桜の舞う季節と、二人だけの特別な約束
三月の終わり、東京の街をピンク色に染めていた桜が満開を迎え、春の風が吹くたびに舞い散る花びらが本郷のマンションのベランダにも舞い込んできた。
春休みが明け、明日からは大学の新しいセメスターが始まる。
「樹くん、このスーツ……変じゃないかしら?」
リビングの鏡の前で、涼香が少し緊張した面持ちで自分の姿を確かめていた。
彼女が身にまとっているのは、新入生歓迎会やゼミの公式行事のために新調した、シックなネイビーのパンツスーツ。いつもの柔らかな部屋着とは違い、背筋がピシッと伸びたその佇まいは、まさに「頼れる優秀な先輩」そのものだった。
「全然変じゃないよ。すごく似合ってるし、仕事ができるカッコいい先輩って感じだ」
樹が後ろからそっと近づき、涼香の肩に手を乗せて鏡越しに微笑みかけると、彼女は照れくさそうに頬を緩めた。
「もう……カッコいいなんて、お妻様に対して言う言葉じゃないでしょう? でも……ありがとう。あなたにそう言ってもらえると、すごく自信が出るわ」
涼香はくるりと振り返り、樹の胸元にそっと手を置いた。
「明日からは、大学での時間が少し増えてしまうけれど……寂しくさせちゃったら、ごめんなさいね?」
「そんなことないよ。頑張っている涼香を見るのが僕の楽しみでもあるんだから。それに……夜になれば、ここでずっと一緒にいられるんだしね」
「ふふ、そうね。私の帰る場所は、いつでもあなたの隣だもの」
涼香は愛おしそうに瞳を潤ませると、背伸びをして樹の唇にそっと kissesを落とした。
言葉よりも雄弁に伝わってくる、二人だけの甘く温かな温もり。
……
その夜。
明日の準備を終えた二人は、ベランダに出て夜桜を眺めながら、温かい紅茶を飲んでいた。
冷たかった冬の風はもうどこにもなく、夜風は心地よく二人の頬を撫でていく。
「ねえ、樹くん」
涼香が手すりに寄りかかり、満月に照らされる桜を見上げながらぽつりと呟いた。
「この一年間、本当に色々なことがあったわね。最初は……あなたに手料理を食べてもらうことすら、すごく緊張していたのに」
「そうだね。今じゃ毎晩、美味しいお料理を作ってくれる自慢の奥さんだ」
「もう……照れるじゃない。でもね……どれだけ時間が経っても、どれだけ立場が変わっても、私の心にある『あなたを愛する気持ち』だけは、絶対に変わらないわ」
涼香は樹の右手を取り、自分の左手と重ね合わせた。
二人の薬指で煌めくペアリングが、月光を受けて優しく輝く。
「次の季節も、その次の季節も……ずっと私の手を離さないでね、樹くん」
「もちろんさ、涼香。僕の人生のすべてを使って、君を幸せにし続けるよ」
満開の夜桜が二人を包み込むように舞い散る中、夫婦として歩む新しい春のページが、静かに、そして確実にめくられていくのだった——。




