初詣と雪下の誓い
聖夜の騒がしさが過ぎ去り、東京の街はいっつの間にか新しい年を迎える準備へと装いを変えていた。
本郷のマンションで迎える初めての年末年始。一時期は「氷山姫」と呼ばれ、家族や周囲との距離を置いて一人で過ごすことに慣れきっていた涼香にとって、誰かとコタツを囲みながら年越しそばを食べるという経験そのものが、どこか夢の出来事のように思えた。
「樹くん、見て……! ちゃんとエビ天がサクサクに揚がったわ!」
大晦日の夜。台所でエプロン姿の涼香が、嬉しそうに揚がりたてのエビ天を皿に盛り付けていた。
「すごいじゃないか、涼香。最初はお米を研ぐのすらぎこちなかったのに、今じゃすっかり料理上手な奥さんだな」
樹がリビングから声をかけると、涼香は少し照れくさそうに口元を緩め、持っていたトングを胸元にぎゅっと抱きしめた。
「ふふん、誰の妻だと思っているの? あなたに『美味しい』って言ってもらうためなら、これくらいの特訓、なんてことないわ」
ふたりで並んで食べた年越しそばは、高級料亭の味にも負けないほど温かく、胸に染み渡る味がした。
テレビから除夜の鐘の音が響き渡り、日付が『一月一日』へと変わった瞬間、ふたりはコタツの中でそっと手を重ね合わせた。
「あけましておめでとう、樹くん。今年『も』……いいえ、今年『から』は、夫婦としてよろしくね」
「あけましておめでとう、涼香。今年も君の笑顔を一番近くで見守らせて」
……
明けて元旦の午前。
薄っすらと雪が残る境内の空気は清々しく澄み渡り、新年の参拝客で賑わっていた。
ふたりは防寒対策をしっかり整え、地元の有名な神社へと初詣に訪れていた。
今日の涼香の装いは、深い紺色地に可憐な梅の花があしらわれた上品な振袖だった。髪は綺麗にアップにまとめられ、首元には白いファーショールが巻かれている。
歩くたびにカランコロンと小さく鳴る下駄の音と、息を吐くたびに白く揺れる吐息。
「……ねえ、樹くん。やっぱりちょっと目立ちすぎていないかしら?」
涼香は袖をギュッと握りしめ、周囲からの視線を気にして少し身を縮こまらせた。確かに、すれ違う参拝客の誰もが、その透き通るような美貌と和装の美しさに思わず目を奪われて振り返っていた。
「そんなことないよ。本当に綺麗だ、涼香。……あまりに素敵すぎて、他の男の人に見せたくないくらいだ」
「もう……! またそうやって、サラッと恥ずかしいことを言うんだから……」
涼香は顔を真っ赤にしながらも、樹の差し出した手に自分の手をぎゅっと絡めた。手袋越しにも伝わってくるお互いの温もりが、緊張を優しく解きほぐしていく。
長い石段を登り切り、本殿の前で賽銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼。
静寂の中、鈴の音がカランと鳴り響く。
樹は隣で静かに目を閉じ、真剣な表情で手を合わせる涼香の横顔をそっと見つめた。
(どうか、この人と過ごす日々が、いつまでも穏やかで幸せなものでありますように。彼女を脅かすあらゆる悲しみから、僕が全力で守り抜けますように)
隣の涼香もまた、長い睫毛を伏せながら、心の中で深く祈りを捧げていた。
参拝を終えたあと、ふたりは境内の隅で温かい甘酒を買い、ベンチに腰掛けた。
「涼香、神様にはどんなお願いごとをしたの?」
樹が甘酒のカップを両手で包みながら尋ねると、涼香はふふっといたずらっぽく微笑んだ。
「秘密。……と言いたいところけれど、樹くんには教えてあげる」
涼香は小さく息を吹きかけて甘酒を一口含むと、うっとりとした表情で空を見上げた。
「『樹くんの夢がすべて叶いますように』……そして、『おばあちゃんになっても、こうして樹くんの手を握っていられますように』ってお願いしたの」
「涼香……」
「……ねえ、欲張りすぎかしら?」
上目遣いで覗き込んでくる琥珀色の瞳には、偽りのない真実の愛が宿っていた。
「全然欲張りじゃないよ。それなら僕の願いごととも、ちょうど半分こくだね」
樹は空いた方の手で、振袖の袖口から覗く涼香の細い手首を優しく握りしめた。
「僕の願いは……『涼香の願いが全部叶うこと』だから」
「なによそれ……ずるいじゃない、樹くん」
涼香は感極まったように目元を潤ませると、周りの目を気にするのも忘れて、樹の肩にそっと頭を預けた。振袖の甘い香りと、冬の冷たい空気が心地よく混ざり合う。
境内のおみくじを結ぶ木々からは、新年の風に乗ってカラカラと小さな音が聞こえていた。
「吉」と書かれたおみくじの『恋愛』の欄には、こう記されていた。
——【互いに誠実をつくせば、永久に変わらぬ愛を得ん。喜び至る。】
「ふふ、神様も分かってるじゃない」
「ああ、まったくその通りだね」
雪解けの雫が日に照らされてキラキラと輝く中、夫婦として歩み始めたふたりの新しい一年が、今静かに、そして確かに幕を開けたのだった。




