ四アルトほど。


全身は、まるで光を吸い込むかのような漆黒の肌。


鎧ではない。


肉体そのものが闇のように黒い。


人形。


だが――それは、どこか歪んでいた。


額の両側から伸びる角。


しかし形は揃っていない。


片方は獣のように曲がり、もう片方は刃のように鋭い。


背中の下部からは尾のようなものが揺れている。


だがその尾も、どこか途中で形が変わっているように見える。


耳もまた、人のものではない。


片方は獣の耳のように尖り、もう片方は鱗のような質感を帯びていた。


そして、その両目。


血のように赤い光が暗い胴体の中で、不気味に光っていた。


上半身には四本の腕。


そのそれぞれに、黒いからだと同じ色の剣が握られていた。


だが、それもまた異様だった。


一本は長く細い直剣。


一本は刃が大きく湾曲した鉤爪のような剣。


一本は刃の途中が砕けたように欠けた大剣。


そして最後の一本は、刃そのものが歪に波打つ奇妙な剣。


どれも形が揃っていない。


その身体も、持っている武器も。


まるで、複数の獣や亜人種の特徴を無理やり混ぜ合わせたかのような歪な姿。


統一感がない。


それでもなお、人型の輪郭だけが無理やり保たれている。


その存在は、ゆっくりと四本の腕を動かしながらアベルマスを見下ろす。


だがそこに知性など欠片も感じられない。


ただ空虚。


その姿に、その無理矢理混ぜ込んだような異形に。


アベルマスの表情が次第に強張る。


まるで、信じがたい光景を目の辺りにしているように目を見開く。


その口から零れた、震えるような呟きは――


誰の耳にも届かなかった。




「……魔族……?」

面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。



4/26に第一部完予定しています。

よって、1部完結までは金・土・日で更新する予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ