秘密の図書室と、指先に走る甘い電気
雨が上がった翌日の放課後。
聖華高校の図書室は、放課後の夕日が差し込み、黄金色の静寂に包まれていた。
利用者の姿はまばらで、奥の「海外文学」の棚の周りには誰もいない。
橘樹は、昨日涼香から「読んでおきなさい」と指定された文庫本を探すため、本棚の背表紙を目で追っていた。
「……あ、あった。これか」
樹が手を伸ばした、まさにその瞬間。
反対側――本棚の隙間から、細く白い指先が同じ背表紙に触れた。
「……あ」
本棚の隙間から覗いたのは、琥珀色の瞳。
今日もしっかりと制服を着こなし、凛とした佇まいの夏目涼香だった。
学校での彼女は、相変わらず誰からも一目置かれる『氷山姫』そのものだ。
周りに誰もいないことを確認すると、涼香はフッと胸をなでおろし、本棚の陰から樹のいる通路へと滑り込んできた。
「……偶然ね、橘くん」
「夏目先輩。……『偶然』ですか? 10分前から僕の後ろをついてきてたの、知ってますよ?」
「っ……!? べ、べつについてなんか……! たまたま移動ルートが被っただけよ!」
図書室ということもあり、涼香は声を潜めながら必死に弁明した。耳たぶがみるみるうちに赤くなっていく。
「……嘘です。本当は、すごく嬉しいです。学校でこんなに近くで話せるなんて」
「……バカ。調子に乗らないで」
涼香はぷいっと横を向いたが、その手はしっかりと文庫本を掴んだまま離そうとしない。
本を引き抜く拍子に、ふたりの指先がかすかに触れ合った。
――バチッ。
まるで小さな静電気が走ったかのように、涼香の肩が小さく跳ねた。
「……っ」
「……先輩?」
涼香は周囲をサッと見回すと、誰もいないことを再度確かめ、樹の制服の袖口をキュッと引っ張った。
そのまま樹を本棚と壁の狭い死角へと引きずり込む。
「せ、先輩……ここ、図書室ですよ?」
「……静かに。声が大きいわ」
背中が本棚に当たる。その目と鼻の先に、涼香の甘い香りと熱い吐息があった。
彼女は樹の胸元に両手を押し当て、上目遣いに樹を見つめた。琥珀色の瞳が、夕日を受けて怪しく揺れている。
「……昨日の夜、あんなに抱きしめておいて……」
涼香の囁き声は、消え入りそうなほど小さく、けれど甘く樹の鼓膜を揺さぶった。
「今日、廊下ですれ違った時……私に一度も目を合わせてくれなかったでしょう?」
「それは……『学校では他人のフリをする』っていう協定ですから……」
「……嫌。今日は、嫌だったの」
そう言うと、涼香はつま先立ちになり、樹の制服の襟をグッと自分寄りに引き寄せた。
「……ん」
重ね合わされたのは、ほんの数十秒前の指先よりも、ずっと熱くて柔らかい唇。
図書室の静寂の中、かすかな水音が小さく響く。
樹が驚いて目を見開く暇もなく、涼香はすぐに唇を離すと、熟したトマトのように顔を真っ赤にして樹の胸元に顔を埋めた。
「……これ、お仕置き。約束をバカ正直に守りすぎた『罰』よ」
「……涼香……」
「……家につくまで、我慢しなさい。……今夜は、あなたが降参するまで……絶対に逃がしてあげないんだから」
そう耳元で甘く毒を吐くと、『完璧な氷山姫』はパッと手を放し、何事もなかったかのようにすまし顔で図書室を後にした。
取り残された樹は、自分の唇に残る甘い余韻と熱に触れながら、深く深く息を吐き出した。
(……ベランダの夜食から始まったはずなのに、どんどん手がつけられなくなっていくな……)
二人の「秘密の関係」は、校園の日常を少しずつ、甘い蜜で侵食し始めていた――。




