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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第五章:歪みが零した異形
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第五章:歪みが零した異形(5)

迷宮の奥。


そこには、形を持たない“何か”が存在していた。


黒い霧のような、あるいは煙のような塊。


輪郭は曖昧で、一定の形を保つことすらない。


それは考えることができない。


意志も、理性もない。


ただ、本能のような衝動だけが存在していた。


だが、その存在にも確かなものが一つだけあった。


――足りない、という飢えと渇き。


足りない。


満たされない。


その飢えと渇きを埋めるものを、ただ求め続けている。


黒い霧は迷宮の通路を漂うように進み、やがて魔獣の群れに遭遇した。


魔獣が振り向く。


しかし次の瞬間。


黒い霧は、その身体を覆い尽くしていた。


音もなく。抵抗する間もなく。


魔獣の身体が次々と霧の中へ沈んでいく。


魔素で構成された肉体が崩れ、分解され、霧の内部へと吸い込まれていく。


やがて最後に残るものがある。


魔素核。


それだけが、黒い霧の内部へ取り込まれた。


その瞬間、それは確かに感じていた。


――満ちる。


ほんの一瞬だけ。


わずかな静寂が訪れる。


だが。


次の瞬間。


――まだ足りない。


再び、飢えと渇きが蘇る。


それは満たされない。


魔素核を一つ取り込んでも、二つ取り込んでも。


満たされることはない。


黒い霧はさらに膨れ上がっていた。


吸収した魔素の量に応じて、存在そのものがわずかに大きくなっていく。


だが外見は変わらない。


ただの黒い霧。


内部にいくつ魔素核を抱えているのか、外からはまったく分からない。


確かなのは、いくら魔素核を取り込んでも足りないという事実だけだった。


魔獣だけではない。


鉱石、薬草、その他魔素を持つものであれば、そのすべてを取り込む。


だが、そんな微量の魔素では満たされない。


再び魔獣の群れを見つけた。


魔獣を覆う。


吸収する。


分解する。


魔素へと崩し、最後に魔素核だけを取り込む。


その繰り返し。


吸収する。


満たされる。


だが、すぐに再び空虚が生まれる。


そして。


その空虚は、前よりも大きくなっていた。


満たされれば満たされるほど。


飢えは、渇きは強くなる。


――足りない。まだ足りない。


足りない。


足りない足りない。


足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない――


黒い霧は、迷宮を彷徨い続けた。


決して満たされない飢えと渇きを満たす。


ただそれだけのために。




・ ・ ・




水曜日の放課後。


俺たちは探究館を訪れていた。


本来なら、今週末も先週と同じく迷宮探索は一旦休み、期末試験の勉強会を開く予定だった。


ラウンジで教本と格闘しながら過ごす、そんな穏やかな週末になるはずだったのだが――


「またしても指定依頼か」


ラミアールが、探究館の受付の女性から受け取った依頼書を見ながら呟く。


今朝方、前回と同じくレイラ先生から俺たち五人に指定依頼が来ていると連絡を受けた。


その知らせを聞いた俺たちは、放課後すぐに探究館へと足を運んでいた。


「よっしゃー! 週末は迷宮だな!」


イチが嬉しそうに声を上げる。 指定依頼云々よりも、迷宮探索ができる――面倒な勉強をしなくて済む、という点で喜んでいるようにしか見えないが。


「……あんた、本当に単純ね」


ソニアが呆れたようにため息をつく。


「またしても同じ人からだと聞いたけど……これはさすがに腑に落ちないわね」


ソニアは腕を組みながら言った。


「うん? ソニアちゃん、何が?」


ニナの質問に、ソニアは答える代わりに依頼書を指さした。


渡された依頼書を、ラミアールが読み上げる。




――――――――――

【依頼】


場所:白の地下聖堂(ホワイト・カテドラル)


内容:第二層・第三層・第四層・第五層・第六層にて設置した魔素観測装置および補助装置の回収。

※観測装置内部の魔素に異常が発生しているため、至急調査したい。


期間:なるべく早めに


報酬:十万 聖貨

――――――――――




「迷宮内に設置した観測装置の回収、か」


俺たちが二度の探索で設置した観測装置。


それを回収してほしいという依頼だ。内容としてはそれほど難しいものではない。


だが。


俺たちは依頼書の下のほうに視線を落とした。


「報酬……十万聖貨?」


思わず声に出してしまった。


「ふむ。 確かに、これはあまりにも破格な依頼に思えるな。 観測装置の回収だけでこの金額とは……」


ラミアールが顎に手を当て、怪しいものを見るような目で依頼書を見つめる。


「どう考えても、この報酬はおかしいわ。 先週の依頼も結構な額だったけど、これはその倍以上よ」


ソニアが眉をひそめた。


そこで受付の女性が、少し困ったように笑った。


「実はその依頼なんですけど……依頼主の方が、少し特殊な方なんです」


「特殊とは?」


俺が聞き返すと、彼女は言った。


「ヴィクターラス・エルド・ヴァイスマン博士です」


その名前を聞いた瞬間。


「なに!?」


ラミアールの声が裏返った。


「今、ヴァイスマン博士と申しましたか!?」


受付嬢が頷く。


「ええ。 博士は財産などにはあまり興味がなくて……研究のためなら資金は惜しまない方として有名なんです。 今回の件も、依頼さえ果たしてもらえるならこれくらいは出す、ということらしくて」


……なるほど。


未だによく分からない部分もあるが、その博士という人物にとっては、それほどまでに装置を回収する価値があるということなのだろう。


「ヴァイスマン博士……ね。 そういう事情なら納得だわ」


訝しげだったソニアも納得したように頷いた。


報酬については、それで皆が納得した――ように見えたが。


隣でラミアールが啞然とした表情をしていた。


「まさか……かのヴァイスマン博士直々の依頼だったとは……」


「そんなにすごい人なのか?」


普段あまり見ない反応をするラミアールに、つい疑問を投げてみた。


するとラミアールは、信じられないという顔でゆっくりとこちらを振り向く。


「まさかとは思うが……」


その声は、わずかに震えていた。


「ヴァイスマン博士を知らない、などとぬかすつもりではあるまいな?」


「……いや、つもりも何も……知らないけど」


正直に答えた。


ラミアールの目が見開かれる。


「貴様ッ!! それでも文明人か!! ヴィクターラス・エルド・ヴァイスマン博士を知らないということはラトゥマン猿と同じと罵られても文句は言えないぞ!」


……そこまでなのか。


ラミアールはそのまま勢いよく語り始めた。


「魔素革命の父である、かのアインベルク・ローウェン博士と並び称される天才! 現代において魔素工学の発展を決定づけたのは間違いなくヴァイスマン博士だ! 彼の研究によって人類の技術は数百年進んだとさえ言われている。 その功績によって研究者でありながら王国より貴族位を授与された、史上唯一の人物! 確か最近は迷宮の研究に尽力して――」


そこまで語っていたラミアールは、ふと我に返ったように周囲を見渡す。


探究館にいた人々の視線が一斉にラミアールへ向けられていた。


受付の女性は「ここで騒ぎを起こさないでください」と言いたげな困った表情。


他の依頼人や先輩たちは、面白いものでも見つけたかのような好奇の目。


そして。


ラミアールを除いた俺たち四人は――完全に引いていた。


「……こほん」


ラミアールは顔を真っ赤に染めながら咳払いをした。


羞恥を感じながらも平静を装うあたりは、さすがと言うべきか。


もっとも、時すでに遅しだが。


「……ともかくだ。 そのような偉大な人物からの依頼だ。 断る理由などあるまい」


「……そうだな」


ラミアールの熱い主張がなかったとしても、断る理由は特にない。


それに、あの観測装置については少し気になる点もあった。


「装置の魔素に異常、か……」


頭の中で観測装置の周囲を漂っていた糸のようなものが浮かび上がる。


もしかすると、あの糸と何か関係があったりするんだろうか。


……まあ、そんなことを考えても仕方がない。


「依頼、確かに受け取りました」


「はい。 それでは後の手続きに関してはこちらで引き受けいたします。 それでは、ご武運を」


依頼書を再び受付嬢に返し、俺たちは探究館を後にした。


迷宮探索三度目は、こうして始まろうとしていた。



面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。



4/26に第一部完予定しています。

よって、1部完結までは金・土・日で更新する予定です。

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