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解けゆく仮面と、深夜の秘密兵器

外では冷たい雨がシトシトと静かな音を立て、窓ガラスを濡らしている。

部屋の中は、テーブルの上に置かれたオレンジ色の小さなスタンドライトだけが灯り、温かく落ち着いた空間を作り出していた。


ソファに深く腰掛けた涼香は、大学での完璧な『夏目先輩』の姿からは程遠い、樹の大きめなスウェットに身を包んでいた。

萌え袖から覗く細い指先で温かいマグカップを包み込みながら、彼女は小さく「ふぅ……」と息を吐く。


「……今日のゼミの発表、本当に緊張したわ。教授の視線が思った以上に厳しくて……」


そう言って、涼香は疲れきったようにソファの背もたれへ体を預けた。

昼間は誰もが羨む完璧な成績を収め、微塵の隙も見せない彼女だが、こうして二人きりになると、溜め込んでいた緊張と疲れを隠そうともしない。


樹は台所から出来立ての夜食を盆に乗せて運んできた。


「お疲れ様、涼香。はい、今夜の特製夜食だよ」


「……え?」


テーブルの上に置かれた小鍋から、立ち上る湯気とともに甘辛く香ばしい醤油と柴魚(かつお)出汁の香りが広がった。

鍋の中には、ツヤツヤと輝く極太の烏龍麺(うどん)と、出汁を極限まで吸い込んでぷっくりと膨らんだ巨大な油揚げ。


涼香の琥珀色の瞳が、一瞬でパッと輝きを増した。


「これ……私の大好きな、ダブルお揚げのきつね烏龍麺……!?」


「うん。昼間、涼香から『今日はすごく頭を使ったから、カロリーが必要かも』ってメッセージが来てたでしょ? だから急いで買ってきたんだ」


「〜〜〜っ!」


さっきまでの疲労困憊な表情はどこへやら。涼香の耳の先端がぽっと桜色に染まり、喉が小さく「くのっ」と鳴った。


「す、すごいわ樹くん……! まるで私の心を読んでいるみたい……」


「読んでいるというか、もう何ヶ月も一緒にいるからね。ほら、冷めないうちに召し上がれ」


「ええ、いただきます……!」


涼香は上品に手を合わせると、迷わず箸を伸ばして巨大な油揚げを一口かじった。


ジュワッ——。


甘辛い出汁が口いっぱいに広がり、思わず「んん……!」と満足そうな吐息が漏れる。

そのまま熱々の烏龍麺をすすると、彼女の頬はまるでリスのように丸く膨らんだ。


「……おいしい……! お出汁がしっかり染みていて、お麺もモチモチで……樹くんの作る夜食は、どうしてこんなに悪魔的に魅力的的なの……」


「喜んでもらえてよかったよ。でも、あんまり焦って食べると火傷するよ?」


「大丈夫よ、このくらいの熱さ……はふっ、はふっ……っ!?」


案の定、熱々のスープに蒸せそうになり、涼香は慌てて口元を押さえて目を潤ませた。

樹は苦笑しながら、すぐさま氷水の入ったコップを差し出し、彼女の華奢な背中を優しく撫でてあげる。


「ほら言わんこっちゃない。はい、お水」


「……うぅ……ありがと……」


水を一口飲み、落ち着きを取り戻した涼香は、背中に触れる樹の手のひらの温もりにじっと浸っていた。

そして、照れくささを隠すように、少しだけ上目遣いで樹を見つめる。


「……ねえ、樹くん」


「ん?」


「私ね、大学で『夏目さんは完璧で、悩みなんてなさそうだね』って言われるたびに、すごく息が詰まりそうになるの」


彼女は小さく呟きながら、自分の膝の上に視線を落とした。


「本当の私は、こんな風に夜中にカロリーの高い烏龍麺をバクバク食べて、旦那様に甘えてばかりの……全然かっこよくない女の子なのに」


「かっこよくなくていいんだよ」


樹は彼女の背中を撫でていた手を伸ばし、涼香の頬に付いた小さなネギの薬味をそっと指先で拭ってあげた。


「みんなが見ているのは『生徒会長の夏目先輩』だけど、僕が見ているのは『僕の愛しいお嫁さんの涼香』だから。僕の前では、どんなにダサくても、我が儘でも、ダメなところを見せてくれていいんだ」


「……ツキ……」


その言葉は、涼香の心の中の冷たい固まりを溶かしていくには十分すぎるほど温かかった。

彼女の琥珀色の瞳から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちる。


「……ずるいわ……そんな優しい顔で言われたら……私、本当にあなたの前から離れられなくなっちゃうじゃない……」


涼香は箸を置くと、そのまま樹の首元に抱きつき、彼の胸に顔を埋めた。

出汁の優しい香りと、樹の体温が彼女を包み込む。


「離れなくていいよ。一生、僕の膝の上にいればいい」


「……うん……一生、ここにいるわ……」


二人は静かな雨の音に包まれながら、お互いの存在を確かめ合うように深く、甘い接吻を交わした。

昼間の緊張も、世間の目も、すべてが遠い世界の出来事のように消え去っていく。


ふと、抱きしめ合う二人の間で、小さな「ぐぅ……」という音が鳴った。


「〜〜〜〜っ!?」


涼香は顔を真っ赤にして跳ね起きると、両手でお腹を押さえて樹の胸に再び顔を突っ込んだ。


「ち、違うの! 今のは……烏龍麺がまだ半分残っているから、体が勝手に反応しただけで……!」


「ふふ、わかってるよ。冷めないうちに全部食べちゃおうね」


「……うん! 樹くん、あーんして?」


「え、自分で食べられるでしょ?」


「いいから! 私に甘えさせてくれるって言ったばかりじゃない!」


夜はまだ明けない。

完璧な先輩と冴えない後輩——その仮面を脱ぎ捨てた二人だけの甘い時間は、これからもずっと続いていくのだった。

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