雨の午後の停電と、解け出す氷山姫
「……嘘でしょう?」
雷鳴がとどろくと同時に、部屋の明かりがパツンとすべて消えた。
外は激しい夕立。薄暗くなったリビングを照らすのは、窓を打つ雨粒と、時折走る雷光だけだった。
「……ツキ?」
暗闇の中、すぐ隣から涼香の不安げな声が聞こえる。樹は咄嗟にスマホのライトを付け、隣に座る妻の顔を照らした。
いつもなら「これくらいの停電、なんてことないわ」と強がるはずの彼女が、両手で樹の右腕をぎゅっと抱きしめ、肩を細かく震わせていた。
「大丈夫だよ、涼香。ただの雷による停電だから。すぐ復旧するよ」
「……わかってる。わかってるけど……急に暗くなるの、ちょっとだけ……嫌なだけ……」
強がりながらも、抱きつく力は強くなるばかりだ。樹はスマホをテーブルの上に置き、空いた腕で涼香の華奢な体を優しく抱き寄せた。
「ここにいるよ。どこにも行かないから」
「……うん」
樹の温もりに包まれると、涼香は安堵したように深く息を吐き、彼の胸元に額を預けた。暗闇と雨音だけの空間が、二人の密室感をより一層際立たせる。
「……ねえ、樹くん」
「ん?」
「私……大学にいる時、時々すごく怖くなるの」
涼香の声は小さく、今にも雨音にかき消されそうだった。
「みんなが私のことを『完璧な夏目先輩』って呼ぶたびに、偽物の自分を演じている気がして……。もし、本当の私がこんなに寂しがり屋で、あなたにべったり甘えたいだけのワガママな人間だって知られたら……失望されるんじゃないかって」
暗闇の中で、涼香は自分の弱さをぽつりぽつりと吐き出していく。
大学での凛とした「氷山姫」の仮面は、彼女が自分を守るために必死で身につけた鎧だったのだ。
樹は胸が締め付けられるような愛おしさを感じ、涼香の頭を優しく撫でた。
「誰も失望なんてしないよ。でも……仮に世界中の人が失望したとしても、僕だけは絶対に涼香の味方だし、どんな涼香だって世界一愛してる」
「……本当に?」
「本当だよ。むしろ、僕だけに見せてくれるその寂しがり屋な涼香が、たまらなく愛おしいんだ」
涼香は顔を上げ、琥珀色の瞳に薄っすらと涙を浮かべながら樹を見つめた。
「……ずるい。そんなこと言われたら……私、もっとワガママになっちゃうよ?」
「いいよ。いくらでもワガママになって」
「じゃあ……」
涼香は樹の首に細い腕を回し、自分の唇を樹の耳元へと近づけた。甘い息が肌をくすぐる。
「……電気、このまま復旧しなくてもいい。……暗闇の中で、もっと私を確かめて……旦那様」
それは、大学での高嶺の花からは想像もつかない、甘く狂おしいおねだりだった。
樹の理性の糸が、ぷつりと切れる。
「……後悔しても知らないよ」
樹は涼香の腰を力強く引き寄せ、重ね合わせた唇から溢れる熱量を貪り合った。雨音が激しく響く中、二人は時間を忘れて互いの存在を深く深く刻み込んでいくのだった——。




