第四章:静かな亀裂 (7)
イチは勢いよく扉を押し開いた。
軋む音とともに視界が開ける。
そこは、これまでの白い回廊とは明らかに異なる空間だった。
中央に、祭壇のような石造りの台座。 天井は高く、壁面には淡い紋様が浮かび上がっている。
そして――その前に“それ”は立っていた。
全身を、光すら吸い込むかのような漆黒の甲冑で覆い。 兜の奥から、青白い双眸だけが不気味に灯っている。
ただそこに立っているように見える。
だが、その場の空気を完全に支配していた。
明らかに、これまでの魔獣とは異なる存在。
「おおっ! ツイてるじゃねぇか! あれ、レア種じゃね?」
イチが目を輝かせて叫ぶ。
レア種。 聞き慣れない単語に、俺は眉をひそめる。
「聞いたことはあるわ。宝箱部屋では、ごく稀に“希少種”が出ることがあると」
ソニアが慎重にその動きを観察しながら言った。
「迷宮の主には及ばないけど、並みの魔獣とは格が違うとか。そのせいか、迷宮の主と同様倒すことで、主の贈り物みたいに宝箱が出るみたいね。実物を見るのは、私も初めてだけど」
その言葉に、今まで気にしていなかった所へ違和感が刺さる。
迷宮には宝箱が存在している。
中に入っているのは安い回復薬から貴重な素材、時には強力な武器まで。
そして、迷宮の主を倒したら主の贈り物という特別な宝箱が得られる。
俺はそれを本で読んで、知識として理解していた。 迷宮はそういうものなのだと。
だが今は違う。
迷宮はそういうものだ、と片付けるには納得できなくなっている。
知ってしまったのだ。
千年前の時代と今の時代の間には、何か大きな隔たりが存在する。
単純に時間が過ぎすぎた、という意味ではない。
もっと根本的な、世界の在り方そのものが変わってしまったような隔たり。
迷宮にはこれ見よがしに宝箱が存在する。
迷宮の主と呼ばれる存在や希少種を倒すことで、さらに良いものが入っている宝箱が得られる。
どう考えてもおかしい。
これじゃまるで、迷宮がわざわざ宝箱を準備したようにしか見えない。
ズキリ――、と左目が疼く。
迷宮に入ってから何度も感じている痛み。
激痛と呼べるほどではない。
だから表情には出さずに済む。
俺がこの迷宮で違和感を覚えるたびに、赤く染まった左目が反応するかのように疼き続けている。
――まるで警告するかのように。
――まるで何かを訴えかけるように。
「あいつ、攻撃してこないな?」
イチの言葉で改めて視線を向ける。
黒騎士のような魔獣は動かない。
こちらが侵入したにもかかわらず、攻撃の意思を見せない。
武器を持っているようにも見えない。
だが、完全に無視しているわけでもなさそうだ。
青く光る眼光は確かにこちらを捉えている。
「どうやら死霊騎士のようだな」
ラミアールが構えを取りながら言う。
「アンデッド系の上位種だ。並の攻撃では倒れぬと聞いたが……ふん、噂ほどかどうか、この我が確かめてやろうではないか!」
「あっ! ラミアールずるいぞ! 俺も行くぞぉぉ!」
言うが早いか。 ラミアールが三つの火球を放ちながら距離を詰める。
その背を追うように、イチが大剣を抜き放ち突進した。
「はあ……本当あの二人は騒がしいわね。」
そう言いながらも、ソニアは腰を落として武器を構える。
「念のため、あなたはニナさんの側にいて。ニナさん。サポートお願いするわ。あの二人ならそう簡単にやられないと思うけど、無茶はするから」
「うん! 任せて! ソニアちゃん、気をつけてー!」
ニナが両手を振ると同時にソニアが土を蹴り駆けつける。
俺は自然とニナの隣に立った。
背後にはハウゼンさんがいるとはいえ、後衛を一人にするわけにはいかない。
前方。
駆けつける三人に、死霊騎士がようやく動き始める。
だが、ラミアールの攻撃の方が早い。
――一撃目。
火球が直撃。 爆炎が黒騎士を包む。
だが。
煙の中から現れた姿は、ほぼ無傷だった。
――二撃目。
イチの大剣が腰を断つ勢いで薙ぎ払われる。
その瞬間。
死霊騎士の左腕がわずかに持ち上がり、周囲の魔素が濃く渦を巻いて瞬時に盾の形を成した。
現れた、というのは少し違う。
魔素を取り込み、武具へと編み上げている。
重い衝撃音。
大剣は弾かれる。
――三撃目。
ラミアールの刺突が兜の眼孔を狙う。
同時に右腕側の魔素が凝縮し、長槍の形へ変質する。
刺突は弾き返され、間髪入れず反撃の槍先がラミアールを貫かんと迫る。
だが、その足元が隆起した。
地面が盛り上がり、軌道が逸れる。
紙一重。 ラミアールは距離を取った。
――四撃目。
ソニアが背後へ回り込み、兜と甲冑の継ぎ目を狙ってロングソードを走らせる。
同時に逆手の短剣を滑り込ませ、刃先を装甲の隙間へ差し込み、内側から抉るように切り上げる。
だが死霊騎士はわずかに身を捻り、長剣を受け流して盾を横薙ぎに振るう。
しかし既にソニアの姿はそこにない。
盾が振り抜かれるより早く間合いを外し、死角へ回り直す。
――膠着。
互いに決定打を欠いたまま、攻防が続く。
その後方で、ニナは両手を胸の前で軽く重ね、小さく息を整えていた。
「――皆に癒しを……」
短い詠唱とともに、指先の間に淡い光が灯る。
掌から零れた柔らかな光が床へと広がり、三人の足元へと静かに散っていく。
イチの浅い擦り傷がわずかに閉じ、ラミアールの呼吸が整う。
大きな回復ではない。
だが、息の詰まる連携の合間に、その小さな支えが確かに効いていた。
「くそっ、硬ぇな!」
イチが舌打ちしながら距離を取り、再び踏み込む。
盾と鎧は並みの攻撃では突破しにくい。
三対一とはいえ、相性は最悪に近い。
手伝うべきか、と考えかけた、その時。
「あの盾と槍は、最初は存在しなかったはずだ。」
ラミアールが低く呟いた。
「魔素を編んで形成している……ならば、枯らせばいい。――ソニア嬢、少しよろしいか」
戦闘音に紛れ、内容までは聞き取れない。
だがソニアは小さく頷き、鋭い目で死霊騎士を見据えた。
「……なるほど。やってみる価値はあるわね」
二人の短いやり取りの間にも、イチの攻撃は続く。
「おりゃあー!」
死霊騎士は当然のように盾で受けた。
長槍で反撃しようとした――その瞬間。
ソニアが割り込む。
死霊騎士の腕の内側へ、潜り込むように低い姿勢で入り込む。
狙いは装甲の継ぎ目。
死霊騎士は即座にソニアへ長槍を突き出した。
一直線。
だが。
ソニアは既にそこにいない。
紙一重で身を捻り、背後へ抜ける。
空を裂いた槍は、そのまま床へ深々と突き刺さった。
――だが、その床は石ではなかった。
鈍い音。
突き刺さった一帯が、ぬかるんだ土のように変質していた。
ラミアールの魔法だ。
硬質な石床を一時的に泥状へ変えていたらしい。
長槍は沈み込む。
死霊騎士が引き抜こうとした、その瞬間――
ラミアールが再び魔法を発動する。
今度は逆。
泥は瞬時に硬化し、石よりも固く締まって穂先を完全に噛み込んだ。
死霊騎士は迷わなかった。
躊躇なく長槍を手放す。
青い光となって崩れ始める長槍。
やはり魔素で編み上げた武具だったようだ。
だが、新たな槍を編むには僅かな時間が必要らしい。
右腕が“空く”。
その刹那。
ソニアが飛び込んだ。
空になった腕へ全身ごと絡みつき、肘関節を抱え込み体重で可動を封じる。
死霊騎士は左腕の盾で彼女を弾き飛ばそうとする。
だが。
「させるかぁぁぁ!」
イチの大剣が横から叩き込まれ、盾ごと押し止めた。
両腕が塞がった。
その一瞬。
ラミアールが地を蹴る。
最短距離。
剣先が兜の眼孔へ突き込まれた。
魔素の光が乱れ、動きが止まる。
「今だ!」
イチが吠える。
渾身の一撃。
大剣が兜と胸甲の継ぎ目を断ち割った。
兜が地に落ち、死霊騎士の身体は膝をつく。
やがて甲冑は支えを失ったかのように崩れ、蒼い粒子となって散り始めた。
残るのは魔素核。
三人は互いの顔を見つめ、大きく息を吐く。
「やった……のよね?」
「ああ、やった。倒せた。確実に」
「……おっしゃ――! おーい! 見たか、アベル! ニナ! やってやったぜ!」
やり遂げた達成感。 少し疲れはあるが、三人の表情は笑っていた。
「みんなすごいすごい!」
ニナも頬を緩め、三人の方へ駆け出した。
だが、数歩進んだところで――
ニナの足が、不意に止まる。
「……え?」
その視線が、祭壇奥――柱の影へと向いた。
俺もつられてそちらを見る。
そこに、もう一体の黒い影がいた。
漆黒の甲冑。 青白い双眸。
そして今度は、長槍ではなく弓状に魔素を編み上げている。
弦に当たる部分へ濃縮された魔素が矢の形を成していく。
狙いは――勝利に気を緩めた三人。
「……っ!」
ニナが先に理解した。
彼女は即座に腰の魔素銃を抜き放つ。
乾いた閃光。
一発の魔素弾が柱の影へ走った。
黒く光る鎧には、傷一つ着けなかった。
それでも青い眼光が、ゆっくりとニナへ向く。
狙いが変わる。
弦が鳴った。
放たれる魔素の矢――
「ニナ!」
考えるより先に、身体が動いた。
呼吸が落ちる。
足音も、気配も、殺気も置き去りにする。
無影一刀流――【第二式・無踏】
一瞬、俺という存在が“場”から消える。
次の瞬間には、死霊騎士とニナの間に踏み込んでいた。
放たれた魔素の矢へ向けて剣を走らせる。
真っ二つ。
霧散する光。
ニナの瞳が驚きに揺れる。 だが、怪我はない。
――まだ終わらない。
死霊騎士の腕で、再び魔素が凝縮し始めた。
ならば、距離を詰める。
無影一刀流――
【第一式・陽炎】
もう一発放たれた矢が俺を貫く――ように見えた、その瞬間。
俺の姿が揺らめき、残像だけが矢を受けた。
気づいた時には既に、死霊騎士の懐。
反応する前に、弓を編み上げた腕を断ち、そのまま鎧ごと両断する。
衝撃も悲鳴もない。
青い眼光がふっと消え、その体は蒼い粒子となって崩れた。
「え……?」
イチが目を瞬かせる。
ラミアールもソニアも、言葉を失っていた。
少し乱れた呼吸を整えながら、俺は仲間たちを見つめる。
「油断しすぎだ」
それだけ告げ、剣を収めた。
数秒の沈黙。
最初に我に返ったのはソニアだった。
「ニナさん!」
三人が同時にニナの方へ駆け寄る。
「大丈夫か!?」
イチが肩を掴み、ラミアールが周囲を警戒したまま様子を窺う。
ニナはというと――まだ少し呆然としていた。
「え、あ……う、うん……?」
さっきまで矢が自分を狙っていたことを、ようやく実感したような顔だった。
「怪我は!?」
「だ、大丈夫……だと思う……」
自分の腕や体をぺたぺた触りながら確認するニナ。
ようやく全員の視線がこちらへ向いた。
俺は小さく息を吐く。
「油断しすぎた」
さっきと同じ言葉。
だが今度は、誰に向けたものでもない。
俺自身にも向けた言葉だった。
一瞬、空気が少し沈む。
――その空気を、ぱん、と軽い音が破った。
「は、はい! だ、大丈夫だよ!」
ニナが両手をぱっと挙げた。
無理やり作ったような、でも一生懸命な笑顔。
「ほら! 見て! どこも怪我してないから!」
その場でくるっと一回転してみせる。
「それよりみんなの方だよ! ちゃんと手当てしなきゃ!」
少しだけ強い口調。
その明るさに、張り詰めていた空気がようやくほどけた。
「……はは」
イチが頭を掻く。
「いや、そりゃそうなんだけどよ……マジで焦ったぞ」
「同感だ」
ラミアールも小さく肩を竦める。
ソニアはしばらくニナの顔を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……無事ならいいわ」
その時だった。
中央の祭壇が淡く光を放pた。
石台の上に、ゆっくりと何かが現れる。
銀の装飾が施された箱。
「出た……」
イチが息を呑み、次の瞬間には勢いよく蓋を開けた。
「おおお! なんか入ってる! すげぇ! 本当に宝箱じゃん!」
中にあったのは、細工の精緻な銀製の腕輪。
中央に淡い蒼石が嵌め込まれている。 魔素が穏やかに循環しているのが分かる。
「何やら魔素が込められているようだな。どういうものかはわからないが……」
ラミアールが興味深そうに覗き込む。
「腕輪ね。気にはなるけど……とりあえず、あんたがそれを持っていて。そろそろ依頼を終わらせて帰らないと門限に間に合わないわよ」
ソニアは俺に押し付けるように腕輪を渡した。
そうだな。まだ依頼は終わっていない。
ここなら依頼人が要求していた条件にも合いそうだ。
俺は祭壇の脇へ歩み寄り、観測装置を設置した。
観測装置の内部が淡く光る。
今度は、二、三階に設置したときよりも糸のような光が濃く見えた。
これが何なのかは、相変わらずわからない。
とにかく、これで依頼は達成した。
「戻ろ」
誰も異論はないようだった。
部屋を出る前に、ニナが一瞬だけ拳を握りしめているのが見えた。
――遅れて、震えが追いついてきたのだろう。
俺が何か言う前に、ニナは深呼吸し、そっと俺の手を握る。
やはり、少し震えていた。
「アベルくん。……さっきは、ありがとう」
「……ああ、無事でよかった」
その小さく触れる手を握り返す。大丈夫だ、そう念じて。
俺の顔を、ニナはじっと見てから、少しだけ安心したように頷いた。
依頼は達成した。
希少種を討ち、宝箱を得て、誰一人欠けずに戻った。
少し離れた位置でその様子を眺めていたハウゼンさんが、顎髭を撫でながら穏やかに目を細めていた。
「ほっほっほ……上出来じゃ」
小さく漏らされたその声は、誰に聞かせるでもない独り言のようだったが、どこか誇らしげでもあった。
未熟で、危なっかしくて、それでも確かに前へ進もうとしている若者たち。
その輪の中にいる俺を見つめる視線は、どこか本当の祖父のように感じた。
……だが、俺たちは何も知らなかった。
今日の依頼が、単なる観測では終わらないことも。
あの装置が、この迷宮に小さな波紋を広げることになるとも。
そして――その波紋がやがて、取り返しのつかない“歪み”として形を持つことも。
この時の俺たちは、まだ知らない。
面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。
4/26に第一部完予定しています。
よって、1部完結までは金・土・日で更新する予定です。




