桜舞う赤門と、約束の指輪
【一】三月十日・運命の正午前
三月十日、午前十一時三十分。
早春の柔らかい光が差し込む新居のリビングは、静寂と張り詰めた緊張感に包まれていた。
東京大学・前期日程試験の合格発表まで、あと三十分。
橘樹は、ソファの前に置かれたローテーブルの上で、ノートパソコンの画面をじっと見つめていた。画面には、東大の合格発表特設ウェブサイトのトップページが表示されている。
(……あと三十分で、僕の一年間のすべてが決まる……)
心臓が肋骨を突き破らんばかりに激しく鼓動していた。手のひらにはじんわりと冷や汗が滲み、呼吸が自然と浅くなっていく。
その時、そっと温かい体が横から寄り添い、樹の震える右手を優しく包み込んだ。
「……大丈夫よ、樹くん」
そこにいたのは、清楚な白のニットワンピースに身を包んだ夏目涼香だった。
彼女の手もわずかに震えていたが、その琥珀色の瞳には、どこまでも深く、濁りのない絶対の信頼が宿っていた。
「一年前のこの日、あなたが私の隣で手をと握ってくれたから……私は未来を掴み取ることができたわ。今度は、私があなたの手を離さない」
涼香は樹の手を自分の両手でぎゅっと挟み込むと、そのまま樹の肩に頭をそっと預けてきた。ふわりと漂う、大好きな桃の甘い香り。
「あなたの努力も、私の指導も……私たちが二人で重ねてきた毎日は、絶対に裏切ったりしないわ。自分を……そして、私たちを信じなさい」
「……涼香……うん。ありがとう」
涼香の抱擁と温もりのおかげで、樹の胸の奥で暴れていた不安の波が、次第に静かな自信へと変わっていく。
二人は指を絡め合い、深く深く息を吐きながら、運命の「その時」を待った。
【二】歓喜の涙と、解き放たれた抱擁
時計の針が、静かに正午(12:00)を指し指した。
「……時間よ、樹くん」
「……うん」
樹は喉を鳴らし、震える手でマウスを操作してページを更新した。
画面が切り替わり、ずらりと並ぶ受験番号の数字。
『東京大学 文科一類 合格者番号一覧』
樹の目は、自分の受験票に書かれた『第 10428 号』という数字を探して、画面上を高速で走った。
10410…… 10415…… 10420……
そして――
『10428』
そこには、鮮やかに、はっきりと、樹の番号が刻まれていた。
「……あ……」
樹の口から、掠れた声が漏れた。何度も何度も、手に持った受験票と画面の数字を見比べる。何度見直しても、間違いなくそこには『10428』が存在していた。
「涼香……あった……僕の番号……あったよ……!」
樹が振り向いた瞬間――
「樹くん……っ!!」
涼香が弾けたように樹の首元へ抱きつき、二人でそのままソファの上に倒れ込んだ。
「合格よ……! 合格よ、樹くん……! あなたは本当に……東大生になったのよ……っ!」
涼香の目から、大粒の涙が溢れ出し、樹の頬や首元を濡らした。
いつも冷静で優雅な『氷山姫』が、まるで小さな子供のように声を上げて泣きじゃくりながら、樹の顔中に何度も何度も熱い口づけを落としていく。
「涼香……っ! 僕、やったよ……! 涼香の隣に行ける……! 同じキャンパスに通えるんだ……っ!」
「ええ……っ! ええ……! ありがとう……私を追いかけてくれて、ありがとう……樹くん……っ!」
二人は固く抱き合い、お互いの体温と涙を確かめ合った。
一年前の出会いから、苦しかった夏の特訓、焦りに押し潰されそうになった冬の夜、そして乗り越えた決戦の日々。
すべてが報われ、二人の純愛が最高の結実を迎えた瞬間だった。
【三】桜舞う赤門前と、永遠のペアリング
午後二時。
春の温かい日差しが降り注ぐ、東京大学・本郷キャンパス。
赤門の周りには、満開のソメイヨシノが咲き誇り、風が吹くたびに淡いピンク色の花びらが舞い散っていた。
キャンパス周辺は、合格を祝う在校生や新入生、そして取材陣で溢れかえり、歓喜のどよめきが響き渡っている。
その桜並木の下を、手を繋いで歩く二人の姿があった。
樹は紺色の洗練されたジャケットに身を包み、涼香は春らしい桜色のトレンチコートを羽織っている。誰が見ても一目置くような、完璧に美しいカップルだった。
「……すごい綺麗ですね、涼香。一年前、ここで涼香の写真を見た時よりも……ずっと綺麗だ」
「ふふ、当たり前でしょう? 今日の桜は、あなたと私が二人で掴み取った『私たちの桜』なんだもの」
涼香は嬉しそうに樹の腕に抱きつき、二人は赤門の真下へと向かった。
周りの新入生や在校生たちが、「えっ、あの二人超お似合い……」「あれって法学部の夏目先輩じゃない!? 隣の男の子、新入生!?」とざわめき立つ。
しかし、樹はもう照れたりしなかった。
樹は涼香の正面に立つと、ポケットから小さな紺色のベルベットの箱を取り出した。
箱を開けると、そこには春の日差しを受けて美しく輝く、シンプルなプラチナのペアリングが収められていた。内側には『Itsuki & Suzuka』の刻印が刻まれている。
合格発表の直前、樹がこれまでのアルバイト代と貯金をはたいて、涼香のために密かに準備していたものだった。
「涼香。……一年前、ここで涼香に追いつくと誓いました。そして今日、僕はその約束を果たしました」
樹は涼香の右手を優しく取り、彼女の薬指にそっとリングを滑り込ませた。
「これからは……高校生と大学生じゃなく、同じ大学の学生として、そして……涼香の生涯のパートナーとして、ずっと隣で涼香を守り続けます。僕と……結婚を前提に、これからもずっと一緒にいてください!」
舞い散る桜吹雪の中、大勢の人が見守る前で堂々と捧げられた愛の誓い。
涼香は感極まったように口元を手で覆い、琥珀色の瞳から再びぽろぽろと綺麗な涙をこぼした。
「……はいっ……! 喜んで……! 私のすべてを、あなたに捧げます……私の愛しい旦那様……っ!」
涼香は自分の指に輝くリングを見つめた後、樹の胸へと飛び込み、そのままつま先立ちをして樹の唇へと自分の唇を重ね合わせた。
桜の絨毯の上で、深々と交わされる誓いの接吻。
周囲からは「おめでとうー!」「お幸せに!」と温かい拍手と歓聲が巻き起こった。
【四】二人で歩む、どこまでも甘い春の未来へ
夕暮れ時、新居へと戻った二人。
夕日に染まるリビングで、二人はソファに並んで座り、繋いだ手に嵌められたお揃いの指輪を愛おしそうに見つめていた。
「ねえ、樹くん。来週からは入学手続き、そして履修登録ね。……私の受けている講義、全部教えてあげるわ。隣の席は、絶対に私がキープしておくから」
「ふふ、頼もしいな。涼香、ノート見せてね?」
「ええ、いくらでも見せてあげるわ。その代わり……毎晩、私の手料理を残さず食べて、私をいっぱい抱きしめてくれることが条件よ?」
涼香は小悪魔的にクスッと笑うと、樹の膝の上にそのまま乗っかり、樹の首元に顔をうずめて甘えるようにすりすりとしてきた。
「……これからは、毎日ずっと一緒ね。朝起きる時も、大学へ行く時も、夜寝る時も……ずっと、私の樹くん」
「うん……ずっと一緒だよ、涼香」
樹は涼香の華奢な体を強く、慈しむように抱きしめ返し、彼女の額に優しい口づけを落とした。
試練の冬を乗り越え、ついに訪れた最高の春。
二人が紡いできた眩しいほどの純愛ストーリーは、ここから「二人で歩むキャンパスライフ」という新たな、そしてどこまでも甘い章へと続いていくのだった――。




