初雪のあとの温もりと未来
一晩中降り続いていた粉雪は、翌朝の清らかな冬の光となって部屋のすき間から差し込み、暖かなベッドを柔らかく照らしていた。
空気には昨夜のアロマキャンドルの甘いローズの香りと、ふたりが重ね合った体温の余韻がほのかに残っている。
樹はふと目を覚まし、体を動かそうとしたが、右腕に伝わる心地よい重みと柔らかさに気づいて動きを止めた。
隣では、昨夜の華やかなドレスを脱ぎ捨てた涼香が、疲れた子猫のように樹の胸元に体を丸めて眠っていた。艶やかな黒髪が肌に散らばり、朝の光を受けて透き通るような白さを際立たせていた。
「……本当に、夢じゃないんだな」
涼香の長いまつ毛が微かに揺れるのを見つめながら、樹の胸に深い愛おしさと満たされた幸福感がこみ上げてくる。そっと伸ばした左手で、彼女の鎖骨に光るサファイアのネックレスに触れ、そしてふたりの重なり合った指——そこに煌めく二つのペアリングへと指先を滑らせた。
「……ん……っ……樹くん……?」
体温の変化を感じ取ったのか、涼香は小さな声で呟き、うっすらと琥珀色の瞳を開いた。
目の前にある樹の優しい笑顔と、昨夜の甘く情熱的な記憶が瞬時に蘇り、彼女の頬はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「っ……! お、おはよう……」
「おはよう、涼香。昨日は……よく眠れた?」
樹が微笑みながら、彼女の丸いおでこにそっと優しくキスを落とす。
「~っ! 樹くんのバカ……朝からそんな……っ」
涼香は恥ずかしそうに顔を樹の胸元に埋め、小さく甘えるような声を漏らした。
「でも……うん、すごくよく眠れたわ。……ただ、体に全然力が入らなくて……全部、昨夜の樹くんが意地悪だったせいなんだから」
「え? だけど『ドレスのリボンを解いて』って言ったのは涼香の方じゃない?」
「なっ……! それは……あの雰囲気がそうさせたのよ……っ!」
赤面して抗議するように樹の胸をぽかぽかと叩く涼香だったが、やがて自分でもおかしくなったのか、ふふっと笑みをこぼした。そして細い腕を樹の首にまわし、ぎゅっと自分の体を押し付けた。
「でもね……私、世界で一番幸せよ、樹くん」
見上げてくる涼香の瞳には、かつての「氷山姫」と呼ばれていた頃の冷たさは欠片もなく、溢れんばかりの深い愛と信頼だけが宿っていた。
「素敵なイブをありがとう……私の、旦那様」
その甘い響きに樹の心臓が跳ね上がる。自分をまっすぐに見つめる愛しい妻を、樹は力強く抱きしめ返した。
「僕の方こそありがとう、涼香。これからのクリスマスも、春夏秋冬も、ずっとずっと一緒に過ごそう」
……
身支度を終えたふたりはリビングへと移動した。
窓の外には白銀に染まった本郷の街並みが広がり、温かい部屋の中では樹が淹れた紅茶の香ばしい湯気が立ち上っていた。ダイニングテーブルの上には、昨夜涼香から贈られた革製のシステム手帳が開かれている。
「樹くん、何を書いてるの?」
ゆったりとしたニットを着た涼香が、マグカップを両手で持ちながら覗き込んできた。
「この手帳の、一番最初の特別な予定だよ」
樹は微笑みながら、涼香から貰った万年筆を置き、手帳を彼女の方へと向けた。
上質な紙面には、丁寧な文字でこう記されていた。
『十二月二十五日:妻・涼香と迎える、夫婦になって初めての朝。これからの毎日、彼女を世界一幸せな笑顔にする』
「……っ……」
その文字を見つめる涼香の瞳に、うっすらと感動の涙が浮かぶ。彼女は樹の手を固く握りしめ、そっとその肩に頭を預けた。
「ええ……約束よ、樹くん」
聖夜の特別な時間は過ぎ去っても、橘樹と夏目涼香の、甘く温かな夫婦としての日常は——今まさに始まったばかりだった。




