表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第五章:歪みが零した異形
28/36

第五章:歪みが零した異形(7)

巨大なそれが、ゆっくりと蠢いた。


黒い。


霧のような。


煙のような。


しかし確かに“質量”を持っている何か。


部屋の奥で、巨大な影が揺れている。


雑に見積もっても十アルトはあるだろう。


それは迷宮の魔獣とは明らかに違っていた。


魔獣特有の輪郭がない。


獣の形でもなければ、昆虫のような外骨格もない。


ただ黒い霧が、巨大な塊としてそこに存在していた。


「……なんだよ、あれ」


剣士の少年が低く呟く。


「魔獣……なのか?」


槍を構えた少年が言う。


答えはない。


だが。


次の瞬間。


黒霧の魔獣が蠢いた。


それと同時にアネタも動いた。


他の三人が状況を理解できず立ち尽くしている間に、彼女の体内で魔素が一気に巡った。


祖父から叩き込まれた習慣。


迷宮では常に魔素を巡らせておくこと。


魔法発動の準備を、常に整えておくこと。


だからこそ――反応は誰よりも早かった。


炎よ貫け(フレイム・ランス)!」


詠唱と同時に、炎の槍が空気を裂いた。


轟炎が黒霧へ突き刺さる。


爆発。


熱風が部屋を揺らした。


その爆炎を見て、ようやく前衛の二人が我に返る。


「っ、構えろ!」


剣士が踏み込み、刃を振るう。


槍使いもすぐに続いた。


鋭い連携。


二人の攻撃が黒霧の魔獣を切り裂く。


手応えは、確かにあった。


刃が切り裂き、槍が貫いた。


だが。


「……は?」


切り裂いたはずの黒霧の魔獣が、何事もなかったかのように再生していく。


後衛の弓使いも慌てて矢を番える。弓矢に魔素を込めて、威力を増幅させる。


弓弦が鳴り、矢が放たれた。


矢は黒霧の魔獣の中心を貫く。


しかし。


「何なのよ!こいつ!」


さっきと同じく、すぐに元通りになった。


アネタの魔法も効いていない。


火、雷、氷、土。


アネタが扱える威力の高い魔法が次々と放たれた。


それでも、効いていない。


みんなの顔が青く染まった。


こんなもの、どうやったら倒せるのか?


その時、黒霧が、ぬるりと動いた。


霧の一部が地面を這うように広がる。


まるで生き物の触手のようだった。


それは槍のごとく、弓使いの少女に向かった。


「アンナ!避けろ!」


「……え?きゃっ!」


彼女はそれを辛うじてよけたけど、完全にはよけず、右腕を擦れた。


「痛っ!」


血が滲む右腕を抑えて、アンナと呼ばれた少女の顔が恐怖に染まる。


このパーティに回復役はいない。


剣士、槍使い、弓使いの三人パーティ。


元々はそれだけでもよかった。


この白の地下聖堂(ホワイト・カテドラル)での経験も十分に積めた。実力に自信もあった。


これまでそれで十分戦えていた。


だが、自分たちの攻撃が全く通じない敵なんて初めて。


それに比べて、こっちは怪我を負っても治せない。致命傷でも負ったら治せない以上、それはそのまま死に直結する。


そうでなくても、傷を治せない以上出血も早く止められない。


それは、彼らが初めて味わう――死への恐怖。


「い、いやぁぁぁぁ!!!」


それを理解した瞬間、アンナはすぐさま逃げ出した。


「お、おい!クッソ!俺らも逃げるぞ!先生達を呼んできた方がいい!」


剣士の少年が叫びながら通路に飛び込んだ。その後ろを槍使いの少年とアネタも慌てて後を追う。


通路はそれほど長くない。


その先にはもう一つ部屋があった。


そこを抜ければさらに奥の通路へ出られる。


あの巨体では、流石にここまでは追ってこれないはず。


逃げ切れる!


――そう思った。


だが。


「くそっ……追いかけて来やがった! 何なんだよ! あれは!」


後ろを振り向いた槍使いが叫ぶ。


黒霧の魔獣は巨体のまま追ってくるのではなかった。


体の一部が流れ出し、通路へと広がってくる。


巨体の大半は部屋に残っているのに。


それでもこちらへと迫ってくる。


いや、見た目どおり、霧のように巨体ごと通路を通ろうとしていた。


しかも、早い。


「このままじゃ追いつかれる!」


通路を抜け広い空間に出たけど、黒霧の魔獣はまだ追いかけていた。


この速度なら次の通路を抜ける前に追いつかれるはずだ。


その瞬間。


アネタは足を止めていた。


「……私が」


自分でも驚くほど静かな声だった。


「足止めをする」


三人が振り向く。


アネタは通路の入口で杖を構えた。


「ここを、塞ぐ」


魔素を強引に引き出す。


既に威力の強い魔法を幾度も使っている。体内の魔素も限界が近い。


けど、どうせこのままならやられるだけ!


アネタは更に魔素を絞り出した。限界は、とっくに超えている。


一瞬、凄まじいめまいが襲ってきたけど、それでも魔法のイメージを固く保つ。


魔法とはイメージの具現化。


『私の、唯一な長所。だから……失敗しない!』


体内の魔素が一気に流れ出す。


氷壁よ守れ(フロスト・ウォール)!」


轟音が通路を震わせた。


巨大な氷壁が通路を完全に塞ぐ。


分厚い氷の壁。


人の背丈をはるかに超える氷塊。


「こ、これなら……」


三人の表情に希望の光が差し込んだ。


「はあ……はあ……」


魔素を限界以上に使った代償だろう。


アネタはもう立っていることもできず、その場に崩れ落ちた。


でも、これで……


魔素を使い切った反動で、全身がひどく消耗していた。今でも息をすることも大変なくらい消耗は激しい。


それでもやり遂げた、という満足感があった。


「お、おい!アネタ!」


剣士の少年が慌ててアネタのところに向かおうとした、その瞬間。


じわり、と。


氷の壁から黒い霧が滲み出る。


氷壁は崩れていない。


だが。


その隙間とも言えないほどの細い亀裂から。


黒い霧が――滲み出していた。


「……嘘、だろ……」


霧が集まるごとにどんどん大きくなり始める。


その姿に、三人の表情が更なる絶望に染まった。


「もういや!!!!」


「う、うわあぁぁぁ!!」


アンナが先に逃げ出し、残りの二人も悲鳴を上げて逃げ出す。


――その場に、魔素が枯渇したアネタだけを残して。


「ま、待って……! お願い! 待って!」


必死に叫ぶアネタの姿を、一瞬振り返った。


だけど、それだけ。


三人は通路を走っていた。


――足音が遠ざかる。


アネタの後ろには氷の壁に黒い染みが広がり始める。


『に、逃げなきゃ……』


そう思っても、既に魔素が切れた体はいうことを聞かなかった。


それでも、地を這って少しでも遠くに行こうとした。


やがて、氷の壁を完全に抜けた黒い霧はまた巨体の姿をとる。


「あ、ああ……」


もはや、アネタは恐怖に身を震わすこと以外、何もできなかった。


黒霧の魔獣が、ゆっくりと広がった。


触手のように伸びる霧が、アネタの身体に絡みつく。


「きゃ……!」


ズルズルと、引き寄せられる。


黒霧が全身を這い、包み込もうとする。


足。


腕。


肩。


ゆっくりと飲み込まれていく。


冷たい。


重い。


まるで深い泥に沈んでいくようだった。


『……ああ』


理解した。


私は、ここで死ぬんだ。


涙が零れる。


学院に入ってから。


ずっと一人だった。


友達もいない。


パーティでも浮いている。


そして。


――最後は、置いていかれた。


『やっぱり……私なんて……』


ずっと我慢していた、涙。


辛くても、泣くことだけは我慢してきた。


でも、それも何の意味もなかった。


アネタ・マガリスという少女の人生は、ここで終わる。


何も成さずに。


誰からも必要とされずに。


誰にも、見届けてもらえずに。


ただ、一人で。


胸の奥から声が出た。


『……こんなのあんまりだよ……』


まだ。


まだ。


死にたくない。


友達も作ってみたかった。


もっと、みんなと仲良くなれたかった。


――そして、恋もしてみたかった。


黒霧が顔のすぐそばまで迫ってきた。


視界が黒く染まる。


「死にたく……ないよ……」


ああ、女神様。


根暗で、バカで、いいところなんて何一つない私ですけど。


図々しくてもいい。


それでも――お願いします。


まだ……生きたい。


黒霧が、アネタの顔のすぐ目の前まで迫る。


――その瞬間だった。


「――その子を放せぇぇぇぇぇぇ!!!」


誰かの声が、確かに聞こえた。




・ ・ ・




「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!」


悲鳴が迷宮に響いた。


「……!」


俺たちは一斉に通路を見た。


次の瞬間。


奥の通路から、三人の生徒が飛び出してきた。


見覚えのある上級生のパーティだった。


それにしても、かなり様子がおかしい。


顔は真っ青。


息は荒い。


明らかに、普通ではなかった。


「た、助けてくれ!」


「な、なんなんだよあれ!!」


「攻撃が効かない!!」


口々に叫ぶ。


「お、落ち着いてください!あ、怪我してる!ちょっと待ってください!」


ニナが慌てて右腕を怪我している女子生徒を手当てし始めた。


「魔獣だ……!」


「変なんだ……!」


「黒い霧みたいな……!」


言葉が支離滅裂だった。


その間でも、先輩の三人は何かを叫んでいる。


こういう状態の人間は幾度も見てきた。


――恐怖による、パニック状態。


「ちょっと、落ち着いてください!」


ソニアがなだめようとするが、全然聞かない。


彼らはまともに答えられる状態ではなかった。


困っていると、同じく困惑の顔をしていたイチが周囲を見渡す。


そして、みるみるうちに顔がこわばっていく。


「……おい、ちょっと待て」


普段の明るい彼のものだとは思えないくらい低く、冷たい声。


彼は三人の顔を順に見たあと、眉をひそめる。


「あんたら……たしか四人パーティだったよな」


その言葉に、狂乱していた三人の動きが止まった。


沈黙。


心の中に、重い石が置かれたような嫌な感覚になった。


彼らは見覚えがある。


今日、迷宮の入口で顔を合わせた。


複数のパーティが同時に迷宮へ入る場合、基本的には上級生のパーティから先に入るのが通例だ。


あの時も、三年生のパーティが先に入り、そのあとに二年生の彼らが続いたはずだ。


その時、確かに――四人いたはずだ。


今ここにいるのは、三人だけだ。


――一人は、どこに行った?


三人の視線が揺れる。


「あ、その……」


一人が口を開きかける。


だが言葉は続かない。


「おい」


イチの声がさらに低くなった。


「まさか……」


三人は互いに顔を見合わせ、そして視線を逸らした。


結局、誰も何も言わない。


だけど、それだけでも十分だった。


「――あんたら」


イチの顔が怒りに歪む。


「仲間を見捨てたのか」


三人は何も言えない。


ただ口を開きかけては閉じるだけだった。


「あ……いや……」


だが結局、弁明の言葉は出てこない。


再び沈黙。


それを見た瞬間。


「……そうか」


イチの怒りが爆発した。


「――ふざけんな!!!」


怒声が迷宮に響く。


次の瞬間。


イチは迷いなく走り出していた。


三人が逃げてきた通路へ。


「イチ!」


俺たちも慌ててその後を追った。


去り際に一瞬後ろを振り向く。


彼らは恐怖と罪悪感が入り混じった、今にも泣き出しそうな顔をしていた。



面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。



4/26に第一部完予定しています。

よって、1部完結までは金・土・日で更新する予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ