表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/36

第四章:静かな亀裂 (5)

というのが、昨日までの話。


そして今、俺は迷宮の入り口の前に立っている。


白の地下聖堂(ホワイト・カテドラル)。 その迷宮の入り口だ。


千年前。俺が生きていた時代には――迷宮など存在しなかった。


俺がまだ勇者と呼ばれていた時代。魔王と魔族に蹂躙され、血にまみれていたあの時代。


だが、それでも俺は生きていた。俺たちは、あの時代で必死に足掻き、生き延びようとしていた。


そのすべてが、今では跡形もない。完全な消失。


まるで、最初から存在しなかったかのように。


ならば。


千年前には存在しなかったこの“迷宮”という存在に、答えがあるかもしれない。


たとえ薄い期待でも、今の俺にできることはそれくらいだ。


「ニナさん! いいからもう離れて!」

「もうちょっと~」

「隙あり! 一番乗りは俺のものだ!」

「人の話を聞かないか、貴様!」


――そして相変わらず、後ろは騒がしい。


いつまで続ける気だ、あいつら。


……このままでは埒が明かない。


小さく息を吐き、俺は一歩前へ出た。


門前に立つ衛兵たちは、どこか微笑ましげな目でこちらを見ている。 いや、あの騒がしい連中とは無関係です、と今この瞬間だけ全力で主張したいくらいには気恥ずかしい。


軽く会釈し、俺は入り口をくぐった。


「置いていくぞ」


「え、アベルくん! 待って~!」


「ああ、アベル! 一番乗りは俺のものだぞ! 抜け駆けは禁止だーっ!」


ニナとイチが慌てて追ってくる。


「……はあ……本当に大丈夫かしら、このパーティ……」


「この我を置いていくとはどういう了見だ!」


ソニアの疲れた声と、ラミアールの慌ただしい抗議が続く。


「ほっほっほ」


ハウゼンさんもゆっくり後をついてくる。


その姿を確認し、俺は迷宮の奥へと足を踏み入れた。


――迷宮探索、開始だ。





・ ・ ・





内部は、思ったより明るい。


光源らしきものは見当たらない。 それでも空間全体が、淡く白く照らされている。


壁も床も天井も白。 反射なのか、発光なのか、判別がつかない。


少し進むと、前方に下へ続く階段が見えた。


「よし、俺が行く!」


イチが勢いよく先頭に立つ。


その背を見ながら、俺は続いた。


順に、俺、ソニア、ラミアール、ニナ。


そして最後尾にハウゼンさん。


最後の段を踏み越えた瞬間。


――ぞくり。


左目の奥に、かすかな違和感。


痛みではない。異物でもない。


ほんのわずかな揺らぎ。 初迷宮という緊張がなければ、気づかなかったかもしれない程度の。


だが確かに、何かを感じた。


視線を上げる。


そこに広がっていたのは、名にふさわしい光景だった。


白の地下聖堂(ホワイト・カテドラル)


やや低めの天井。整然と並ぶ柱。アーチ状の回廊。 確かに“聖堂”のらしさを感じられる外見をしている。


だが、神聖さはない。


空気は乾き、冷たい。


外界とは異なる法則が働く異空間。


本で読んだ説明そのままだ。


実際に踏み込むことで、改めて実感が湧く。


――これが、迷宮ダンジョン


「よしっ! 行くぞ!」


イチが興奮気味に駆け出す。


「だから先走るなと何度も言っているだろう!」


ラミアールが小言を言いながら追いかけ、残りのメンバーも続いた。


回廊のような一本道が続く。


やがて最初の分岐。


左右に分かれた通路。 見た目では判別不能だ。


どちらへ進むべきか一瞬迷っていると、ソニアの声が響く。


「この迷宮に罠はないはずよ。どちらへ行っても大差はないはず」


「なるほどな!じゃあ右だ!」


イチは迷わず右へ。 俺たちも続く。


しばらくは特に何も起こらない。


途中、鉱石や薬草を見つけると、ラミアールが丁寧に採集して鞄に収める。


迷宮産の鉱石や薬草は魔素を含んでいる。それだけで外界のものとは異なる価値を持つらしい。


その後も分岐は何度も現れた。


似たような白い通路。同じ柱。同じ光景。


……確かに、これは迷うな。


“迷宮”と呼ばれる理由の一端を実感する。


そのとき。


視界の端で、ニナが見慣れないものを手にしていることに気づいた。


薄い板状のそれを片手で支え、もう一方の手で細い筆のようなものを動かしている。


歩調を落とし、俺は隣に並んだ。


「ニナ。それは?」


「あ、これ? 地図作ってるの!」


それにしては、紙は見当たらない。視線は自然と、その板へ向かう。


「それで?」


「うん。魔素導板マナ・プレートっていうの。迷宮探索の必需品だよ!」


指で表面をなぞると、淡い光の線が滑るように走り、描かれた簡略図が拡大される。 逆に広げる動作をすると、地図は縮小され、全体像が俯瞰できる。


よく見ると、俺たちが今いる位置を示す小さな光点がゆっくりと動いていた。


「迷宮の中だとね、装置が周囲の魔素の流れを読み取って、大まかな移動方向を記録してくれるの」


淡く伸びる線は、完全な直線ではなく、ところどころわずかに歪んでいる。


「でもね、細かい曲がり角とか分岐は自分で補正しないといけないんだよ。ほら、ここ」


ニナは筆先で分岐点をなぞり、線を微調整する。 すると曖昧だった分かれ道が、はっきりと枝分かれした形に整えられた。


「だから完全自動ってわけじゃないの。あくまで“補助”。油断すると結構ズレるんだよ」


拡大された地図の上に、枝分かれした線がはっきりと表示される。


「それだけじゃなくてね」


ニナは筆先で一点をつついた。 すると小さな印が出現し、横に簡単な文字が浮かび上がる。


「採掘ポイントとか、採集場所とか、危険区域とかも登録できるの。後から見返せるし、パーティ内で共有もできるんだよ」


どうやら表示されるのは、現在地を示す一点の光のみらしい。


「今いる場所は分かるけど、他のみんなの位置までは出ないよ。そこまでは高級品じゃないからね」


なるほど。あくまで探索補助用というわけか。


「低級魔素核(マナコア)でも長時間動くし、記録は内部に保存されるの。だから途中で消えたりもしないよ」


得意げに笑うニナ。


俺はしばし言葉を失った。


魔素革命。


この時代に目覚めて以来、何度その名に驚かされたことか。


千年前には存在しなかった技術。


改めて、今の時代の発展に純粋な感心を覚える。


そんな会話をしていると、前方に今までとは少し異なる空間が現れた。


礼拝堂に似ている。


だが、女神像も長椅子もない。


代わりに――


「構えて。魔獣よ」


他の面々が一斉に武器を抜き、戦闘態勢を取る。


だが――俺の身体は、固まったまま、動かなかった。


魔獣。


ソニアは確かにそう言った。


魔獣については知っている。千年前にも存在していた。魔素に侵され、凶暴化した獣や魔物。


だが、目の前にいる“それ”は――俺の知る分類には当てはまらない。


ゆらり、と不自然に揺れる腐敗した肉体の動く死体(ゾンビ)


虚ろな眼窩に蒼白な光を宿す骸骨騎士(スケルトンナイト)


――アンデッド。


千年前、魔族が人類を追い詰める際に用いた、女神を冒涜する呪われた魔法の一種――死霊術ネクロマンシーによって魔族の戦争の道具として使役された者たち。


死してなお安息を許されず、強制的に同胞を害した。哀れで悲惨な()()()。その成れの果て。


それが、この時代では“魔獣”と呼ばれているというのか。


迷宮には魔獣が出現する。


その知識は本や授業で十分に得ていた。


だが――その中身までは、知らなかった。


……どういうことだ。


思考が追いつかない。


その瞬間。


「おらあっ!」


イチが真っ先に飛び出した。


大剣が振り下ろされ、迫っていた動く屍の胴体を真っ二つに叩き斬る。


腐肉が飛び散る――はずだった。


だが。


切断面から、青い粒子が零れ落ちる。


次の瞬間、肉体そのものが淡い蒼の光へと変じ、空中へと溶けるように崩れていった。


……散らない。


腐臭も、血も、残骸も残らない。


蒼い粒子。


濃縮されていた魔素が拡散する際に、視認できる形で現れる現象。


生あるものが死ぬ時、こんな現象は起きない。


それは魔獣も、人の死体を操るアンデッドも同じだ。


ただ一つの例外を除いて。


――魔族と、魔王。


この消滅の仕方は、正に魔族のそれと酷似、いや、()()()()()()()


ずきり、と。


左目の奥に、激痛が走る。


反射的に目を押さえる。


何だ。


何だ、これは。


何なんだ、これは!!


吐き気すら込み上げる。


イチが斬った個体だけではない。


ラミアールの魔法に。


ソニアの剣に。


ニナの魔素銃に撃ち抜かれたアンデッドたちが。


すべて、同じように蒼い粒子となって崩れ、跡形もなく消滅していく。


残るのは、魔素核(マナコア)だけ。


「ちょっと!あんた、何ぼーっとしてるのよ!」


ソニアの叱声が飛ぶ。


二体の骸骨騎士を同時に斬り伏せながら、鋭く俺を睨む。


「アベルくん! 大丈夫!? 顔色すごく悪いよ! 具合悪いの!?」


ニナが撃ち抜いた屍を振り返り、こちらへ駆け寄る。


「おらぁっ! 食らえぇっ!」


イチが豪快にアンデッドを薙ぎ払う。


「ふん。品位の欠片もない下劣な魔獣ども。せめて我が技で華麗に散れ」


ラミアールが魔法と剣を交えて敵を圧倒する。


……誰一人。


この異様さに気づいていない。


まるで、それが当然であるかのように。


視界の端で。


ハウゼンさんの姿が見えた。


だが彼が見ているのは、蒼く消えるアンデッドではない。


――俺だ。


その視線は、迷宮の異変ではなく、俺の反応を観察しているようだった。


その瞬間、俺は初めて、本当の意味で理解した。





俺は、未知の世界に投げ込まれたのだと――

面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。



4/26に第一部完予定しています。

よって、1部完結までは金・土・日で更新する予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ