第五章:歪みが零した異形(6)
蒼月第五巡、一日の土曜日。
迷宮第六層。
石造りの通路を、四人の学生パーティが進んでいた。
先頭を歩く剣士の少年が、肩を軽く回しながら言う。
「今日は妙に楽だな」
「だな。 ここ最近じゃ一番静かじゃないか?」
後ろから槍を担いだ仲間が笑いながら答えた。
「魔獣も全然出てこないしな」
「これなら予定より早く戻れるかも」
軽い雑談。
笑い声。
緊張感はほとんどない。
順調な探索だった。
このパーティは学院二年生の探索組の一つだ。
ここ、白の地下聖堂の探索にも慣れ、第六層にも何度か足を運んでいる。
彼らにとって危険と呼べるものは、この迷宮にはほとんど存在しない。 そう言い切れるだけの経験も、実力もあった。
迷宮の主やレア種といった例外を除けば、苦戦することなどまずない。
それに今日は、いつもの三人に加えて、もう一人の助っ人がいた。
パーティの少し後ろ。
一人の少女が、静かに歩いていた。
アネタ・マガリス。
同じ二年生の魔法使いの少女。
長い髪はブラウンゴールド。
それを三つ編みにして腰のあたりまで伸ばしている。
だが、その顔はよく見えない。
長い前髪が目元を覆い隠しているからだ。
そのせいで、どこか陰気な印象を与える。
実際、彼女は目立つ存在ではなかった。
むしろ逆だ。
できるだけ目立たないように生きてきた少女だった。
杖を両手で抱えるように持ち、体を少し丸めるような姿勢で歩いている。
ただでさえ暗い印象を、さらに強めるような佇まいだった。
彼女は魔法使いだ。
それも、かなり優秀な部類に入る。
探索者として才能があると称される者たちが集まるこのグロリス学園においても、彼女の魔法の実力は群を抜いていたと言っても過言ではない。
その実力だけなら、すでに高等部にも届くであろうと教師からの評価も高い。
だが、それはあくまで魔法使いとしての才覚に限っての話。
彼女には致命的な欠点があった。
それは――彼女の後ろ向きな性格だ。
入学して早二年。
その間に、彼女に友達と呼べる存在はいなかった。
人見知りで、後ろ向きで、気が弱い。
彼女は子供の頃から他人の顔色をうかがう癖がある。
誰かと話すときも、いつもどこか遠慮がちになる。
その癖は子供の頃から身についていた。
アネタは祖父から魔法を学んで育った。
厳格な魔法研究者だった祖父のもとで、彼女が接していたのはほとんど大人ばかりだった。
同年代の子供たちと遊ぶ機会は、ほとんどなかった。
そのためだろう。
大人たちを相手にしているうちに、自然と顔色をうかがって行動するようになった。
気づけばそれは大人だけでなく、誰に対しても相手の顔色ばかりを見てしまう癖になっていた。
結果として、同年代の相手との距離の取り方が分からない。
相手の顔色ばかり気にするから、一緒にいてもどこかぎこちない。
自然と人との距離ができてしまった。
今もまさにそうだった。
前を歩くパーティのメンバーたちは楽しそうに話している。
「この前の講義の課題、やった?」
「いや、まだ」
「マジかよ。俺もだけど」
「あんたたち、この前みたいに見せてくださいって頼んでも見せてあげないわよ」
「ええ? いや、それはないだろ! お前だけが頼りだったんだから!」
「じゃあ何か奢ってくれたら見せてもいいよ」
「お? 言ったな? よし! お前、奢ってやれよ!」
「いや、なんで俺に振るんだよ」
笑い声が上がる。
アネタは、ただその会話を聞きながら歩いていた。
会話に加わることはない。
少し距離を取ったまま、ただ後ろからついていくだけ。
パーティの一員ではある。
だが、輪の中には入れていない。
そんな立ち位置だった。
『……私は、また……』
心の中で、小さく呟く。
『どうして、私は……』
どうして、うまく話せないのだろう。
どうして、私はこんななんだろう。
自分自身のことが、とても嫌になる。
そんなことを考えていると。
前を歩く仲間の一人が振り向いた。
「おい、アネタ」
「ひゃ、ひゃい!」
声を掛けられるとは思っていなかったため、思わず変な声が出る。
仲間が苦笑する。
「いや、なんか俺が悪いみたいになるから、そんなビビんなよ」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝るほどでもないけどさ」
彼は困ったように肩をすくめた。
「魔獣出たら頼むぞ。お前の魔法、頼りにしているからよ」
「あ……う、うん」
小さく頷く。
彼はそれだけ言い残して、また友達の輪へ戻っていった。
アネタは杖を握っている手に、わずかに力を込めた。
魔法だけは得意だった。
だからこそ、こうして探索パーティにも誘われる。
でもそれは、アネタの魔法に期待されているだけ。
アネタ自身に興味を持つ者は、誰もいない。
こうして同じパーティにいても、決して仲間とは呼べない距離がそこにはあった。
「はあ……」
小さくため息をつく。
だが、気分が晴れることはない。
その時だった。
「……ん?」
広い空間に出た瞬間、先頭を歩いていた少年が足を止めた。
つられてパーティの全員がその場で立ち止まる。
部屋の片隅。
次の通路と繋がっているはずの空間。
そこに、何かがいた。
「おい、あれ……」
誰かが言った。
アネタも、仲間の肩越しに視線を向ける。
次の瞬間。
――ゾクリ。
背筋に冷たいものが走った。
――何、あれ?
それは、今まで迷宮で見てきたどんな魔獣とも違っていた。
……魔獣?
いや、違う。
あんなものは、魔獣とは呼べない。
巨大な影。
雑に見積もっても、十アルトはある。
それに、形が分からない。
黒い。
黒い霧のような。
煙のような。
巨大な何か。
それは部屋に入ってきたパーティを認識したように、ゆっくりと蠢いていた。
未だ状況を吞み込んでいないパーティメンバーたちの中で、アネタだけが反応した。
あれが何なのか、よくわからない。それでもアネタは杖を握り締め、体内の魔素を巡らせる。
一つだけ確かなのは。
――あれは、危険だと。
本能がそう告げていた。
・ ・ ・
「……妙だな」
俺はそう呟いた。
「え?」
隣を歩いていたニナが首を傾げる。
俺たちは今、白の地下聖堂の第六層を進んでいた。
ヴィクターラス・エルド・ヴァイスマン博士の依頼――観測装置の回収のために。
すでに第五層までの装置は問題なく回収している。
探索自体は順調だった。
いや、――順調すぎた。
「アベルくん、どうしたの?」
ニナが聞く。
「いや……」
俺は少し考えてから答えた。
「まだ三回目だから、気のせいかもしれないが……静かすぎる」
頭の後ろで手を組みながら、退屈そうに歩いていたイチが振り向く。
「やっぱアベルもそう思うか? 今日はなんーか静かだよな。 あまり魔獣とも鉢合わせしてないし、なんかつまらないなーと思ってたぜ」
イチはそう言いながら周囲を見回す。
普段なら――と言えるほど迷宮を探索しているわけではない。
それでも、最初の探索、そして前回と比べても明らかに魔獣との遭遇が少ない。
ここまで来るのに、戦闘はせいぜい四回。
しかもそのほとんどが第三層までだった。
第四層から第六層にかけては、一度も戦闘がなかった。
「……言われてみれば」
ソニアが腕を組む。
「確かに少ないわね」
「うむ」
ラミアールも頷いた。
「妙とは思っていたが、やはりそうか」
「そうかな? でもその分、今日は早く帰れるから私は嬉しいけど」
ニナがにっこり笑う。
そんなニナに、イチは露骨に不満そうな顔をした。
「いやいや! それじゃつまんねーんだよ!」
「はあ……」
ソニアが呆れたようにため息をつく。
「とりあえず、あのバカは置いておいて」
イチを無視して、ソニアは少し考えるように黙り込んだ。
「とりあえず依頼を終わらせるのが先だ」
考えても答えは出ない。
少なくとも、俺たちはこの状況の理由を説明できるほど迷宮に詳しいわけじゃない。
――気になる、と言ったらもう一つ気になるものがあった。
それは――
「あったぜ、最後の観測装置」
イチが言った。
「はあ……結局魔獣はいなかったな。つまんねな……」
ぶつぶつ言いながら、装置の方へ歩いていく。
最後の観測装置も、これまでと同じだった。
以前はあったものが、消えている。
観測装置の周囲を漂い、装置へと吸い込まれるように流れていた――糸のような何か。
それが今は、跡形もなく消えていた。
依頼書に書いていた“魔素の異常”。
それと関係があるのだろうか。
魔素機械の仕組みは詳しくない。
だが、何かがおかしいという感覚だけは強く残る。
「これで終わりっと。 おーい、アベル。 回収終わったぜ」
「お疲れ。 それじゃ今日は少し早いけど帰る――ん?」
その時だった。
遠く。
俺たちのいる部屋と繋がる通路の奥から。
――かすかな音が聞こえた。
やがてそれは次第に大きくなってくる。
こちらに、近づいているみたいだ。
鮮明に聞こえてくる音。
慌ただしい足音。
そして。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
――悲鳴。
面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。
4/26に第一部完予定しています。
よって、1部完結までは金・土・日で更新する予定です。




